羅生門(1950年日本)
芥川 龍之介の『藪の中』と『羅生門』をモチーフにして、大胆に映画化した文芸作品。
これは主演の三船 敏郎の芝居を観ても分かるのですが、どことなく舞台劇のように大きな芝居で構成され、
全体的にステレオタイプに映る作品でもあるのですが、黒澤が初めて文芸的な作品に挑戦したことで評価されている。
まぁ、映画の途中でチャンバラ・シーンがあるにはあるのですが、本作のメインはそこでない。
やはり人間の本質に迫ろうとした作品であって、第三者が事実を追求しようと当事者の証言を得ようとしても、
人それぞれの“記憶”というのは微妙にデフォルメされているもので、事実が微妙に違ったニュアンスで伝わってしまう、
ということは現実世界でもよくあること。本作が主題としたことは、正しく“それ”であって、食い違う証言が並べられ、
芥川流の言葉で語れば「真実は藪の中」ということが、映画の中で的確かつ入念に表現されていると感じましたね。
ただ、これは作品の本質とは無関係なことではありますが...古い日本映画全般に言えることだけど、
録音状態が芳しくないというのと、滑舌の問題もあるのか、キャストの台詞がよく聞き取れないのがホントにネック。
個人的には字幕を付けて欲しいと思うくらいで、本作は特にそんな傾向が強くって、十分に楽しめなかったように感じる。
まぁ、この映画の場合はとにかく野性味溢れるというか...野生そのまんまの三船
敏郎が良い(笑)。
林の中で見かけた貴族の女性に目を付けて、不純な動機で馬上の女性を襲おうとするのも、ホントにアニマル。
でも、これは黒澤の狙いでもあったらしく、人間の動物的な本能を動機としているのも、本作の特徴でもありますね。
原作があることとは言え、この時代の映画でこういったテーマを堂々と描いたこと自体、かなり先駆的なものでした。
まぁ、似たようなことがテーマとなった映画は後年に数多く作られているのでパイオニアではありますが、
黒澤の監督作品特有の凄みというのは、僕はあまり感じなかったなぁ。内容的にはある種のカタルシスを感じさせる、
力強い映画になりそうなものですけど、個人的にはラストの赤ん坊に関するエピソードの必要性が分からないんだなぁ。
原作もあるから仕方ない部分もあるのだろうし、メッセージとしても分からなくはないんだけど、
これは黒澤の悪い部分が出たような気がする。映画のモヤモヤした部分を、あの赤ん坊のエピソードに任せたようだ。
でも、これはかなりエゴイスティックというか、余計なエピソ−ドを付けたなぁという印象が先行してしまう。
映画のヴォリューム的に短い尺だったので、付け足した意図もあったのかもしれないが、無くても成立した気がする。
ミステリーはミステリーのまま終わらすことに価値があるような内容で、モヤモヤを無理に浄化する必要もないと思った。
そこを敢えて、キレイに描こうとするものだから、悪い意味で黒澤の強引さが最後に足を引っ張ってしまう。
まぁ・・・とは言え、ひょっとしたら原作のファンからしたら、この感覚がフィットするのかもしれず、一概に否定もできない。
(いや、ひょっとすると...赤ん坊を抱きかかえながら、悪いことを考えていたのかもしれないが・・・)
本作はアメリカへ輸出上映され、当時の黒澤は海外での評価が正しく“うなぎ上り”だったそうです。
確かにこれは内容的にも、そして野性味溢れる主人公の描き方も、海外では新鮮なものに映ったことでしょうね。
有名な話しですが、ハリウッド俳優のリー・J・コッブが連日のように本作を上映していた映画館に通っていたそうで、
それくらい当時のハリウッドでも注目され、高く評価されていたということでしょう。なんせ人間のぶつかり合いですから。
まぁ、そういう意味では、前述したこの舞台劇っぽさが役者たちの中では気を引くものがあったのかもしれませんね。
映画の中盤にある、三船 敏郎と森 雅之が延々とチャンバラを繰り広げているシーンは、本作のハイライトだろう。
普通に考えたら、さすがにここまでお互いに致命することもなければ、傷つけ合うこともないチャンバラとなれば、
まるでスタントの練習のようにも見えなくはないですが(笑)、男2人が汗だくになって繰り広げる迫真のシーンですね。
森 雅之と言えば、個人的には同じ黒澤映画でも僕の中では『悪い奴ほどよく眠る』なのですが、
本作でも三船 敏郎相手に大立ち回りを展開していて、スゴく頑張ってますね(笑)。最後はなんだか可哀想だけど。
そこにコロコロと表情を変えるヒロイン役の京 マチ子の魔性感も当時としては、かなり斬新なものに映ったことでしょう。
いわゆる美人女優さんというのとは当時としても違ったかもしれませんが、肉感的で彼女もまた野性味溢れる感じです。
このヒロイン役のキャスティングは難しかったでしょうから、本作の京 マチ子は難しい役どころを見事に演じましたね。
そして、志村 喬演じる死体を発見した男もクセ者である。登場してくる面々の証言内容が食い違うのは、
それぞれにとって都合の良いことしか言わない、という原則があるからで、この男は連行されてきた当事者の証言を
聞いて苦悩するわけですが、彼もまた自分にとって都合の良いニュアンスで羅生門にて話している可能性だってある。
どこか煮え切らない態度と反応で、ハッキリと断言しないところを見ると、何か隠しているのではないかと疑いたくなる。
まぁ、この辺のバランスを志村 喬は上手く保っているだけに、この映画で描かれるミステリーに味わいがあるのです。
だからこそ、僕は特に映画の終盤に説明過多になって欲しくはなかったんですよねぇ。台無しになってしまうので。
何が真実であるかは映画の本質ではなく、この食い違う証言から類推される人間のエゴに本質がある。
だからこそ、何が真実であるかはボカして映画を終わらせた方がいいと思うのですが、黒澤はどう思ったのだろうか?
