ギルバート・グレイプ(1993年アメリカ)

What's Eating Gilbert Grape

スウェーデン出身のラッセ・ハルストレムのハリウッド進出第2作となったヒューマン・ドラマ。

アメリカ中西部の田舎町で手作りの木造家屋で家族5人で暮らす一家をメインに、
自殺した夫の死後、心を閉ざすように家に引きこもり、ひたすら過食を繰り返して肥満体となり、
家から動けなくなってしまった母親に代わって、子どもたちが家事をし、更に18歳になる知的障碍を抱える、
三男のアーニーの日常生活の世話をしていた。そんな中で、次男で全てを背負い込むように、
将来の夢を持つことを諦めて、目の前の日常に追われていたギルバートを中心に、彼らの日常を描きます。

僕は正直言って、ラッセ・ハルストレムの監督作品って、好き嫌いがハッキリ出てしまうので、
チョット苦手な印象が拭えないのだけれども、本作は良い仕上がり具合だと思う。彼の良さがしっかり出ている。

そして、ギルバートを演じた主演のジョニー・デップにしろ、
アーニーを演じたデビュー仕立てのレオナルド・ディカプリオにしろ、若手俳優たちが素晴らしい芝居。
特に劇場公開当時、大きな話題となった本作のレオナルド・ディカプリオは、神懸っていると言っても過言ではない。

退屈な日常の鬱憤を晴らすべく、若きギルバートと不倫関係にあった主婦とのエピソードが、
個人的にはウザったかったのですが、それでも演じるメアリー・スティーンバーゲンの存在感も際立つ。
最後に捨て台詞、「あなたに譲るわ」と言い残して、喪服姿で退場していくのは、あまりにカッコ良過ぎる(笑)。

それとは対照的に、トレーラー・ハウスで旅する若き女性ベッキーを演じたジュリエット・ルイスも好演で、
ギルバートにとって、それまで接したことがなかったタイプの女性であったベッキーとの出会い新たな感覚を持ち、
不器用ながらも徐々にお互いの距離を詰めていき、最後はベッキーからグッと寄ってくるなんて、なんとも瑞々しい。
ギルバートの色恋に関しては、対照的に2つのエピソードを見せているが、ベッキーとの自然体な関係が好印象だ。

そういったギルバートの不器用な性格と、アーニーに少し手を焼き気味なところ、
そして色々なギルバートの思いが錯綜し、考えがまとまらず、悩みを誰にも打ち明けることができないまま、
日々が進んでいき、その中で次々とトラブルが起こるという、自力では脱出しがたい閉塞感を上手く描けている。

これは一見すると、田舎町特有の感覚と思われがちですが、人間誰しも抱えうるパーソナルな問題だ。

そんなパーソナルな問題を、ラッセ・ハルストレムは実に暖かな眼差しで、優しく諭すように描いていく。
そしてペースは急がず、少しずつ通り過ぎたり、遠ざかっていく情景を観客の脳裏に焼き付けるように見せていく。
叙情的な側面があり、時に感情的に見せたり、その出し入れが実に的確で映画の空気を壊さない上手さがある。

勿論、田舎暮らしは都会にあるような刺激は希薄だろう。最近はそうでもなくなってきている部分もあるだろうが、
それでも縦も横もつながりを求められ、地域に暮らす人口が少ないせいか、おのずと皆、顔馴染みの関係になる。
“密”な部分を求められ、顔馴染みが多いがゆえに、受け取り方によってはよそ者を受け付けない雰囲気もあるかも。

生活を送る上での選択肢はどうしても限られるので、将来の選択肢も多くはない。
それゆえか、大人になると故郷を離れるというのが、いつの時代も常である。若者が定着しないために、
人口は減り、後継者も不足する。いつしか跡継ぎがおらず年寄りが残り限界集落と化す。典型的な過疎の構図だ。
本作ではそういった社会的なテーマとして捉えてはいないだろうが、主人公のギルバートの姿に若者の将来と
そんな将来を犠牲にしてでも、守らざるをえないことを描いている。僕はそこに正解はないと思っているのですが、
ギルバートのように重た過ぎる日常を抱え、思い悩んでいる若者もいて、現代で言えばヤングケアラーが該当する。

思わず、「こうなる前になんとかならなかったのか・・・」と思ってしまいがちですが、
人間社会の出来事なので、そんなに簡単に事前に手を打ってなんとかなるほど、容易なことではないのだろう。
特にギルバートの母親は、一家を支え幸せに過ごしていたと思えた夫の自殺という、あまりに残酷な現実を前に
心を閉ざし、自力では前へ進めなくなってしまったのだから、これはとてもシリアスな問題を内包していると思う。

そして、世代交代を迎えるとき、ギルバートら子の世代だけが残されて、彼らは何を思ったのか?
僕にはこの映画のラストの在り方が、なんとも複雑なニュアンスを含んでいるように見えて、何とも切なかった。

