めまい(1958年アメリカ)

Vertigo

50年代はヒッチコックのキャリアとしては、正しく全盛期であったと思います。
そんな50年代後半、正にヒッチコックが円熟期を迎えた頃の監督作品で、これはどこかトリッキーな作品だ。

結論から言いますと、僕は本作をそこまで良い出来の作品だとは思っていません。
と言うか...ただ単に個人的に好きではない、という言い方の方が適当なのかもしれませんね。

いや、だって、この映画は少し変なんですよぉ(笑)。
ヒッチコックのフォルモグラフィーの中でも、評価の高い作品であることは重々承知してますがね、
何度この映画を観ても、僕には主人公の行動がストーカーというか、異様なものに見えて仕方がない。
だからヒッチコックの映画にとって、大きな要素であるはずのヒロインとの恋愛に納得性が無い。

いくら一目惚れのような感覚に陥ったからと言って、
旧知の友人から妻の尾行を頼まれて、その妻が海に投身自殺を図ったからと言って、
助けて自分のベッドルームに連れ込み、勝手に濡れた服を脱がして着替えさせてるって、いやいや変でしょ(笑)。

こんなことを言っちゃうと、映画がつまらないものにしか観えなくなっちゃう気もするけど、
僕にはどうしても、この主人公の行動がおかしなものに見えて仕方がないのですよね。
それと同じように、死んだはずの友人の妻と思わしき女性を、街で見かけたからと言って、
白昼堂々と、彼女の住むホテルの一室の玄関を訪ねて、部屋に入れてくれと交渉できる神経の太さがスゴい。

今の時代でこれをやったら、それはもう...不法侵入で訴えられますよ(笑)。
1958年当時の感覚が分からないのであまり強いことは言えないのですが、
ひょっとしたら、当時でもこの主人公の行動に違和感を持っていた観客もいたのではないかと思いますがね。。。

そんなことに気付いてか否かは分かりませんが、ヒッチコックはおかまいなしに
お互いに惹かれ合う心を抑えられない男女の心の揺れ動きを、半ば強引に描いていきます。
そこに上手い具合にミステリーの要素を挿入しているわけで、この辺はヒッチコックの要領の良さが光ります。

まぁ・・・有名な話しではありますが、ヒッチコック自身も本作を失敗作だと評していたようです。
それはヒロインを演じたキム・ノヴァクとの軋轢であったと言われていますが、真相は分かりません。
撮影現場、そして映画完成後も意見の食い違いが多くあったようで、当時、ハリウッドでも巨匠扱いだった
ヒッチコックの怒りをかったようで、キム・ノヴァクはその後、所属していた映画会社ともギャラでもめてしまい、
60年代に入ると映画女優としては干されてしまったかのようになりましたので、本作が実質的に彼女の代表作です。

ところで、この映画で描かれたことが“めまい”に該当するのか、
正直、僕にはよく分からないのですが、要するに主人公は高所恐怖症で“めまい”を発症するようだ。

そんな彼の“めまい”を起こす映像表現として、ミニチュアの模型を使ってズームアウトするショットを
採用しているのですが、この映像表現自体は後年、数多くのメディアで使われています。
この恐怖を彩るようにバーナード・ハーマンの音楽も秀逸で、これは『サイコ』の音楽の前哨戦のようだ。
大袈裟な言い方かもしれませんが、表現としてはこのショットの誕生だけで、本作は十分な価値があるのかもしれない。

僕は忘れもしない2010年の夏に、メニエール病を発症しました。
当時から言われていたことですが、正確には完治することがない病気で、生涯付き合うしかないようです。
今でも調子が悪い時は、たまに軽い“めまい”があります。症状が強く出ていたときは、生活に支障がでます。

当時は仕事のストレスではないかと指摘されてましたが、正直、何が原因なのか分かりません。

僕の場合は回転性めまいなので、要するに何の前触れもなく突然、激しく目が回り始めます。
それも尋常ではない時間、ずっと目が回り続けるわけで、(個人的には)不思議なことに目を閉じても目が回ってます。

