ヤング≒アダルト(2011年アメリカ)

Young Adult

この映画は劇場公開当時、随分とPOPな映画のような触れ込みだったので、
ライトなコメディ映画かと思って、軽い気持ちで観たのですが、思いのほか深刻な映画のような気がしますね。

監督は最近、ハリウッドでもその知名度を急激に上げている、
ジェイソン・ライトマンで今となっては、父親のアイバン・ライトマンより映画を積極的に撮っている。

結論から申し上げますと、観ているのがキツいぐらい、
痛々しい37歳、バツイチ女性の物語ではありますが、映画の出来自体はそんなに悪くないと思います。
さすがに公開当時、話題となったシャーリーズ・セロンの芝居も上手いとしか言いようがない。

この映画のヒロインであるメイビスは若くして成功した、ミネアポリスに暮らす小説家。
とは言え、自分の名前が表舞台で有名になることはなく、彼女はあくまでゴーストライター。
かつて離婚した経験があり、小説の連載も不人気により中止が決定し、新作も思うように書けない。
フッとしたことから、高校時代まで過ごした田舎町に戻り、かつて愛し合い子供を身ごもったものの、
流産したことにより破局を迎えた、かつての恋人バディに会いに行く姿を描きます。

正直言って、この映画のメイビスはとても痛々しい。
タイトル通り、彼女は大人になり切れない大人といった感じで、我がもの凄く強い。

かつて思い描いた通りの人生になっていないだけに、
他人の幸せも羨むようになり、ウソをついてでも自分を必要以上に大きく見せようとする。
自分の故郷に強い劣等感を持ち、その田舎町で暮らす人生を卑下し、町の人々を優越することにより、
彼女はある種の威厳を保ちます。そんな姿が何とも痛ましく、彼女をとても幼く見せます。

一部では、コメディ映画としての触れ込みがあったのですが、
僕にはあまりに痛々しくて、そして生々しくて、どうしてもコメディ映画には見えなかったですね。
ジェイソン・ライトマンなりのユーモアもあるのでしょうが、映画も終盤になるにつれて、笑えなくなっていきます。

ひょっとしたら、現代社会でもこの映画のメイビスのような悩みを抱えている人は結構、いるかもしれません。
言ってしまえば、自分で自分の理想と現実のギャップを埋められず、ドンドン、ドンドン、自己矛盾の世界に
追い込まれていき、出口を探しているような映画で、それでも本作は答えを出してくれません。
結局、人間はそう簡単に変われないんですよね。でも、だからこそ人間だと思うんですよね。

メイビスは若くして成功し、故郷を捨て、際立つ美貌を持っていましたが、
その性格からか、一見すると誰もが羨む存在だったかと言うと、実はそうではありませんでした。

現役高校生の時代から、“高嶺の花”ではありましたが、
最も性格的な側面からは好かれてはいなかったようで、37歳になって故郷に戻ってきても歓迎はされません。
でも、メイビスはこれまで、気にかけることがなかったんですね。それは気にする必要がなかったからでしょう。

この映画で象徴的だったのは、
かつてゲイだと疑われ、体育会系の男子たちにリンチを喰らい、今尚、後遺症が残るほどの重症を負い、
今は町でダイナーを経営する太っちょのマットの存在で、偶然、再会したときからメイビスは彼のことを遠ざけ、
かつての恋人バディと再会しても、マットの悪口は絶えませんん。おそらく彼を卑下する気持ちがあったから。

しかし、メイビスは次第に精神的に追い詰められてしまい、
アルコール依存症の症状が悪化し、マットが自宅で熟成させている洋酒を求めて、
幾度となくマットの家に足を運ぶようになり、とある日、メイビスは決定的な間違いをしてしまい、
やはりマットの部屋に足を運び、当初は予想だにしない展開になってしまいます。

ある意味で、これは映画の序盤のメイビスの姿と比較すると、
まるで真反対の姿であって、映画の中で大きなギャップが生まれているんですよね。
しかし、別に僕はマットの存在を嫌悪するわけではないのですが、こういうギャップは観ていてツラいですね。

なんか、こういう大人になり切れない大人がもがく姿を観るのはツラいなぁ。
しかもこの映画のメイビスはそれをコメディ的ではなく、結構、シリアスに演じてしまっている。
そのせいか、僕はどうしてもこの映画を観て、ニヤッとすることもできないんですよねぇ。

おそらくジェイソン・ライトマンはこのシナリオで、少しずつコメディのエッセンスを
入れながら描いたつもりなのでしょうが、僕としてはどうしてもメイビスを冷静な目で見てしまう自分がいます。
映画の出来としては十分に良いとは思うのですが、やはり僕にはこの映画の本質が見えなかったんでしょうね。

いや、それでも主演のシャーリーズ・セロンはよく頑張りましたねぇ。
さすがにこれだけ痛々しい、もう若くはない女性を演じたわけですから、そうとうな勇気のいる役柄だったはず。
ヌーブラ姿を披露したり、散々、年齢には似つかわしくない立ち振る舞いをしてしまったり・・・。
そして最後の最後まで、彼女の性格は改善されないままですからねぇ。これはよっぽど、勇気のいるキャラですよ。

まぁ・・・そんな本作のラストにしても、
半ば「人間、そうは簡単に変わらない」、そして「それまでの殻を破れるのは、自分の力だけ」という
メッセージであるように感じましたが、このテーマを最後まで貫いたという点では、強い一貫性がある映画です。

一般的に田舎町での生活を過剰に美化したり、卑下したりする映画が多いけれども、
この映画はメイビスの故郷の町を、やや離れた視点から冷静に描いているのが印象的で、
メイビス、そして彼女の故郷の人々のいずれかが正しい立場という観点ではなく、
敢えて、どちらにも感情的な肩入れしないで描くという作り手の姿勢に、僕は好感を持ちましたね。

これをシナリオの不足点と感じる論調はあるだろうが、
実はこういう感情的な肩入れをできる限り排除しながらも、ある一定のストーリー性を持って、
映画を構成する脚本こそが、僕は映画に於ける脚本としては一番、難しいだろうと思う。

あまり映画に於ける脚本のウェイトを高くする見方は好きになれないのですが、
この映画の脚本は、僕は質の高い仕事だと思う。個人的には好きにはなれない映画ではあるのだけど(苦笑)。

(上映時間93分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 ジェイソン・ライトマン
製作 リアンヌ・ハルフォン
    ラッセル・スミス
    ディアブロ・コディ
    メイソン・ノヴィック
    ジェイソン・ライトマン
脚本 ディアブロ・コディ
撮影 エリック・スティールバーグ
編集 デイナ・E・グローバーマン
音楽 ロルフ・ケント
出演 シャーリーズ・セロン
    パットン・オズワルト
    パトリック・ウィルソン
    エリザベス・リーサー
    コレット・ウォルフ
    ジル・アイケンベリー
    リチャード・ベキンス
    メアリー・ベス・ハート