ニュー・シネマ・パラダイス(1989年イタリア)
Nuovo Cinema Paradiso
ローマで成功した映画監督が、幼少期から近所の映画館の映写技師に弟子入りして、
映画への愛情を醸成していった日々に思いをはせる様子を描いた、未だに映画ファンの間で絶大な人気を誇る回顧録。
本作の大成功でジュゼッペ・トルナトーレがイタリア映画界を代表するディレクターになった作品で、
映画ファンの心に触れる内容ではあるし、様々な紆余曲折が描かれるんだけど、実は個人的には・・・なんですね。
実は僕、高校生から大学の最初くらいまでは映画館に行っていた時期はあったのですが、
それからはほとんど映画館には行かず、3年くらい前に子どもを連れて18年ぶりくらいに映画館へ行きました(笑)。
そのせいか、あまり映画館に対する思い入れがなくって、ほぼ“自宅鑑賞専門”になってせいもあるのかもしれないが、
映画館に思い入れや憧れがある人にとっては、特別な存在になる作品なのかもしれない。その差はあるかもしれない。
製作当時、ジュゼッペ・トルナトーレは29歳という若さでしたが、このノスタルジックなムードを表現できたのはスゴい。
しかも、主人公が初老の年齢に差し掛かって、幼少期を振り返るなんて老成した視点で描くなんて、驚きですよね。
実際、本作の大成功で後にジュゼッペ・トルナトーレは世界的にも名を知られるわけですから、それだけでスゴいけど。
幼い頃の主人公は、シングルマザーとも見える母親から厳しく育てられたせいか映画館に通う息子を快く思わず、
挙句の果てには持ち帰ってきた可燃性フィルムが原因でボヤ騒ぎを起こして怒られまくる姿を見かねた技師は、
徹底して主人公のサイドに立って擁護してくれる存在であった。親どころか、孫ほど年が離れた技師だったので、
幼い主人公にとっては遠い存在であってもおかしくないのですが、それでも優しくも厳しかった技師を慕って育ちます。
そんな2人の心温まる交流を真正面から描いているせいか、ところどころ気恥ずかしくも見えるエピソードはありますが、
ジュゼッペ・トルナトーレの世界観はなんとも良い塩梅のノルタルジアを感じさせるもので、多くの方々の心に触れる。
しかし一方で、映写技師としては厳しい側面もあって、ある意味では真のプロフェッショナルでもある。
だからこそ幼い主人公は憧れの存在であり、彼にとって映画館とは特別な場所であるとの想いが醸成されたのだろう。
それが本作を支える魅力であり、映画がつなぐ世代の異なる人間同士の絆である。それが大きな特徴なのですが、
僕の中ではもう少し辛口な側面があってもいいかなぁと思えた。そう、全体的に甘ったるいデザートのような印象です。
しかし、主人公の才覚に気付いていたのか、それとも別な意図があったのかは定かではないですが、
映写技師からすれば、主人公がずっと故郷にいて自分の映画館の後継者になるようなことは許せなかったようで、
ローマに出ていく主人公を厳しく突き放すように、「お前は絶対に二度と戻って来るな!」と言う。このシーンは良い。
おそらく、お互いにもっと言いたいことがあっただろうし、本音だけでぶつけ合ったわけではない歯がゆさを感じるが、
それでも敢えて突き放す、それが厳しさでもあり、優しさでもあるというのが本作最大のハイライトでもあると言える。
こうして映写技師が人生の先輩として、「お前の観てきたような映画が現実のすべてではない」と突き放して
現実を見るように諭すように言うのは彼の優しさそのものだろう。これはこれでなかなかできることではないと思う。
まぁ、これはジュゼッペ・トルナトーレの映画に対する愛情を直球で表現した作品ということなのでしょうけど、
あまりにストレート過ぎるというか、映画の存在を神格化させ過ぎている精神性のような気がして、ここはノレなかった。
べつに過剰に表現する必要はないんだけど、もっと映画をとりまく環境の現実に目を背けずに描いた方が良かったなぁ。
確かに劇中、神父が勝手に上映する映画の内容に検閲を加えていて、キスシーンを事前にカットしたり、
不意の事故で映写室から出火してしまい、フィリップ・ノワレ演じる映写技師が大火傷を負う火事に見舞われたりと、
良いことばかりではないというように描いてはいる。ただ、どこか物足りないというか...悪い部分は深掘りしていない。
いくら不道徳と言われようが、映写技師であり映画館の主人であれば、当然映画にリスペクトがあるわけで
一方的に勝手な理由で検閲され、キスシーンをフィルムから切り取らなければならないというのは悲しいことだと思う。
仕方なくやっているにしろ、映写技師もなっとくできずに嫌々な表情が表に出ているのが、妙に印象に残っています。
これはもっと理不尽なエピソードとして強調しても良かったと思うんですよね。でも、やらざるをえなかったというわけで。
長く映画館を経営してれば、もっと色々な意味で理不尽で不合理、そして過酷な出来事は数多くあったはずだ。
分かり易い言い方をすれば、少々、映画を美化し過ぎている描き方だったように見えてしまったのが気にはなった・・・。
また、イタリアの映画文化も本作の背景にはあると思います。イタリアと言えば、ローマの郊外にある
大規模スタジオの“チネチッタ”があるくらい、ムッソリーニ独裁政権下から映画産業には国として力を入れていて
ヨーロッパの国々の中でもハリウッドに匹敵すると言っていいくらい、国民からも愛されているメディアですからね。
勿論、日本をはじめとして世界各国で映画は特別な娯楽だった時代はありますが、中でもイタリアは特別な気がします。