この志村 喬演じる男を敢えて前面に押して描くことで、黒澤は半ば囮的に彼の証言が真実であるように見せかけ、
実は彼の証言も真実とは言い切れないという現実を描くことで、その危うさを象徴的に描きたかったように思いました。
そう、少なくとも映画を観る限りでは、誰の証言が真実であるかということはハッキリと判断できる材料が無いのです。
そう思うと、志村 喬演じる男もトンデモない人間だったとしたら、このラストはとってもホラーなのかもしれないですね。
だとすると、この赤ん坊のエピソードはやっぱり必要だったのかな?とも思えるから、不思議な映画ですね。
芥川 龍之介の小説では『地獄変』は持っていて読みましたけど、結構難解で解釈が難しかった記憶があります。
短編が多いので手に取り易いと勝手に思っていたのですが、独特な世界観で読みづらかったというのが本音。
本作の原作である『藪の中』や『羅生門』も同様の傾向なのかなぁと思うと、なかなか原作には手が出ないかも(苦笑)。
映画のタイトルになっている“羅生門”は実に堂々たる風格漂う門であって、雨宿りに使っている。
ここで志村 喬らが不思議な事件について吐露するわけですが、そんな舞台となるにはピッタリのロケーションでした。
これはこれでセット組んで撮影されたのでしょうから、当時としては美術スタッフも力を入れて頑張ったのでしょうね。
しかしですね・・・原作の小説である『藪の中』というタイトルからつながる藪に関する描写はほとんど無かった(苦笑)。
ある意味では、ミステリアスなロケーションとして直感的に使い易かったと思うのですが、“藪の中”が舞台ではない。
そこは黒澤的には、やっぱり本作の原作はあくまで『羅生門』だったのでしょうね。これはポイントだと思いました。
本作はヴェネツィア国際映画祭でグランプリを獲得し、黒澤は日本映画界を代表する存在となりました。
これは当時の日本映画界に留まらず、日本国の躍進の原動力となる象徴的な出来事でもあり、黒澤の世界志向を
より強いものにするキッカケとなった作品です。50年代に黒澤が充実した時代を迎えたのは、本作があったからだろう。
それは内容的に当時としては刺激的なものであり、野心的な映画に挑戦したことが高い評価につながったと思います。
やはりクドいようですが...当時の日本映画界では、明らかに黒澤が抜きんでた存在だったことを実感させられる。
複数人数がそれぞれの視点で事実を語って、それらが微妙に異なることの面白さを描いた映画というのも、
後年ではハリウッドを含めて数多く製作されていることから、本作がそれらのお手本となっていることも大きいですね。
未だに人気がある作品のようで、最近ではリドリー・スコット監督作品の『最後の決闘裁判』なんかもそうでしたね。
但し、僕の中では傑作というほどのインパクトは無かったというのが本音。
確かに物語の着想点としては面白いが、それは芥川 龍之介の原作の面白さと言っても過言ではない気がします。
つまり、黒澤が本作の中で原作以上の面白さ、映画の醍醐味・凄みを表現できたかとなると、そこまでではないかと。
前述したように、録音状態も良くないことから、映像の修復やデジタル・リマスタリングだけではなく
もっと音の改善も期待したいところだ。時代性もあって仕方がないことではありますが、これは日本映画共通の課題。
今でこそ日本映画は国際的に評価されることがありますが、50年代にこうして頑張っていた作品であるからこそ、
その良さを伝える上でフィルムの必要な修復は是非とも考えてもらいたい。これは後世への使命でもあると思います。
ちなみに社会科学用語として、「羅生門効果」って言葉が学術用語として使われていて、
それは本作で描かれた、一つの事実が複数人の主張の中で矛盾したように見受けられることを意味しているらしい。
(上映時間88分)
私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点
監督 黒澤 明
製作 箕浦 甚吾
企画 本木 荘二郎
原作 芥川 龍之介
脚本 黒澤 明
橋本 忍
撮影 宮川 一夫
美術 松山 崇
音楽 早坂 文雄
出演 三船 敏郎
京 マチ子
志村 喬
森 雅之
千秋 実
本間 文子
1951年度ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞監督賞(黒澤 明) 受賞
1951年度ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞外国語映画賞 受賞
1951年度ヴェネツィア国際映画祭グランプリ 受賞