俺たちは天使じゃない(1989年アメリカ)

We're No Angels

55年にハンフリー・ボガート主演で映画化した同名作品のリメーク。
但し、今回は神父に間違われて教会に潜伏するなど、物語の細かな部分は大きく異なっています。

デ・ニーロとショーン・ペンの共演って、今となっては結構スゴいことだと思うんですが、
あまり大きな話題とならずに劇場公開が終わってしまったことが象徴するように、評判はあまり良くない。

確かにこの映画は僕もあまり楽しめなかった。
これはオリジナル作品とまともに比較しては、ストーリーの下地が違い過ぎてダメだと思うし、
コメディとしては悪い意味で中途半端で、なんだかコメントしづらい内容であることは事実だ。
まぁ、ショーン・ペン演じるどこか気弱な青年が、思いつきで大衆の前で説教するシーンにしても悪くはないが、
いかんせん、脱獄囚2人組が教会に隠れることができたということ自体が、どこか胡散クサくって、
実際にデ・ニーロとショーン・ペンが演じる2人とも、お世辞にも神父に見えるとは言い難く、どこか信じ難い。

結局、僕の中では本作にとって、これが最後の最後まで致命的なミスマッチ。
ニール・ジョーダンもディレクターとしては力量ある人だとは思うけど、主演2人の芝居が過剰に目立ってしまった。
こうなってしまうと、2人がやればやるほど映画にとって悪影響に見えて仕方がなかったですね。

しかも、映画の冒頭でヌードを見せたデミ・ムーアにしても印象には残りますが、
彼女までデ・ニーロとショーン・ペンに負けじと、一生懸命芝居しようとする雰囲気が出てしまうので、
どだい密室劇でもなく、舞台劇の延長のような見せ方が適さない映画なのに、演技合戦の様相を呈してしまう。

そして、演技合戦で映画が“もつ”ほど、バチバチ火花散る・・・という感じでもないので、
どこか悪い意味で中途半端になってしまっている。作り手の映画の狙いとしては、分からんでもないのですがね。

デミ・ムーア演じるシングルマザーの役どころは、「金! 金!」とデ・ニーロに迫るシーンばかりで、
難聴で言葉を発しない娘を抱えて貧しい生活を送る彼女について、もっとしっかりと描いた方が良かったですね。
映画のクライマックスで娘に関するエピソードがあるにはあるのですが、終盤まであまり物語の核となる部分に
絡んでこない、言わば脇役のような扱いなので、当時の彼女の人気からすると、この役に彼女は勿体ない。

まぁ、よく見たらデビッド・マメットの脚本なんですね。
彼が脚本を書くと、確かに舞台劇のような映画になりやすいので、これは当然の結果なのかもしれません。

しかし、本作で特筆に値するのは、映画の冒頭の脱獄シーンでしょう。
これは正直、惹き付けられました。本作の雰囲気に不釣り合いなくらい、この脱獄シーンはなかなか見せてくれる。
僕はこの冒頭の脱獄シーンだけで、この映画がオリジナル作品と良い意味で差別化を図ることができていると思った。

脱獄囚の一人ボビーを演じたジェームズ・ルッソが失礼ながらもホントに悪そうな風貌で、
先陣切って2人を誘導するように追っ手をかわして脱獄するものだから、アクション映画なのかと錯覚するほどだ。

ニール・ジョーダンは後に文芸的な路線の映画で評価されるようになったので、
あまりコメディ映画が得意ではないような気がするのですが、88年の『プランケット城への招待状』はコメディでしたね。
実際、本作は脱獄囚2人のギャップ、なかなか思い通りにカナダへ移動できないもどかしさを喜劇的に描くのですが、
いかんせんオリジナル作品があるリメークなだけに、おのずとハードルが高い企画だったような気がします。
そういう意味では、もっとオリジナルのようにコミカルなエピソードを強調して描いた方が、良かった気もしますしね。

あくまでキャラクター設定の問題ですが、個人的にはデ・ニーロ演じるネッドをもっとクレバーで
若造のジミーを引っ張るくらいの強引さがあっても良かったと思うし、一見すると悪そうな風貌のショーン・ペンが
実は気の優しい若者という設定をもっと生かして、彼らの凸凹な関係や見た目とのギャップを楽しむ内容として、
もっと強く描いた方が良かったと思いますね。映画全体として、本作のニール・ジョーダンの演出は大人し過ぎます。

