奇跡の人(1962年アメリカ)

The Miracle Worker

『俺たちに明日はない』でアメリカン・ニューシネマの口火を切ったアーサー・ペンが撮った伝記映画。
本作は第2回監督作品であり、視力と聴力を失った作家のヘレン・ケラーと、アン・サリバンの治療を描いています。

ただ、敢えて言わせてもらうと...僕はこの映画、まったく感心できなかったし、どうしても好きになれない。
何もかもがステレオタイプに描き過ぎていて、落ち着かないのです。それを逆手に取って、映画の武器にしている、
という感じもしないので悪い意味で大袈裟な映画という印象でしかない。これは明らかに逆効果でしかないと思う。

もう映画の冒頭から、ヘレンの母親が実際にカメラには映らないベビーベッドにいるヘレンを見て、
「目が見えてないわぁ!」とわめくように悲嘆するシーンにしても、もっと違う撮り方がなかったものかと思えてならない。

せっかくのヘレン・ケラーとアン・サリバンの交流の物語が、この仰々しい演出と芝居で豪快にブチ壊される。
いや、主演のアン・バンクロフトも子役のパティ・デュークだって指示されて演じたのだろうし、悪い仕事ではないと思う。
だからこそ彼女たちは、それなりに評価されたのだろう。ただ、メインから脇役まで、何もかもが大袈裟過ぎるのです。
もう、これは本作のカラーだと思って諦めるしかないのかと思ったけど、でも...社会的なメッセージを強めるために
敢えてステレオタイプに描いたという感じでもなく、著名なヘレン・ケラーの伝記がこんな感じになったのは納得できない。

最初から最後まで観通しても、こういう演出的なアプローチである必要性をまったく感じないのですよね。
この映画に感銘を受けた方々には申し訳ないのですが、僕にはどうして当時ここまで評価された作品だったのか、
サッパリ理解できないのです。まぁ、映画自体の話題性はあったのでしょうけど、出来はそこまでではないと思います。

アーサー・ペンの監督作品から舞台劇っぽさが抜けるには、まだだいぶかかるのですが、
これが66年の『逃亡地帯』みたいな感じなのであれば自分の中では“アリ”なんだけど、本作はNGだなぁ。
この内容ならば、もっと普通に見せて欲しい。この大袈裟な演出のオンパレードが、映画の土台に合っていないし。

ヘレンの父親にしても、やたらと興奮して常に大声を張り上げているのも、まるで舞台劇のようで場違いに見える。
それが映画の最初っから最後まで、そんな調子でヘレンを預けたアンにも突っかかるものだから、悪目立ちしている。
これでは観客の反感を買うだけではないかと思えるのですが、こういう芝居をさせてしまうディレクターに問題がある。
適切な言葉ではないかもしれませんが、僕にはデリカシーのない映画に映ってしまって、どうしてもダメなんですね。

まぁ、映画の中盤にありますが、傍若無人な振る舞いをするヘレンを見かねてアンが「躾をする」と言って、
食卓テーブルでヘレンと食べ物を使って格闘しながら、ヘレンに言葉や感覚を教えていくシーンがあるのですが、
これが10分近くに及ぶ大熱演で、よく頑張ったなぁと妙に感心してしまった。これは本作のハイライトになるだろう。

でも、迫真のシーンと言えるのは残念ながらこのシーンくらいで、残りは延々と声の大きなオーバーアクトの連続。
申し訳ないけど...これでは映画に魅力が生まれるはずがない。もっと普通に描けば良かったのにとしか思えない。
せっかくのアン・バンクロフトとパティ・デュークの頑張りをフイにしてしまっていると言わざるをえない作品だと思います。

本作で描かれるヘレンの家は、アラバマ州の大地主の家に産まれ、ヘレン自身は視力・聴力を失い、
家族とのコミュニケーションも一方的で、障碍があることから甘やかされて育ってきて、ワガママし放題でした。
これはどこまでが事実に基づいた描写なのかは分かりませんが、家族がヘレンの扱いに手を焼いている割りには
ヘレンの父親はやたらとヘレンの肩を持つし、ダメでもいいから新しいことにチャレンジさせようとか厳しく接しようとか、
そんなことを放棄してしまっている状況で結果的には、ヘレンの超絶的にワガママな部分だけが残ってしまったのです。

そんなヘレンに手を焼いていたにも関わらず、それでも両親はヘレンを甘やかすという方針に変わりない。
勿論、ヘレンを親として愛する気持ちはよく分かる。自分も子供を甘やかしているのだろうから、尚更のこと(苦笑)。
でも、最低限以上のことは自分で出来るようになって欲しいし、他人に迷惑をかける大人になって欲しくはない。
だからこそ、幼少期の親の愛情のかけ方というのは大事だなぁと実感させられる。間違えると、もう大変ですから・・・。

タイトルになっている“奇跡の人”というのはヘレン・ケラーのことというよりも、アン・サリバンのことでしょう。
彼女は彼女でハンディキャップを抱えながらも、独立独歩で人生を歩んでいて、手術を受けて並々ならぬ訓練の結果、
視力を取り戻した過去があり、その信念からアンはヘレンに徹底した教育を施す必要があると思い、家族に主張します。

ヘレンの父親からすれば、幼い頃からヘレンを自分たちが甘やかしておきながらも、
時に傍若無人な振る舞いをして制御が利かなくなるヘレンに手を焼き、自分たちの生活を乱されたことに苛立ち、
常に声を荒げているのですね。でもね、そんな姿を見せられたって、さすがに観客の気持ちにしても疲れちゃいますよ。
どうせヘレン・ケラーの物語を映画化するならば、もっとポジティヴな感情になれる内容にして欲しかったんですよね。

