老人と海(1958年アメリカ)

The Old Man And The Sea

文豪アーネスト・ヘミングウェイの名作小説の映画化で、製作当時500万ドルの資金を投じた作品。

この映画には良い面もあれば、そうでもない面もあると感じました。
映画はスペンサー・トレーシー演じる老漁師の説明と、彼が何日も漁獲が無いことから沖へ何日も漁に出る中盤、
そして彼が帰って来てからのエピソードと3部構成になっていますが、上映時間は極めて短い作品なんですね。

どうやらホントは本作はフレッド・ジンネマンが監督する予定だったらしいのですが、
諸般の事情でアクション映画を主体に活動するジョン・スタージェスに交代したらしい。これは災いしたかもしれない。

製作当時の技術力の問題もあったかもしれませんが、老人が漁に出てからのシーンはスタジオのセット撮影と
外洋に出て大々的にロケ撮影した映像を組み合わせているらしく、この出来の差異が際立ってしまっている。
スペンサー・トレーシーが演技しているシーンはほぼほぼスタジオ撮影なのですが、これは正直言ってイマイチだ。
実質的にこれがメインの映画なので時代を考慮しても、もう少し何とかならなかったものかと思えてならないですね。

骨だけになった老人が釣り上げたカジキにしても、頑張って凝ったセットを組んだのだろうけれども、
漁に出ている様子をあからさまにセットと分かる映像で綴ってしまったのは、やはりどうだったのかと思っちゃう。
しかも、撮影スタッフを率いて、実際に迫力ある水中映像を挿し込んでいるだけに尚更、そう思えてしまうのですよね。
(だって、スペンサー・トレーシーの事情もあったのだろうけど、漁している映像も撮れたということですからね・・・)

ただ、そのロケ撮影された映像は実に素晴らしい。これがあまりに対照的なのである。
だからこそ、セット撮影するって決めたなら...もっとしっかりとした映像で構成して欲しかったですよねぇ。

老人が見る夢など、謎のイメージ・シーンのようなものも悪くはないし、
結局は漁に出て苦悩する老人のシーンが際立って悪く見えちゃうのだ。これが完全に足を引っ張っちゃっている。
ジョン・スタージェスなら、もっと上手く撮れる技量はあったと思うし、この企画はそれなりに資金力もあったはずなんだ。
だからこそ、この落差が悪目立ちしているのが勿体ない。文芸ドラマだから・・・と言い訳も通じないと思いますね。

確かにアーミネスト・ヘミングウェイの原作は有名ですから、難しい企画ではあったのでしょうけど、
だからこそ、もっとアドベンチャー性豊かな映像表現にして欲しかったし、老人の葛藤と孤独を物理的に表現して欲しい。
さすがに、このセット感満載のスタジオで撮影したシーンでは、老人が漁している姿も平坦に観えちゃいますね。

それと、やっぱりこの映画で言いたいのは...あまりにナレーションが多過ぎる点である。
これは僕の勝手な意見ですけど、これには興ざめした。原作そのままの雰囲気を表現したかったのでしょうけど、
これはあまりに安直。映画の価値を損ねていると言っても過言ではないと思う。台詞もナレーションなのはやり過ぎだ。
(ちなみにこのナレーション自体は、主演のスペンサー・トレーシー自身が行っている)

生前のビリー・ワイルダーも言っていましたが、
「ナレーションやテロップは映像を観ていても分からない情報を伝えるものであるべき」という持論がありました。
これは僕もまったく同意で、本作の場合は登場人物の台詞までもナレーションを使うのだから、やり過ぎですね。

このナレーションを多用したというのは、まるでヘミングウェイの本を読んでいるかのような感覚を出すために
こういうアプローチをとったのではないかと思うのですが、これも使い方をよく考えないと映画を壊してしまいますね。
やっぱり、スペンサー・トレーシー演じる老人の台詞までもナレーションで被せるように編集しちゃダメだと思います。

こういうのを観ちゃうと、もしフレッド・ジンネマンが監督だったら、どんな作品になっていたのだろう?と思っちゃう。

小説をそのまま映像化にした“だけ”というのであれば、これでも全然アリなのかもしれませんが、
あくまで映画ですからね。原理主義者みたいなこと言ってしまって申し訳ないけど、映画にする意義を示して欲しい。
小説の延長線だというのなら、その面白さは小説以上の域はでないですからね。単純比較できるものではないけど、
映画ならでは面白さ、映画の醍醐味というのを体感できる作品であって欲しい。それが映画にする意義ではないかと。

ただまぁ・・・ね。実は僕は本作にもスゴいところがあるとも思っていて、
映像表現一つ一つをとっても、先見性のある内容でもあると思います。これは番外編ですが・・・(笑)、
批判的に書いちゃったセット撮影にしても、どことなく『トルーマン・ショー』を思い出させるような映像の作りで、
なかなか帰港できない老人の行き着く先は“壁”なのではないかと、チョットした皮肉も言いたくなるくらい似ている。

