カメレオンマン(1983年アメリカ)

Zelig

個人的にはこういう言い方は好きじゃないのですが...
これはある意味で、同じウディ・アレンの映画の中でも、格別に難易度の高い作品ではありますね。

これはいわゆる、フェイク・ドキュメンタリーで“偽物のお話し”だ。

あたかも実在の人物、レナード・ジリグについて描いたドキュメンタリー・フィルムであるかのように
描かれておりますが、このレナード・ジリグという人物は架空の人物で、当然、この物語もフィクションだ。
このフィクションも、細かな部分でギャグを入れてきているのですが、それを大真面目に描いているのも、
なんだか如何にもウディ・アレンらしい、くっだらない冗談だけど、実にユニークで面白い映画ですね。

この映画での、こういうフィクションをあたかも実話であるかのようにドキュメントするスタイルは、
後に『ギター弾きの恋』で見事に結実するのですが、本作はもっと凝ってるんですよね。

過去の映像や新聞記事に、ジリグのエピソードを上手く合成しており、
特に映画の後半にあった、ジリグが何故かナチスに混ざっていたところ、何かの拍子で正気に戻って、
演説するヒトラーの後ろで恋人にアピールするように、手を振り始めるシーンなんて凄い凝ってる。

今でもウディ・アレンの監督作の中では、カルト的に人気の高い作品ではあるのですが、
最近になって、某レンタルショップの企画で再注目され、比較的、視聴し易い環境が整ってきました。

但し、僕の中ではウディ・アレンの監督作品としては平均レヴェルの出来かな。
個人的には同じコメディ映画でも、ホントにくっだらないことを必死に描くウディ・アレンの方が僕は好きなので、
本作のようなクスッと笑うタイプのコメディ映画だと、なんだか物足りなさすら感じてしまう贅沢さなんです。
もっとも、この映画なんかはウディ・アレンも対外的に高い評価を得ることに自信を持っている気がするんですよね。
それが逆に、僕には嫌味に感じられる部分があって、ウディ・アレンがホントに好きな人以外はキツいかも。。。

そう、チョットこの映画からウディ・アレンがまるで「どう? 凄い映画だろ?」と
言われてるみたいで、少し嫌味に感じられる部分があることは否定できないんですよね。
そりゃ勿論、これは公開当時のことを考慮すれば、斬新な発想の映画だったろうし、
実に良く出来たフェイク・ドキュメンタリーであるんですけども、なんかそこに溺れてる気がするんですよね。

こういう自信過剰気味な部分も含めて、
ウディ・アレンの映画が好きで好きでたまらない人には、間違いなくオススメできる作品ではあるのですがね。

主人公のジリグがユニークなキャラクターであることは言うまでもありませんが、
彼が惚れるフレッチャー博士というミア・ファロー演じるガールフレンドの一途さも、ある意味で凄い。

一緒にいた人と同じように同化してしまうという、人間離れした超常現象を起こすジリグを
自らの研究の対象としながらも、彼と面談を重ねるうちに真剣に彼を愛するようになり、
ジリグからの告白を受けて、実際に恋人関係になるのですが、どのような事情があっても、
さすがにこういうシチュエーションで、ジリグと恋に落ちるというには、彼女のそうとうな一途さが影響しているだろう。

ジリグを研究対象としてから、徹底してジリグと行動を共にするようにしているのですが、
ジリグは世間から注目される立場であるがゆえ、ジリグを愛し、やがては結婚するという流れには、
どのような障壁があるのか、容易に想像がつくわけで、敢えてここにチャレンジするフレッチャー博士は凄い(笑)。

ジリグがプレッシャーを感じ始めると、中国人でも黒人でも変身してしまうという、
超常現象を起こしてしまうというのは、あまりに突飛な発想ではあるのですが、
この現象の根源は「他人に認められたい」とする気持ちが強いと変身してしまうという、
人間の欲求の根源的なものがあって、これは実に意味深長な原因があるなぁと感じましたね。

これは少なからずとも、誰にでもある欲求でしょうからねぇ。
「他人に認められたい」とする欲求から、自分が他人に同化してしまうというのが妙で、
決して他人を自分に近づけたいとする方向に向かないというのが、実に哲学的な解釈ができると思いますね。

非凡な立場にあることが疎外感につながって、
社会的に無防備な立場にあると感じ、極端な言い方をすれば危機感を覚えるのかもしれませんね。
だからこそ、“普通”でありたい、或いは他人と同じようにありたいと願うのが人間の本能なのかもしれません。
(まぁ・・・何をもって“普通”を定義するのか、僕にもよく分かりませんが・・・)

でも、一昔前なら“個性”を重んじる風潮もありましたから、
非凡であること、或いは“普通”とは違うことを尊重するという見方もありますからねぇ。
今の時代、全て画一的にデザインされていくことを重んじる人間の本能は、弱まっている気はします。

まぁ・・・僕もイケメンに同化できるなら、是非ともこの能力が欲しいと思いましたもんね(笑)。

珍しくウディ・アレンがメイクを駆使して、あらゆる“他人”に変身しているのですが、
映画の中盤で紹介される、ジリグが中国人に同化して変身してしまった写真は結構、面白かったですね。
(見ようによっては、ホントに中国人に見えるから凄い・・・)

但し、非凡であることが叩かれる社会に於いて、このジリグの能力は研究対象となり、
ジリグの能力は障害として扱われ、フレッチャー博士も治療するという目的を持つというのが皮肉で、
「他人に認められたい」と思わなくなれば、変身しなくなるというのがまた面白くって、
何かしらのプレッシャーがかかるとまた“再発”するという発想が、如何にも神経質なウディ・アレンらしい(笑)。

そんなウディ・アレンの特質をよく理解されている人なら、ほぼ間違いなく楽しめる映画でしょう。
それにウディ・アレンが当時、どれぐらいミア・ファローという女優に心酔していたのかも、よく分かる映画です。

これもまた、もうウディ・アレンは撮らないタイプの映画でしょうから、
チョットでもウディ・アレンの映画に興味を持った人には、是非とも観て頂きたい一本ですね。

(上映時間79分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 ウディ・アレン
製作 ロバート・グリーンハット
    マイケル・ペイサー
脚本 ウディ・アレン
撮影 ゴードン・ウィリス
音楽 ディック・ハイマン
出演 ウディ・アレン
    ミア・ファロー
    ギャレット・ブラウン
    デボラ・ラッシュ
    ステファニー・ファロー
    ウィン・ホルト
    アリス・ビアズレー

1983年度アカデミー撮影賞(ゴードン・ウィリス) ノミネート
1983年度衣装デザイン賞 ノミネート
1983年度ニューヨーク映画批評家協会賞撮影賞(ゴードン・ウィリス) 受賞