調子が悪い時は、寝てしまえば何とかなると思っていましたが、
こればっかりはそもそも寝られないし、寝ている途中で突然目が回り始めることもあったし、
如何ともしがたい状況で、症状が頻繁に強く出ていた2010年は一時的に仕事を休養しようかとも思っていました。
(通勤で車を使うということもあり、薬を服用していても即効性がなくて、制御不能と思っていたからです)

今は強い症状が出なくなり、雲行きが怪しいなぁと感じるときも予兆を感じて、
なんとか制御できそうな感じでやってますが、5年くらい前にももう一度、定期通院して薬を服用してました。
就職してからは、いろんな症状でいろんな病院にお世話になってますが(笑)、“めまい”はホントに嫌な症状です。

映画の内容が内容なだけに、この“めまい”の恐ろしさを描けていたかは疑問に思う。
やはり主人公とヒロインの恋愛の違和感が強過ぎて、この“めまい”の感覚も映画の中で薄らいでいると思う。
個人的には、やはりヒッチコックの監督作品なんで、もっとスリラー色豊かな内容で良かったのではないかと思います。

そういう意味で、激しい波しぶきをバックに執拗にキスシーンを撮るなど、
映画的な余白をイメージしたと思われる、主人公とヒロインの恋愛の描き方は少々クド過ぎたかなぁ。

それから、主人公の日常生活の世話をしている、謎の女性マージョリーを演じた、
バーバラ・ベル・ゲデスが映画の中でキーマンなのかと思いきや、後半はアッサリ退場するのも、なんだか不可解。
僕はてっきり主人公のストーカーまがいのヒロインに対する執着や、このマージョリーの屈折した感情が
この映画のスリラーとなるのかと期待していたのですが、全て空振りな感じで終わるので、どこか不発でしたね。

こういった、何がしたいのか、よく意図が分からないシーンが多いというのは、
当時のヒッチコックの監督作品としては、極めて珍しいと思います。この不発さが、ヒッチコックらしいというわけでもない。

ただ、本作はこのフィルムの色合いの美しさ、当時のテクニカラーの良さがあるからこその作品でもあるのでしょう。
どうやら、90年代にフィルムの保存状態が悪く、本作が好きな技術者が長い時間をかけて復元したらしく、
今はレストアされたフィルムを鑑賞できているというのが、とても大きなポイントだと思いますね。

映画の冒頭にある、主人公の邸宅の一室を映すシーンからして、
色彩豊かで映像がとても美しいのが印象的で、是非、多くの映画でこれをやって欲しい(笑)。
たぶん、ヒッチコックの監督作品でここまで手をかけられているのは、本作と54年の『裏窓』くらいでしょう。

せっかくニューロティックな側面のあるシナリオでもあるのですから、
もっと主人公とヒロインの精神状態が混沌とする境地に追い込まれるようなサスペンスがあっても良いですねぇ。
この映画のヒッチコックは、そういう登場人物を追い込むような演出をするというよりも、
主人公のストーカーまがいの常軌を逸した行動力を、思いのまま演じさせたりして、あまり積極演出ではない。

いつものヒッチコックならもっと精神的に追い込んで、観客をもパニックに陥れようとすると思うのですよね。
そういう意味では、やはり違うアプローチをした作品ということで、これまでとは違うことをやりたいとする、
ヒッチコックなりの挑戦でもあったのかもしれませんね。そう思うと、ジェームズ・スチュワートは適役かも。

そう思うと、この映画でヒッチコックが描きたかったことは本妻殺しの完全犯罪ではなく、
あくまで主人公スコッティの倒錯した異常性、ということだったのかもしれませんね・・・。

(上映時間129分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 アルフレッド・ヒッチコック
製作 アルフレッド・ヒッチコック
原作 ピエール・ボワロー
   トーマス・ナルスジャック
脚本 アレック・コッペル
   サミュエル・テイラー
撮影 ロバート・バークス
音楽 バーナード・ハーマン
出演 ジェームズ・スチュワート
   キム・ノヴァク
   バーバラ・ベル・ゲデス
   トム・ヘルモア
   ヘンリー・ジョーンズ
   エレン・コービイ
   レイモンド・ベイリー
   リー・パトリック

1958年度アカデミー美術監督・装置賞 ノミネート
1958年度アカデミー音響賞 ノミネート