それと、何と言っても、老人はやっとの思いでカジキと格闘して釣ったものの、カジキを刺したおかげで
カジキの血液が海に流れて、それがサメを呼び寄せてしまい、老人が乗るボロ船がサメに襲撃されるシーンがスゴい。
これは海中撮影も駆使して映像を構成したせいか、大迫力でエキサイティングなシーン演出になっていて驚きます。

僕はこれを観ると、スピルバーグは本作に想を得て『JAWS/ジョーズ』の映像を作ったのではないかと邪推する。
そう言いたくなるくらい、海底側からサメが襲撃される構図を観て類似性を感じました。本作以前の映画にこういった、
迫真の映像を撮るというスタッフの気概を反映させられていた映画って、ホントに数少なかったのではないかと思う。

この時代にも海洋ドキュメンタリーなどで、水中撮影を行うカメラマンはいただろうし、こういう映像もあったとは思う。
しかし、獲物に執拗に食いつくサメを生態学的な見地の映像ではなく、どちらかと言えば観客の恐怖心を煽るような
映像として収めることは希少だったと思います。本作は漁師である老人に直接的にサメが襲いかかるわけではないが、
描かれるサメについては恐ろしい存在として扱われている。これは『JAWS/ジョーズ』も参考にしたように感じます。

サメがカジキを突いて食べて、カジキの肉体がボロボロになっていったり、刺されたサメから溢れる血液が
海流に流れ漂うという血生臭い映像表現も、後に『JAWS/ジョーズ』の残酷描写で応用されていますからねぇ。

こういうエキサイティングな映像を撮るという点では、ジョン・スタージェスは最適なディレクターだったのかも。
一方のドラマ部分を含めての全体構成では今一つに感じられる面もあり、もっと上手く撮れたのではないかとも思える。

製作当時、このヘミングウェイの原作のスケールの大きさに、映画化は難しいと囁かれていたらしいので、
それを大胆なロケ撮影を交えて表現できたのは大きな収穫だったのでしょうけど、当時の撮影技術を考慮しても
もっと上手く撮れたのではないかと思えてしまう。余分なエピソードも削ぎ落し、全体をスリムにしたのも正解でしたけど。

やっぱり漁に出ている老人の苦悩をもっと臨場感たっぷりに観たかったし、孤独も強調して欲しかった。
それが本作の主題でもあったと思うので、衰え著しいという現実を抱えながら、しばらく成果のでない漁で大物を
得るべくして漁に出るものの、獲物が掛かるまでの長い時間の間に様々な苦悩があったはずで、孤独でもあったはず。
これを描くからこそ本作の醍醐味は磨かれるはずだったけど、アッサリと終わってしまうので見応えが出てこない。

この映画で描かれたのは、命からがら苦労して単独で捉えたはずの巨大カジキを
海の荒くれ者であるサメに食われてしまい、危うく自分の船を沈められるところだったという、無駄足になった話し。
スゴく中間がアッサリと描かれてしまったせいで、この無駄足となったこと自体に厚みが出ず、見応えも生まれない。

これではあまりに勿体ない。まぁ、ジョン・スタージェスにそんな器用なことを期待しちゃダメなのかもしれませんが。

ヘミングウェイの原作小説は未読ですけど、映画自体はダイジェスト版だと解釈した方がいいように思います。
漁師の老人と彼を慕う少年の交流も今一つ肉薄し切れていないので、ドラマ部分については期待しない方がいいです。
映画の魅力はほぼロケを行った海中撮影の迫力に依存する部分が大きいので、原作のイメージは違うかもしれません。

どうでもいい話しですが...主演のスペンサー・トレーシーは本作撮影当時58歳だったんですね。
失礼ながらも、体調もあんまり良くなかったのか、役作りなのか今の58歳よりもかなり年老いているように見えます。
これは現代の50代が若いのか、スペンサー・トレーシーが老けていたのかは分かりませんが、これは印象的です。
だいたい現代の感覚では、50代の人に“老人”とは言いませんからね(笑)。これは時代の変化なのかもしれません。

実際、スペンサー・トレーシーの遺作となった67年の『招かれざる客』を観ても、かなり年老いていましたから、
地で演じていたのでしょうけど、晩年は心臓があまり良くなかったようですので、体調も悪かったのかもしれません。

そう思って観ると、なかなか大変な撮影だったのだろうなぁとは思いますが、
スペンサー・トレーシーにとっては晩年の主演作としては、大きな挑戦であり一世一代の仕事だったのでしょうね。

(上映時間86分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 ジョン・スタージェス
製作 リーランド・ヘイワード
原作 アーネスト・ヘミングウェイ
脚本 ピーター・ヴィアテル
撮影 ジェームズ・ウォン・ハウ
編集 アーサー・P・シュミット
音楽 ディミトリ・ティオムキン
出演 スペンサー・トレーシー
   フェリッペ・パゾス・ジュニア
   ハリー・ビレーヴァー

1958年度アカデミー主演男優賞(スペンサー・トレーシー) ノミネート
1958年度アカデミー撮影賞<カラー部門>(ジェームズ・ウォン・ハウ) ノミネート
1958年度アカデミー劇・喜劇映画音楽賞(ディミトリ・ティオムキン) 受賞
1958年度ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞主演男優賞(スペンサー・トレーシー) 受賞