ワイルドシングス(1998年アメリカ)

Wild Things

90年代後半、こういうティーンを主人公に据えた映画が流行りましたが、
本作だけは過激な内容でもあったせいか、今でも異彩を放っているサスペンス映画ですね。

この頃、やたらとドンデン返しを作る映画が流行ったせいか、こういう“やり過ぎ”な映画が横行しました。
まぁ・・・あくまで映画、ということは分かるのだけれども、これは明らかなやり過ぎで、悪い意味で破綻しかけている。
勿論、ハイティーンの子がこのようなことをやってのけるということ自体、ある意味で衝撃的ではあるのだけれども、
さすがにこれだけ話しに“裏”があるとなると、半ば後だしジャンケンのようになってしまって、どうとでも描けてしまう。

映画の盛り上げ方としても、この映画はほぼデニース・リチャーズに頼りっきりでしょう(笑)。
さすがに本作での彼女のいけない雰囲気ムンムン漂う妖しい魅力は、男にとっては脅威と言っていいレヴェルだ。

ケビン・ベーコンが製作総指揮を兼任していたり、どこか男性視点の映画のように観えますが、
そんな中で、レイプ被害を訴えるデニース・リチャーズを観察して、“オンナの勘”が働いたのか、
性犯罪課の黒人女性警察官が、真っ先にデニス・リチャーズ演じるケリーの狂言を主張したのが興味深い。
これはこれで男性の視点で描かれたと言えば、そうなのかもしれませんが、映画の終盤の展開を示唆している。

結局は、真面目に事件と向き合っていた彼女からすると、感じるものがあったのかもしれません。

それにしても、デニース・リチャーズとネーブ・キャンベルの大胆な演技もそうですが、
ケビン・ベーコンも映画の終盤で何故かシャワー・シーンで、裸体を披露していて皆、張り切っている。
このケビン・ベーコンのシャワー・シーンは、ホントに意味不明なほど無駄なシーンでしたねぇ・・・。

映画で描かれるのは、模範的な教育者と言われた教員が、女子生徒から狙われて、
レイプされたと訴えられるものの、映画の中では確証をもって描かれないままストーリーが進むため、
冤罪なのか、実は性犯罪者であるのか・・・、被害女性が町の有力な大富豪の娘であったことから、
更に話題が話題を呼び、町を挙げた一大スキャンダルとして、裁判はマスコミからも注目を浴びることになります。

しかし、当然のように事件には裏の表情があり、大富豪の力に屈しそうになった被告は
圧倒的不利と思われる裁判の中で、小ズルい仕事ばかり拾い集めて生計を立ててきた、
弁護士の反対尋問をキッカケに、被害者の女性校生たちの証言の信頼度が揺らぎ始めることで、映画が動き出します。

映画の前半は、ほぼドンデン返しなど無く描かれており、ストレートに性犯罪の裁判にクローズアップします。
しかし、映画が後半に差し掛かると、一気にスピードアップし二転三転する展開に転じていきます。

もうね...映画の後半は「なんでもアリ」の世界に近いです。あまり一つ一つに納得性はありません。
いくら頭の良い計算高い犯罪者であったとしても、複数の人々が計画に絡むわけですから、
思わず、「そんな思い通りにいくか?」と疑問に思わざるをえない。しかも、次から次へと二転三転するものだから、
一つ一つのカラクリを反芻する前に、次のカラクリが明らかになるので、映画が一向に落ち着かない・・・。

僕にはこの映画の作り手が、本作を通して何を描きたかったのか、
分かるようで分からなかったのですが、やはりハイティーンも絡むスキャンダルを実写で描くということが
衝撃的だったわけで、ひょっとしたら、作り手は彼女たちのセクシーさを表現したかっただけなのか?とも思える。

個人的には、このシナリオはさすがに何とかならなかったのか・・・と思えてならないのですが、
全体的にもう少し素直に、丁寧に描いていたら、映画の印象は変わっていたかもしれませんね。
如何にも現代的なスピード感を持って描いていると言えば聞こえはいいですけど、全体的に雑な印象が残ります。

監督のジョン・マクノートンは、93年の『恋に落ちたら・・・』の監督をした人ですが、
正直言って、どれくらい出来る人なのか、あんまり分かっていないのですが、本作はあまり感心しない出来ですね。

この映画の場合は、特にエンド・クレジットは飛ばさないで観るべきです。
二転三転するストーリーのカラクリを数点、エンド・クレジットの中でタネ明かしをしています。
正直、これはズルいなぁとは思ったのですが、確かに映画の本編には組み込みづらいシーンではありますね。
ただ・・・強いて言えば、ビル・マーレー演じる弁護士が最後に登場するシーンは、組み込んでも良かったのでは?

