ホワイト・オランダー(2002年アメリカ)

White Oleander

親からの愛に飢えるティーンエージャーと、殺人罪で終身犯となった母親。
母は芸術家肌で好戦的な態度をとりがちな独立心旺盛な女性であり、それは娘も分かっていた。

もっとも、この母親は「アナタのためなのよ」の一言で、
娘を遠く離れた刑務所の中からも、縛りつけようとし、娘はそれに嫌気が差している。
しかし、環境に恵まれない母親は、「誰も信用するな!」と言わんばかりに、娘に優しくする手を
徹底して排除しようとします。これは娘を他人に取られることに対する危機感でしょう。

ミシェル・ファイファー、アリソン・ローマン、レニー・ゼルウィガー、ロビン・ライト・ペンの豪華顔合わせで
綴られた女性映画なのですが、思っていた以上にこれはヘヴィな内容で、ビックリしてしまいましたね。

プロデューサーとして名前を連ねているジョン・ウェルズって、
人気テレビ・シリーズ『ER −緊急救命室−』のプロデューサーとしてブレイクしたのですが、
どうやら映画界にも本格進出したようで、その関係かノア・ワイリーも出演していました。

まぁ映画の率直な感想としては、愛情とエゴは紙一重ということなんでしょうね。
ミシェル・ファイファー演じる母親はすぐに感情的になってしまう母親で、ティーンを迎えた娘を
一人で育て上げたせいか、娘を自分の言いなりにさせようとしてしまい、何もかも強制してしまいます。

傍から見ていると、彼女の行動・言動の全てがエゴの塊のようになってしまっているのですが、
ホントはそういったエゴを押し通されることが一番嫌いであるはずの母親が、一番のエゴイストになってしまい、
冷静さを失い、彼女を取り巻く全ての要素が、悪い方向へと向ってしまうようで、どうにも上手くいきません。
勿論、それは強く育てたいと願っていたはずの娘にも同様で、エゴを押し通す母親に娘は嫌気が差し、
刑務所への面会回数が減り、母親が願う女性とは正反対の方向へと育ってしまい、母は困惑します。

そんな現実を打破すべく、再証言のチャンスを得ることで釈放を目指し、
娘との時間の埋め合わせをしたいと願う母でしたが、娘から見れば、そんな懇願を受け入れたくありません。

単刀直入に言えば、娘からは「もうほっといて!」という気持ちだろうし、
娘に偽証を強要してまでも、エゴを押し通そうとする母の姿に憐れみさえ、思ったのかもしれません。
そして娘は一つの条件を母に提示します。この映画、ここで表現する突き放しは結構、良いですね。

言わば、この娘の条件提示のシーンで、映画は娘の自立を表現します。
それまでは母親の考えに縛られ、どうしても自分の意思表示をできなかった娘が
色々な人々との触れ合いの中で、愛情を知り、色々な考え方を知ります。
そうすることによって、母親の言っていることが全てでは無いということに気づくのです。
そこで彼女が選択した進路は、自立の道だったというのは、決してネガティヴなスタンスではないだろう。

但し、忘れてはならないのは母は決して娘を愛していなかったわけではないちうことですね。
このエゴの強さの源こそが、紛れも無く愛であったはずで、改めて複雑な想いにさせられます。

象徴的だったのは、映画の中盤でレニー・ゼルウィガー演じるクレアが
母親と刑務所内で面会するシーンで、二人っきりで話しをすることを提案され、
テーブルで向かい合って話しをするシーンで、母親はクレアの手を握り締め、彼女が逃げられないようにします。

これはまるで動物界である、子を守る親の行動の典型例のようなもので、
理屈ではなく、本能的に彼女が娘を守りたいとする気持ちが強く出たシーンだったと思う。
でも、これって現実的には親として、やってはいけないことなんですねぇ。これをやっては、子離れできません。
いくつになっても、子供の幸せを願うのは当然なはずで、いつまでも束縛しては幸せになるはずがありません。
要は自分のカラーに染めた娘を、他人に触れさせたくはないというのが本意なのでしょうが、
やはり色々なことを知らないと、人間って成長しないですからねぇ。それは分かっているのでしょうが。

期待の新人女優、アリソン・ローマンが撮影当時23歳というのにも驚きですが、
豪華キャストを相手にしても、実に堂々とした芝居で後々の高評価も納得の仕事ですね。
(本作の翌年03年に出演した『マッチスティック・メン』でブレイクしました)

それと、特筆に値するのは母親を演じたミシェル・ファイファーですね。
いつもの美しい存在感ってわけじゃないですけど(笑)、気持ちを抑え切れない芸術家肌の強い女性を
演じており、特に映画の終盤でテーブルに頬杖つきながら、こめかみに青筋立てて話しを聞いているという
リアルに感情を奮い立たせながら演じているあたりには、強い女優魂を感じましたねぇ〜。

まぁそんなミシェル・ファイファーと堂々と渡り合ったアリソン・ローマンは、やっぱり凄いですねぇ。
最近はあまり活躍を聞かなくなっただけに、チョット心配ではあるんですよねぇ。。。

正直言って、僕は本作を及第点レヴェルの映画という捉えしかしていないのですが、
とは言え、アリソン・ローマンに自由に幅広く演技させた功績はとても大きなもので、
感情的な傾向に陥ることなく無難に映画をまとめた、作り手の手腕はそんなに悪いものではないと思う。

ただ欲を言えば、この題材であれば、もっと大きく訴求するものであるべきであったということ。
残念ながら本作を観ても、あまり強く心に響くものが無いというのは、寂しい結果ですね。
これは本作の作り手にもっと経験があれば、最後に何かしらのアクセントを付けたはずで勿体ないですね。
あまり派手に描くことを避けた結果なのでしょうが、無難な選択肢をとったのが、仇(あだ)になってるかも。

(上映時間109分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 ピーター・コズミンスキー
製作 ハント・ロウリー
    ジョン・ウェルズ
原作 ジャネット・フィンチ
脚本 メアリー・アグネス・ドナヒュー
撮影 エリオット・デイヴス
音楽 トーマス・ニューマン
出演 ミシェル・ファイファー
    アリソン・ローマン
    レニー・ゼルウィガー
    パトリック・フュギット
    ビリー・コノリー
    ノア・ワイリー
    ロビン・ライト・ペン
    コール・ハウザー