何をするにしても、幾多のリアクションを繰り出すにしても、とにかくこの家族は全てが大袈裟に映ってしまう。
これは映画として失敗だと思います。いくら舞台劇の映画化だとは言え、抑揚までそのままというのはいただけない。

ラストシーンもホントにこれで良かったのか、なんとも謎なんだけれども...一応は平和に終わります(笑)。
ヘレンとのマンツーマンの指導が実ったのか、自宅に戻ってきたことをお祝いする食事をするために食卓を囲みます。
しかし、結局はヘレンが癇癪を起こしてしまったのように家を飛び出して、アンは再びヘレンの両親と口論になります。
ヘレンの両親からすると、せっかくの一家団欒なのでこの日くらいは大目に見ようとしますが、アンは真っ向から反論。
アンからすると、それまでの苦労が一気に水の泡になることを懸念していたようで、まるで振り出しに戻るかのようだ。

僕も思わず、「また同じことを繰り返すのか・・・」と思っていたところを、ヘレンが親のことを認識していることを
アンがアピールしてそれを両親が喜ぶという、安心できる落としどころを作るわけですが、どうもシックリ来ないんだなぁ。
アーサー・ペンは『俺たちに明日はない』のラストでインパクトを残したディレクターなだけに、ここも期待してたんだけど。

まぁ、伝記映画ですから過剰にラストを飾ることは相応しくないですし、こういう家庭の平穏を表現することが
本作のハッピーエンドなのでしょうけど、それでは両親を喜ばすだけ。個人的には前述したように、やたらと喚く両親に
良い印象を持てない映画だっただけに、そうではなくって...ヘレンとアンの交流をメインにラストも描いて欲しかった。
だって、タイトルになっている“奇跡の人”というのは、あくまでアンのことなのだから両親は絡まなくても良かったと思う。

勿論、ヘレンにとって両親は大きな存在ですから、まぁ・・・描いてもいいとは思いますよ。
だけど、それで終わるなら両親がここまで喚き散らす姿を強調しなくても良かったのにとしか思えないのですよね。

とまぁ、そればっかり言っていても仕方ないのですが、ホントにこれは致命的なミステイクだったと思います。
本作が製作された頃は、まだヘレン・ケラーがご健在だった頃ですので気になりますが、ここまで両親のことを
印象良く描けていない内容の本作を、生前のヘレン・ケラーがどう思っていたのか?と気になってしまうくらいですね。

きっと、アンの指導によって、もっとヘレンが大きく変われたところがあったと思うんですよね。
そういった部分を端折って、半ば尻切れトンボのようなラストで終わらせてしまったというのは、あまりに勿体ない。
前述したように、アン・バンクロフトとパティ・デュークの2人は申し分のない芝居だったので、これを生かしたかったなぁ。
さすがに舞台劇でもこの2人が同じ配役で演じていたそうなので、この映画版でも息はピッタリと言っていいですね。

ヘレンの一家はアメリカ南部の名士という設定で、どうやら人里離れた土地で暮らす裕福な一家という設定ですが、
この父親は言い伝えられる南北戦争の影響があるのか、北部の人間に対する偏見はかなりあるようで、
北部からやって来たアンに対しても、信頼のない態度と言動で振る舞う。この関係性がなんとも興味深いですね。

プライドの高い人間から雇われてはるばる南部へやって来たアンからすると、大きなチャレンジであったはずです。
そんな環境でヘレンと強固な関係を作って、彼女の成長を促したわけですから、やっぱり“奇跡の人”ですよね。
(ただ、“Miracle Worker”という言葉からは彼女のことを称する人々との主従関係も伺えますがね・・・)

アンの厳しい指導が視力と聴力を失ったヘレンを変えていく、という物語ではありますが、
正直言って、本作を感動作として期待してしまうと肩透かしかもしれません。一つ一つ積み上げて成就するという、
ステップをしっかり描けていれば、感情を揺さぶる力が強い映画に仕上がったかもしれませんが、そんな感じではない。

映画に求めるものの違いかもしれませんが、もっと力強く訴求する映画になったはずなんだけど・・・。
これは舞台劇の延長線ではなくって、全く違った魅力を出せるディレクターが撮った方が良かったと思うんだよなぁ。
そういう意味で、アーサー・ペンが器用なディレクターであれば映画は変わったでしょうが、そうならなかったですね。

でもね、とてつもない帰郷を脱するためには、強い精神力が必要だとアン・バンクロフトが
説得力を持って表現できていた部分についてはスゴく良かったと思います。まぁ、現代では賛否両論でしょうけどね。

(上映時間106分)

私の採点★★★★☆☆☆☆☆☆〜4点

監督 アーサー・ペン
製作 フレッド・コー
原作 ウィリアム・ギブソン
脚本 ウィリアム・ギブソン
撮影 アーネスト・カパロス
編集 アラム・アヴァキアン
音楽 ローレンス・ローゼンタール
出演 アン・バンクロフト
   パティ・デューク
   ビクター・ジョリイ
   インガー・スベンソン
   アンドリュー・プライン

1962年度アカデミー主演女優賞(アン・バンクロフト) 受賞
1962年度アカデミー助演女優賞(パティ・デューク) 受賞
1962年度アカデミー監督賞(アーサー・ペン) ノミネート
1962年度アカデミー脚色賞(ウィリアム・ギブソン) ノミネート
1962年度アカデミー衣装デザイン賞<白黒部門> ノミネート
1962年度イギリス・アカデミー賞主演女優賞(アン・バンクロフト) 受賞