ゼロの焦点(2009年日本)

松本 清張の生誕100周年を記念して製作された、
松本 清張原作の大傑作として知られる同名小説の第2回目の完全映画化。
(ちなみに初回映画化は1961年でした)

本作では、広末 涼子に中谷 美紀、木村 多江と豪華女優陣の顔合わせです。

まず、全体を通しての印象ですが...
僕はあくまで映画が好きなので言わせてもらうと、これはあまり映画的ではないと感じました。

どういうことかと言うと、分かり易く例えれば、あくまで2時間枠のテレビドラマの延長線上。
勿論、松本 清張の原作のファンからすれば、「まったく原作を反映できていない!」とする意見もあるだろうし、
逆に「コンパクトに上手くまとめている」という肯定的な意見もあるでしょう。どちらも間違っていないと思う。

僕が感じたのは、特に映画だから出来たことといったことが見当たらなかったことだ。
確かに戦後13年経過した、金沢の市街地を再現した映像表現はなかなかのものですが、
これも昨今の技術力からすればお手のものだし、それより何より、各シーン演出に覇気が感じられない。

全ての演出が大袈裟過ぎる。これが松本 清張の世界とか言わないで欲しいが、
この映画の作り手が選択した演出の全てが大袈裟かつ大雑把。これは「大胆」などという言葉とは違う。

それから、全ての(おそらく原作でも散りばめられていたであろう)推理的エッセンスを
何もかも台詞で表現しようとするのはやめて欲しい。これならば、わざわざ映画化する意味がないと思う。
主人公の広末 涼子自身が、ありえないほどの理解力で、金沢へ向かうSLの中で推理を展開していきますが、
その全てを彼女のナレーションや、映像で表現してしまうというのは、作り手の大きなミステイクと言わざるをえません。

さすがに下地となる松本 清張原作のストーリーは、ミステリーとしては魅力的なだけに、
こうも安直な感じで映画化されてしまうと、原作の熱心なファンもガッカリさせられてしまったのではないだろうか。
これが仮にテレビドラマの企画であれば、時間的制約はあるでしょうから、仕方のない部分もあったと思います。
しかし、本作は映画というフォーマットの中で企画されたことですから、しっかりと観客に満足・納得してもらうことと、
映画化することの意義を示して欲しかった。これでは、ただ単に生誕100周年ということだけのように思えてしまう。

原作でどこまで深掘りされているかは分かりませんが...
登場人物の人間関係を描くという意味でも、この内容ならば金沢の室田耐火煉瓦株式会社の社長と
社長夫人である佐知子の関係は、もっとしっかり描くべきだったと思います。これは本作のキー・ポイントだったはず。

これがどこか浅い描かれ方だったためか、どうにも映画のクライマックスの展開に納得性がない。
直接的な言及がない代わりとなる描写や演出もないために、社長の行動にも説得力がありません。

それ以外にも、いろいろとありますが...
僕は室田社長と社長夫人の関係性をもっとしっかりと描けていたら、映画は大きく変わっていたと思う。
室田社長を演じる鹿賀 丈史もどこか舞台劇調の芝居のせいか、映画の中の存在感としても浮いていて、
何故、二人が出会って結婚して、お互いに豪邸で深く干渉し合わずに暮らしているのか、よく分からなかったですね。

でも、ここさえクリアになっていれば、この物語の魅力を最低限、伝えることができたと思うんです。

この原作は執筆開始時期に、偶然、かつて米軍基地付近で“パンパン”と呼ばれていた、
売春行為を行っていた日本人女性と思わしき女性を見かけ、戦後間もない頃、米軍基地周辺で公然と行われ、
まるで見せしめのように定期的に女性側が取り締まられていた“パンパン”が社会問題のようになり、
戦後の復興と共に消えていった彼女たちのことを憂い、“パンパン”消滅後の彼女たちの足跡を空想し、
そこから発展させて架空の連続殺人事件を描いたことが、この原作の始まりのようです。

松本 清張自身もこの原作の仕上がり自体に凄く満足していて、
生前、自身が執筆した小説の中でも、有数の愛好すべき小説として挙げていたとのことです。
(もっとも、松本 清張がミステリー作家として名を上げた、出世作ということも大きいだろうけど)

この原作の中では、松本 清張は面白いことを描いていて、
当時は戦後のアメリカからの影響を、首都圏では思いっきり受けていて、日本経済の活動も活発化し、
人は地方から都市部へ動き、都市部から地方へと時代の波が寄せるという動きが現代よりも顕著な中で、
金沢では史上初の女性市長を誕生させるために立候補させるというエピソードが描かれています。

おそらく当時の保守的な地域経済界ではありえなかったことでしょうし、
実際、日本で初の女性地方自治体の首長が誕生したのは、1991年の兵庫県芦屋市という事実ですので、
この原作で描かれたことは完全なるフィクションではあったのですが、この原作の中で松本 清張が考えていたことは
戦後復興の中で、生きていくためにやむなく“パンパン”にならざるをえなかった女性たちが屈辱的な過去を背負い、
それでいて性別問わず、過去を清算したい人々が増えた時代になり、如何に新しい時代に生きることを渇望するか、
その中の一つの手段として、女性の政治への参画ということを、しっかりと乗せている点は凄いと思います。

映画でも、この点はもっとクローズアップしても良かったかもしれませんね。
中谷 美紀演じる佐和子に、その姿を投影したかったはずなのですが、野心的な側面よりも
どこか金沢という地方都市の中では、一際浮いたシルエットという点を強調して描き過ぎてしまったために、
過去を清算して、尚且つ新しい時代の幕開けに異様なまでの執念を燃やすという点に於いては、どこかトーンダウン。

現代の感覚としては、女性の社会進出というフレーズ自体は当たり前のことですが、
やはり戦後10数年という頃では、これは如何にハードルが高くて、周囲の理解が得られなかったことなのか、
だからこそもの凄い情熱家がブレーンとなって、集団を組んで闘うことの必要性があったと描いて欲しかったですね。

ってなわけで、この原作は当然、ミステリーの古典であるだけあり魅力的なことは伝わりますが、
熱心な松本 清張のファンではない人に、この物語の魅力がフルに伝わる内容であったかというと疑問で、
尚且つ、映画化した意義というものを、観客にしっかりと示せていないという点で、僕は感心できなかった。

だからこそ、単に松本 清張生誕100周年に合わせるということではなく、
しっかりと戦略を練るに十分な時間を費やすべきであったし、費やした結果がこれだというなら、
やはりテレビドラマの枠の中でやるべき企画だったとなってしまう。でも、僕はそうは思わない。
本作は十分に映画化するに値する原作でしょう。要は映画の作り手に問題があるということです。

(上映時間131分)

私の採点★★★★☆☆☆☆☆☆〜4点

監督 犬童 一心
製作 本間 英行
企画 雨宮 有三郎
原作 松本 清張
脚本 犬童 一心
   中園 健司
撮影 蔦井 孝洋
美術 瀬下 幸治
編集 上野 聡一
音楽 上野 耕路
出演 広末 涼子
   中谷 美紀
   木村 多江
   杉本 哲太
   西島 秀俊
   崎本 大海
   黒田 福美
   野間口 徹
   市毛 良枝
   鹿賀 丈史
   モロ 師岡
   本田 博太郎