この映画の中には、「実はこうでした・・・」みたいなタネ明かしをするドンデン返しが、
少なくとも5回はあります。これだけ節操の無い映画というのも、珍しいなぁと感じるレヴェルですね。

だからこそ、この映画はホントはバランスを保つのがスゴく難しかった企画だったと思うんですよね。
結局、映画の見どころをデニース・リチャーズやネーブ・キャンベルに置いたのかもしれませんが、
やはり本来的には、この連続するドンデン返しを如何にして、自然に見せることができるかが勝負だった気がします。
それが本作、全く機能させられなかった時点で、僕の中ではどうしても良い印象を持てなかったのですよね。

僕の勝手な想像ではありますが、監督のジョン・マクノートンも映画のバランスを保って、
ストーリー展開を自然に見せる努力というのを、最初っから放棄してしまったような印象を持ちましたね。
逆にその節操の無さを利用して、コロコロ変わる展開の速さを“売り”にする映画にしたかったのでしょうね。
厳しいかもしれませんが、僕はそれではダメだと思うんです。それでいいなら、小説で読めば良いと思うので。
(まぁ・・・ハイティーンの子たちの妖艶さは、確かに映像化しないと表現し切れないところまで踏み込んではいますがね)

どうしてもデニース・リチャーズのプロポーションばかりに目が行くかもしれませんが、
彼女の母親を演じたテレサ・ラッセルもスゴい貫禄と、抜群のプロポーションを維持していますねぇ。
特に一家の暮らす邸宅の2階から、マット・ディロン演じる教師に声をかけるシーンはインパクト絶大だ。
欲を言えば、このケリーの母親ももう少しメイン・ストーリーに絡んでくる存在にしても良かったと思いますねぇ。

物語を先読みすることが好きな人にとっては、楽しめる映画でしょうね。
まぁ、誰しも多かれ少なかれ、先読みはすると思いますが、一つ一つ気に留めながら観る人にはオススメできません。

作り手も確信犯的にこういう展開の映画にしているので、
ある種のジェットコースター・ムービーを求めている人に向いている内容になっていて、
90年代の多様化した映画界の中で派生的に、ドンデン返しをメインにした映画が多く誕生する口火を切りました。
そういう意味では、今でも本作のことをインフルエンサーとして評価する人の言うことは分からないでもないかな(笑)。

自分も教員を目指していたので、少しだけ内情を知っていますが、
やはり狭い世界なんで、教え子と恋愛関係になる教員って、少なからずいるのは事実です。
元々そういう下心があって教員になったのかは定かではありませんが、生徒からも憧れの対象になりがちです。

そういう気持ちを諭せるだけの度量があれば良いのですが、そうでない人がいるということでしょう。
卒業して成人してからであれば、個人的には好きにすればいいとは思いますが、“待てない”人がいるのが残念。

いみじくも、ケビン・ベーコン演じるデュケ刑事が言っていますが、
自宅に生徒をいれた時点で、教員に落ち度があると言っても、僕は過言ではないと思います。
この映画はその辺で、心が揺らぐ、脇の甘さというか、志しの低さに警告を与えているのかもしれません。

少々、都合良く解釈し過ぎかもしれませんがね・・・(苦笑)。

(上映時間108分)

私の採点★★★★☆☆☆☆☆☆〜4点

監督 ジョン・マクノートン
製作 ロドニー・ライバー
   スティーブン・A・ジョーンズ
脚本 スティーブン・ピータース
撮影 ジェフリー・L・キンボール
美術 ビル・ハイニー
編集 エレナ・マガニーニ
音楽 ジョージ・S・クリントン
出演 マット・ディロン
   ケビン・ベーコン
   ネーブ・キャンベル
   デニース・リチャーズ
   テレサ・ラッセル
   ビル・マーレー
   ロバート・ワグナー
   ダフネ・ルービン=ヴェガ
   キャリー・スノッドグレス

1998年度ロサンゼルス映画批評家協会賞助演男優賞(ビル・マーレー) 受賞