あと、時代背景もあるかなぁ。もはやサブスク配信が当たり前の時代になったので、本作で描かれたような感覚に
特別なノスタルジアを感じるというのは、この先の時代にはあり得ないものになってしまうのかもしれませんね。
今になって思えば、自分が幼い頃にアニメ映画などで連れていってもらった映画館は
自分たちが観たい上映会の前の上映の途中で入場して、後方で空きを確認してエンドロールの途中で自分たちの席を
確保しに行くのが当たり前だったけど、今はほぼほぼ予約制となっているせいか、そんなことをしなくてよくなっている。
これはシネコン≠フ普及が大きかったと思うのですが、それでも自分の幼い頃よりは映画館に行く機会も
なんとなく減っているのかなと思えるし、やはり映画というエンターテイメントの在り方が大きく変わっているのだろう。
だからこそ、映写技師に憧れるということ自体が無くなっているのかもしれないし、上映自体もデジタルに変わっている。
そう思うと、時代の変化と共にノスタルジーの在り方も変わっていくのだろうと思うと、世代間での共有って難しい(笑)。
本作はジュゼッペ・トルナトーレなりに、古き良きノスタルジーを残したいという想いを反映しているのだろう。
撮影当時29歳という年齢だったことを考えると、ひょっとしたら彼の親世代に向けたメッセージを込めた作品なのかも。
ちなみに本作は本国イタリアでは当初、2時間30分ほどのロング・ヴァージョンで劇場公開されたらしいのですが、
当初は興行成績が芳しくなかっために再編集されて、“インターナショナル・ヴァージョン”として2時間にまとめられた。
その後、編集でカットされたシーンを復元したりして、3時間にも及ぶ“ディレクターズ・カット版”が公開されましたが、
専ら評判では、この“ディレクターズ・カット版”は映画の主題が異なっているようで、あまり評判は芳しくないようだ。
まぁ、主人公のノスタルジアにスポットライトを当てた内容というよりも、人生を描いた内容になっているようで
映写技師との関わりが薄くなったせいか、映画の印象が“インターナショナル・ヴァージョン”とは大きく違うみたいだ。
それでは確かに本作の良さがノスタルジックな部分にあると感じていた人からすれば、別物の映画に映ったのかも。
個人的には“インターナショナル・ヴァージョン”にしても、もっとタイトな内容にはできたと思う。
例えば主人公の初恋のエピソードなど、青春の甘酸っぱさを表現したかったのだろうけど、冗長に感じられてしまった。
ジュゼッペ・トルナトーレなりの人生賛歌とも解釈できる内容ではあって、おそらく色々と描きたいことがあったのだろう。
まぁ・・・それでも、なんでもかんでもスマートにやってのけるような完璧さを追い求めていたわけでもなさそうなので、
そういった、ある種の不完全さが本作の魅力でもあるのかも。なので、この感性に合うか合わないかで決まりますね。
本作のフィーリングにビビッときた!という人なら、このエンニオ・モリコーネの音楽を聴いただけで“泣ける”のだろう。
残念ながら僕はそこまでいかなかったので、そこまで波長が合う映画ではなかったということなんだろうけども・・・。
本作で描かれたのは文字通り“シネマ・パラダイス”の世界ということなのだろう。
物語の舞台になっている映画館が“シネマ・パラダイス”という名前なのですが、映画というメディアが人々にとって
数少ない貴重な娯楽であったからこそ、映画で描かれる世界が天国であり、憧れでもあったのだろうと思われますね。
だからこそ、映画館の名前が“シネマ・パラダイス”というのも頷ける。それだけ特別な存在だったのだろうけど、
もう現代にはそんな感覚はないですかね。やはり娯楽が多様化して色々な選択肢ができると、そうなりますよねぇ。
自分のように映画好きを自称しながらも、映画館には行かないなんていう映画ファンも増えていけば、尚更なのかも。
映画に対して、特別な想いを抱いている映画ファンの心には触れる部分の多い作品なのだろうけど、
僕はそうではない人にまで心揺さぶるほどの力がある作品とは感じられなかった。映画としての決定打は無いと思う。
この八方美人なところが本作のウケるところでもあるのだろうが、主人公の成長にも肉薄し切れてない気がします。
だって、主人公は映画監督として成功したという設定なのだから、この幼少期の体験がどう成功につながったのか、
それを明確にしないというのは、僕は賛同できない。心地良い作品だけど、撮りようではもっと良くなったであろう作品。
(上映時間123分)
私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点
監督 ジュゼッペ・トルナトーレ
製作 フランコ・クリスタルディ
脚本 ジュゼッペ・トルナトーレ
撮影 ブラスコ・ジュラート
編集 マリオ・モッラ
音楽 エンニオ・モリコーネ
アンドレア・モリコーネ
出演 フィリップ・ノワレ
ジャック・ペラン
サルヴァトーレ・カシオ
マルコ・レオナルディ
アニェーゼ・ナーノ
1989年度アカデミー外国語映画賞 受賞
1990年度イギリス・アカデミー賞主演男優賞(フィリップ・ノワレ) 受賞
1990年度イギリス・アカデミー賞助演男優賞(サルヴァトーレ・カシオ) 受賞
1990年度イギリス・アカデミー賞オリジナル脚本賞(ジュゼッペ・トルナトーレ) 受賞
1990年度イギリス・アカデミー賞作曲賞(エンニオ・モリコーネ) 受賞
1990年度イギリス・アカデミー賞外国語映画賞 受賞
1989年度ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞 受賞