用心棒(1961年日本)

60年の『悪い奴ほどよく眠る』の興行的失敗を受けて、黒澤プロダクションがなんとかしてヒット作を
作らなければならないというプレッシャーの中、本作は完成したと聞きますが、そのプレッシャーは見事に跳ね除け、
黒澤 明が極上のエンターテイメントを撮れることを証明し、3億円の興行収入を記録する大ヒットとなりました。

これを観ると明らかですが、この時代に日本映画界でも黒澤 明はハリウッドなどの
世界標準を意識した撮り方をしていて、明らかの他の映像作家たちと一線を画す存在だったことが分かります。

実際に、本作に感化されたセルジオ・レオーネが64年に『荒野の用心棒』で、
西部劇のフォーマットに直してリメークするなど、世界の映画監督からも注目される日本映画でした。
確かに本作は面白い。残念ながら黒澤 明の最高傑作とまでは思わないけど、いろいろと革新的な取り組みがある。

例えば、映画の冒頭から手首から切り落とされた片手を、犬が咥えてくるシーンなど
それまでの映画界では描いてこなかった直接的な残酷描写があったり、全体を俯瞰したショットを多用したりと、
黒澤の特徴が全開の作品であって、ハードボイルドな一面も感じられて、とても魅力的なフィルムだと思います。
(実際に望遠フィルムを多用して、活劇シーンをよりスピード感強く見せることに寄与している)

もう、映画の冒頭からワクワクさせられるようなオープニングであって、
人々の感情の変化を表現するために、一挙手一投足に音を付けるなど、インパクトをつける工夫もある。
そう、本作は音の映画だと言っても過言ではないと思う。ここまで音が映画のテンションを決めるというのは、
珍しいくらいで、黒澤の映画の中でもここまで音(音楽)が合いの手のように目立つのは、他にないと思います。

ハリウッドでも96年にブルース・ウィリス主演で『ラストマン・スタンディング』という作品で
本作がハリウッド・リメークされていますが、いろんな意味で本作のオリジナリティ・先駆性を超えるのは難しいでしょう。

当時、ヴェネツィア国際映画祭で主演の三船 敏郎が男優賞を獲得するなど、
国際的に高い評価を得たことが大きな話題となりましたが、確かに本作の三船はとっても良い仕事している。
「名前はなんてんだい!?」と問われ、アドリブ的に向こう側の桑畑を見て、「桑畑三十郎じゃ」と名乗ることから面白い。
最初に仲代 達矢演じる短銃持ちの卯之助と対面するシーンで、ムッとして通り過ぎるシーンの空気感も素晴らしい。

本作で作り上げた三船 敏郎のキャラクターは、確実に『荒野の用心棒』のイーストウッドに影響を与えています。
そして対する仲代 達矢の雰囲気は、リー・ヴァン・クリ−フも参考にしたのかもしれないと思えるくらい独特なものだ。

個人的には仲代 達矢との対決はもっと引っ張っても良かったとは思うのですが、
映画がクドくなるのを嫌ったのか、実にアッサリと2人の対決を終わらせ、やや拍子抜けするくらいかもしれません。
短銃の使い手としては、そこまで達人という感じではなかったのか、剣の達人の三十郎には勝てないということか。

それから紅一点のように描かれるのが、司 葉子で彼女ももっと描いて欲しかったなぁ。
なんせ「アンタの女房は美人過ぎるのがアダになったんだ」と言われるくらいなのですから、そりゃ気になる(笑)。

女優陣では、気の強い清兵衛の女房を演じた山田 五十鈴だろう。
彼女は57年の『蜘蛛巣城』での芝居も有名ですが、黒澤の絶大な信頼があった女優の一人だったのでしょう。
本作も三十郎に表情を使い分けつつも、実に肝の据わった雰囲気を見せてくれる。あれは誰も逆らえないだろう(笑)。

彼女が三十郎に若い女の子をつけて懐柔しようとするも、三十郎は全く興味を示さないというチグハグ感も面白い。
当時の黒澤流のギャグのエッセンスもあって、本作はコメディ映画としての側面を持っているのは興味深い。

とまぁ・・・本作は脇もしっかりと固められており、キャスティングも抜群に素晴らしい。
『悪い奴ほどよく眠る』も、一部では評価する向きもあったのですが、商業的には失敗の烙印を押されたので、
経済的にも自身のプライドとしても、黒澤はいち早く面目躍如となる作品を製作したかったというのが本音だろう。
そのせいか、本作はコンセプトもアプローチも実に単純明快で、彼が描きたかったことはハッキリしているし、
そえでいながら新しいアプローチやチャレンジがあって、結果的にそれらが立て続けに当たったという印象だ。

