ウィル・ペニー(1967年アメリカ)

Will Penny

これまで勇壮な役柄を好んで演じていたチャールトン・ヘストンが、
肉体的な衰えを意識しつつも、厳しい過酷な生活を続けざるをえない初老のカウボーイを演じ、
哀愁漂うシルエットを体現した、どちらかと言えば静寂を基調とした西部劇で、異色作と言っても過言ではない。

生前のチャールトン・ヘストンも自身の一つの転換期としても、
彼自身の出演作品で本作がお気に入りの一つと公言しており、おそらく新たな境地を開拓したかったのでしょう。

名カメラマン、ルシアン・バラードの少々甘いカメラも絶妙で、
行き過ぎたセンチメンタリズムではなく、実に巧妙でバランスの取れた映像に仕上げており、
映画の印象を確実に良くしている。後にサム・ペキンパーに見い出されるのが、よく分かるカメラだ。

とは言え、映画はヒットしませんでした。
時代はアメリカン・ニューシネマの全盛期。それまでは大作志向のハリウッドの中で、
多くの人々はヨーロッパ映画界に先導される形で、ハリウッドでもニューシネマ・ムーブメントが到来することを
今か今かと待ちわびている状況であり、例えば『十戒』や『ベン・ハー』などの50年代ハリウッドの大作主義を
象徴するかのような映画に好んで出演していたチャールトン・ヘストン主演では、「もう客は呼べない」と
言われていたかのようで、この頃からチャールトン・ヘストン自身も役者としてのキャリアの悩みどころであったのか、
70年代に入って、カルトなSF映画に好んで出演するようになり、大きなターニング・ポイントを迎えつつありました。

理由はそれだけではないとは思いますが、要するに時代に合わない映画だったという気がします。

この頃の映画は、やはり良くも悪くもインパクトを求められていた時代であり、
それまで虎の巻のようにハリウッドが作り続けていた西部劇であっても、
例えばイタリアのセルジオ・レオーネが仕掛け、世界的にヒットさせた64年の『荒野の用心棒』など、
いわゆるマカロニ・ウエスタンも流行っていて、映画に於けるそれまでのスタイル時代が陳腐化していました。

そこで、ガン・アクションを重視していない西部劇とは言え、
若者ではなく、初老のカウボーイの哀愁を描いた映画ですから、正直、ヒットするわけがありません(笑)。

とは言え、この映画、好きな人はきっと凄く好きなんだろうなぁと思います。

監督はトム・グライスで、彼はどうやらTV界出身らしい。
僕にはどうしても、このトム・グライスの演出の意図がよく分からない部分があって、
ある種、これはコメディとして撮られた映画のような気がしてなりませんでした。
ただ、全てが中途半端でそれが本作の持ち味になっているのか、はたまたド真面目に撮っているのか、
その意図がサッパリよく分からず、どことなくどっちつかずで中途半端な印象が残ってしまっています。

映画は極めて単純なストーリーで、
“遊牧の民”であるかの如く、貧しくもカウボーイたちと移動する生活を営んでいる、
初老のカウボーイが仲間たちから、小馬鹿にされている食事の給仕シーンから始まります。

その後、ひょんなことから、しばらくぶりの肉を食べられるとばかりに、
銃で野生の鹿を仕留めますが、先に鹿を見つけていたと主張する、ドナルド・プレザンス演じる流れ者と対立し、
銃撃戦となった結果、流れ者の一味を殺害してしまったがために今度は恨みをかい、幾度となく襲撃にあいます。

逃げ回るわけでもなく、淡々と旅を続ける主人公ですが、やがて辿り着いた極寒の小屋で
寒さをしのぐ目的で滞在していた親子と交流を深めるにつれ、彼の心境はグラついていきます。

しかし、この過程が結構なギャグ(笑)。
「風呂は年に8〜9回程度」と言い放ち、母親に風呂に入るよう促されるとか、
通常の西部劇であれば...(と言ったら失礼だが・・・)こんなことは描かないでしょう(笑)。

そして、次第に母親に心を開いていく主人公が、突然、母親からプロポーズを受けんとばかりに
愛を告白されるなんて展開も、もはやコメディ化していて、全く説得力が感じられません。
そこで何故か「このまま(お互いに我慢しているような状況)ではいけない」と主人公が母親を諭します。
そして聞いている母親は、延々と床のモップの水切りをしているのですが、どこか卑猥なことを連想させます(笑)。

こういう言い方をすると、この映画が好きな人には申し訳ないけど、
ここだけを観ると、結構なトンデモ映画です。そこで、しつこく襲撃してくるドナルド・プレザンスも、
「メリィー、クリスマァァァァス!!」と叫んで、いきなり小屋の扉を蹴破って突入してくるのですから、
僕にはどう見ても、ギャグとしてこういうシーンを描いたとしか思えないほど、コメディ化しています。

でも、実際はそうではなく、作り手が真面目にこの映画を撮っているように思えるあたりが、またタチが悪い(笑)。

せっかく流れ者を演じた職人俳優ドナルド・プレザンスの狂気じみた側面が、
実に良く反映された部分があるだけに、凄く勿体ないアンバランスさといった具合で、どこか噛み合っていない。

個人的には、こういうテーマの映画は好きなので、もっとキチッと観たかったが、
映画の途中でどうにもコメディとしか思えず、そんな中で作り手はそう思ってはいないのだろうと
悟ってしまったせいか、正当な振り返りをする妨げになってしまっているかもしれません。

いずれにしても、これは監督がもっとしっかりしていれば、出来は変わった作品でしょう。
決して屈強ではなく、どこかに衰えを感じさせるチャールトン・ヘストンの姿も貴重と言えば、貴重でしょうね。

まぁ、そうであっても...やっぱり、ルシアン・バラードの美しい叙情性溢れるカメラの素晴らしさと、
ドナルド・プレザンスの最高の悪役づくりだけで、十分に魅力ある映画には仕上がった。
時代の潮流に合わずとも、こういう映画がサクッと簡単に出てくるのが、ハリウッド底力なのだ。

映画のクライマックスはどこか『シェーン』を思い起こさせる味わいだが、
この辺の予定調和な雰囲気が、映画に突き抜けたものを与えられなかった所以かもしれません。
ひょっとすると、いっそのこと、「みんな幸せに暮らしましたとさ。おしまい」というラストの方が、
ある意味で斬新で、西部劇として突き抜けたインパクトを与えることができたのかもしれませんね。

(上映時間109分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 トム・グライス
製作 フレッド・エンジェル
   ウォルター・セルツァー
脚本 トム・グライス
撮影 ルシアン・バラード
音楽 デビッド・ラクシン
出演 チャールトン・ヘストン
   ジョーン・ハケット
   ドナルド・プレザンス
   ブルース・ダーン
   ベン・ジョンソン
   スリム・ピケンズ
   アンソニー・ザーブ
   クリフトン・ジェームズ