ある意味では、彼らは解放されて次のステップを歩もうという段階に来ているとは思うが、
それでも、その歩みは容易いことではない。そもそもギルバートらは故郷の町を出たことがないのですから。
それでいて、思い出がいっぱい詰まった自宅を、過去と訣別するかのように、あのような決断をするに至った、
ギルバートらの心境はなんとも複雑なものだろう。生家を離れるということは、少なからずとも悲しいことですから。

ギルバートも自分の母親が近所の子どもたちの好奇の目に触れられているというのに、
率先して子どもたちの“覗き”を促したり、結構謎な行動をとってはいたのですが、それでも家族愛は深いはずだ。
アーニーの面倒を看ることに責任感を持ち、乱暴な扱いを許さないと信念を持っている様子からは、
それが良いか悪いかは別な話しとして...献身的に家庭を支えるというギルバートの家族愛を感じさせる。
だからこそ、アーニーに感情を抑えられなかった自分を恥じ、強く後悔していたし、家へ帰ってくるのです。

この映画で描かれるテーマに対しては、ラッセ・ハルストレムは何も結論めいたものを描かない。
しかし、だからこそ本作は強い映画に仕上がったのだろうと思う。押しつけがましいメッセージは、本作にはありません。

それゆえ、訴求力は弱いがギルバートらが生家と別れを告げるシーンで見せる表情は物語るものが多い。
それは彼らの自立心を示すものでもあるが、相反するような寂しさも感じさせる、なんとも複雑な感情が交錯する。
しかし、無意識的に彼らは彼らの手で家を手仕舞いにすることは必然であったと、強く感じさせるシーンでした。

思えば、本作で描かれた田舎町もどこか独特な町であることは否定できない。
クリスピン・グローバー演じる葬儀屋は、友人がハンバーガーショップをオープンさせて霊柩車で店に行くし、
町のカフェでは堂々とデカい声で、死体の話しをする。現実世界なら嫌な話しだが、映画のキャラクターとしては面白い。
こういうチョットした場違いなキャラクターが映画を壊すことはあるのですが、本作はそんなことにもなっていない。

ヤングケアラーになってしまった子どもが、家族の運命を背負うということは万国共通のテーマなのかもしれない。
実際、本作で描かれた家族もギルバートがいなくなれば、アーニーの面倒は看きれなくなることは明白である。
なかなか良い打開策は見つからないが、それでもギルバートに全てを背負わせてしまうのは観ていてツラい。

そういう意味で本作は、かなり時代の先取りをした内容であると言ってもいいと思う。
それとなく描かれてきたことではあるけど、本作ほど問題に肉薄した作品は無かったように思います。

アーニーのような障碍を抱えた子どもを自宅で養育し、面倒を看ている家庭は多くあります。
一緒にいることが幸せであると考える家族もありますし、いろいろな問題からソーシャル・サービスにアクセスできずに
苦しんでいる家族もいるだろう。それは、とても尊いことであり、とても大変なことだろうと思う。どうすることが正解、
とは言い切ることはできないだろうし、家族の考え方や環境により選択肢は変わるのだろうと思います。

本作を観ていて感じたことは、そういった家族をサポートする環境は社会的に整えるべきだということ。
いつでも容易にアクセスできる環境があるだけで支えになるだろうし、ホントに苦しいときに最も必要なことになります。
本作は社会派映画というわけではないけれども、そんな社会的なテーマを内包した作品としての側面もあります。

公共の福祉であるべきだけど、ホントの意味で全員に平等に行き届かせるというのは難しいだろう。
しかし、助けを求めたいときに容易にアクセスできるということは重要なことだと思う。本作で描かれるギルバートも
自分でやることが必然とばかりに全てを背負い込んで、母親からも「あなたは騎士(ナイト)よ」と言われてはいるが、
これは事実上、ギルバートを拘束し続けていることでもあり、彼自身が社会福祉サポートを容易に受けられれば、
ギルバートの歩む道も、家庭環境も早い段階で変わっていたことだろう。現実的にはとても難しい問題だけど・・・。

ちなみに一家の母親を演じたダーレン・ケイツは両親の離婚を契機に過食症となったようで、
残念ながら2017年に69歳で他界されましたが、原作者のピーター・ヘッジスに見い出されて本作に出演したようだ。
彼女自身、過食症に大変苦しんだようですが、本作の母親役は彼女のためにあったと言っても過言ではありません。

(上映時間118分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 ラッセ・ハルストレム
製作 マイアー・テパー
   ベルティル・オルソン
   デビッド・マタロン
原作 ピーター・ヘッジス
脚本 ピーター・ヘッジス
撮影 スヴェン・ニクビスト
音楽 アラン・パーカー
   ビョルン・イシュファルト
出演 ジョニー・デップ
   レオナルド・ディカプリオ
   ジュリエット・ルイス
   メアリー・スティーンバーゲン
   ダーレン・ケイツ
   ローラ・ハリントン
   メアリー・ケイ・シェルハート
   ジョン・C・ライリー
   クリスピン・グローバー

1993年度アカデミー助演男優賞(レオナルド・ディカプリオ) ノミネート