映画のカリスマ性としては『隠し砦の三悪人』を上回るものは僕は感じなかったけれども、
娯楽作としては本作もなかなか優れており、ハリウッドが黒澤に注目していた理由がよく分かる作品だと思う。
どう見ても、当時の日本映画界でも黒澤は明らかに他と違うレヴェルで映画を撮り続けているのが分かる作品だ。
(後に小津 安二郎なども注目されましたが、その中でも特に黒澤は欧米的なアプローチをしていた)

僕は50年代から60年代にかけての黒澤は、63年の『天国と地獄』で完成形をみたと思っているのですが、
『天国と地獄』へと続く系譜として、本作はその一つになっていると思う。本作で見せたハードボイルドなタッチは
後年の監督作品に生きており、黒澤自身も認めているが本作はダシール・ハメットの『血の収穫』を“参考”にしている。

ストーリー自体も、荒くれ者たちが好き勝手に宿場町を牛耳り、次々と死人が出ることから
三十郎が世直しの如く、対立する荒くれ者たちをお互いに煽り、勝手に戦わせるように仕向けるのが面白い。
こういうのを観ると、三船 敏郎って意外に器用な役者というか、芸達者な側面があるように思いますね。

そんな三十郎にただ飯を食わせる宿場町のオヤジを演じるのが東野 英治郎というのが、また嬉しい。
彼もまた、黒澤映画の常連の一人ではありましたが、やはり三船とのコンビになると画面が引き締まる。

本作が興行的に成功し高評価だったことで、翌年に実質的続編である『椿三十郎』が製作されました。
『椿三十郎』と言えば、何と言っても異常なまでの血しぶきが有名なシーンですが、僕も気づいていなかったけど、
実は本作の夜間の殺陣シーンで、血しぶきを表現しているようで、夜なのであまり目立たずに終わってしまったらしい。
個人的にはそういうエスカレートした黒澤も好きだけど、どちらかと言えば、ストイックに撮った本作の方が好きだなぁ。

まぁ、結局は黒澤が描き、三船 敏郎が演じる世直し映画。粗野な男に見えるが、
三十郎は侍のセオリーや要件をことごとく否定するかのように人情に厚い男であり、そのためには手段を選ばない。
荒くれ者たちを騙すことによって、監禁されている母親を解放するエピソードからも、三十郎の考えがよく分かり、
彼の無敵な刀さばきの能力を、そういった善行に生かすというのが心憎く、黒澤が描く理想のヒーロー像なのだろう。

そして、居酒屋のオヤジを味方につけたりはするものの、基本は一匹狼だという点も良い。
決してキレイなヒーローではないし、正直、男前というのともチョット違う。ムサい、若くはない言わばオッサンだ。
しかし、質実剛健そのもので、まともに闘うと誰も太刀打ちできない強さがある。この描写には本作は余念がない。

三十郎の強さをしっかりと描けているだけに、実に説得力のある映画になっています。
しかし、そんな三十郎も刀を奪われると不利になってしまう。リンチされた三十郎の復活劇も、なんとも痛快である。

残念ながら60年代後半から黒澤がチャレンジしたハリウッド進出は失敗に終わりましたが、
しかしながら、1950年代から飛び抜けた存在として国際的に注目の存在であり、実際に本作のように
当時の世界の映画界と肩を並べるに十分なクオリティ、アプローチを行っていたということにホントに驚かされる。

但し、クドいようですが、これは黒澤の最高傑作だとは思わない。誰しも真似したくなるような構図、
ロケーションで撮影したことは素晴らしい名画であり、前述したリメーク作品で次々と真似されているわけですが、
それはあくまで黒澤の中で彼のセオリー通りに撮っただけであって、なんだかクセになるというほどではなく、
このシーンだけで映画の価値が決まってしまった、と言えるほどのものはない。総じて、出来が良いという感じだ。
でも、皮肉で言っているわけではなくって、これはこれで素晴らしい仕事。当時はこれを黒澤くらいしか出来なかった。

敢えて言うなら、音が合いの手のように入るのは当時としてはチャレンジングな手法だったと思いますが、
本作の場合はそれを多用し過ぎたせいか、どこか歌舞伎の世界をそのまま映画にした、みたいな印象を持った。
これがホントに黒澤の狙いだったのかは分からず、良く言えば一貫性なのだろうが、大事なシーンでは過剰に映った。

その大事なシーンとは、やはりクライマックスの対決だろう。ここはもっと厳かに描いて欲しかった。

(上映時間110分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 黒澤 明
製作 田中 友幸
   菊島 隆三
脚本 黒澤 明
   菊島 隆三
撮影 宮川 一夫
美術 村木 与四郎
音楽 佐藤 勝
出演 三船 敏郎
   仲代 達矢
   司 葉子
   山田 五十鈴
   加東 大介
   河津 清三郎
   志村 喬
   夏木 陽介
   東野 英治郎
   加藤 武
   西村 晃
   渡辺 篤

1961年度アカデミー衣裳デザイン賞 ノミネート