オリジナルは人情劇でもあったのですが、本作はそういう感じでもなく、
宗教をメインテーマに変換してしまったせいか、映画を余計に難しくしてしまったように感じました。
この映画の場合は、もっと単純に描いた方が面白さを引き出せたと思うし、コミカルにも描けたと思います。

ネッドとジミーが、何故、著名な神父と間違われたのかは、よく分かりませんでしたが、
映画の中盤では、いつ2人の素性がバレるかとヒヤヒヤさせられるシーンが続いて、
この緊張感は上手く描けていたので、許容してもいいところでしょう。唯一、本物の2人が現れるといった
エピソードを残したまま終わってしまったので、これは描いた方が良かったと思うんだけれども。。。

映画のラストの味わいは、どこか温かく、現在進行形みたいな終わり方で良い。
そういう意味では、作り手は本作の評価が高ければ、続編もあるかもしれないと思っていたのでしょうか。

コンプライアンスなどにうるさくなった現代日本の市民感情からすると、
悪事を働いて収監されたネッドとジミーですから、脱獄して、身分を偽って神父に紛れて教会に潜伏した挙句、
このようなラストだと否定的に捉える人もいるでしょう。その意見も理解はできますが、ここはあくまで映画。
どこかで寛容的に観なければ立ち行かないと個人的には思うのですが、それもあってか、本作の作り手も敢えて、
ネッドとジミーが何の罪で収監され何年の刑に服しているのか、詳細には語ろうとしていないですからね。

言葉は悪いが...神父のくせに、教会での作法を知らないなんてありえない設定で、
それを笑いに変えようというのが、本作のコンセプトかと僕は勝手に思っていたのですが、
そういう感じではないというのが、映画を悪い意味で中途半端なコメディ映画という印象にしてしまったのかも。
ニール・ジョーダンにとっては、本作自体が大きなチャレンジであったのではないかと思うのですが、
前述したように色々なギャップをもっと強く描いて、もっとコミカルな描写に徹した方が良かったのではと思います。

国境の橋で、カナダに逃げたいという願望とのせめぎ合いがあったので、
映画に何度もカナダとの国境を渡ろうとチャレンジするシーンがありますが、ここで右往左往するのも
もっと盛り上げようと思えば出来たはずなのに、なんだか中途半端な笑いで終わってしまう。

オリジナルである55年の第1回映画化作品は大人向けの御伽噺と解釈するとすれば、
第2回映画化作品である本作は、メルヘンな要素を一切排除した大人向けのコメディと解釈できる。

ハンフリー・ボガートのおトボけ芝居と、デ・ニーロの顔芸を単純比較はできないが、
強いて言えば、本作はショーン・ペンのような相棒格にあたる存在が、オリジナルよりは存在感強く描かれています。
それはジョン・C・ライリー演じる、表向きは(?)心優しい若い修道僧がやたらとジミーのことを気に入って、
映画の終盤には寂しそうな表情を見せるからこそですが、これは明らかに作り手も意識して描いた部分でしょう。
(当時、若手俳優の有望格であったショーン・ペンをキャスティングしたので、当然と言えば当然ですが・・・)

余談ですが、クライマックスの砂防ダムのようなところから流れ落ちるシーンは
かなり過酷な撮影だったのではないかと思えるほど、落ちる姿を真正面からカメラ撮影したり、
撮影現場でも工夫して苦労の痕跡がうかがえますが、映画の冒頭同様、アクション・シーンには気合が入っている。

そう思うと、映画の中盤をもう少し上手く撮れていれば、映画の印象は変わったのではないかと思える。
台詞の応酬がある映画というわけでもないので、演技合戦に終始するというのは、少々勿体なかった。

(上映時間106分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 ニール・ジョーダン
製作 アート・リンソン
原作 ロナルド・マクトゥガル
脚本 デビッド・マメット
撮影 フィリップ・ルースロ
音楽 ジョージ・フェントン
出演 ロバート・デ・ニーロ
   ショーン・ペン
   デミ・ムーア
   ブルーノ・カービー
   ホイト・アクストン
   レイ・マカナリー
   ジョン・C・ライリー
   ジェームズ・ルッソ