忘れられない人(1993年アメリカ)

Untamed Heart

極寒の都市ミネアポリスを舞台に、
暴漢に襲われそうになったウェートレスを、彼女と同じダイナーの厨房で働く無口な青年が
助けたことからウェートレスは彼に恋するものの、実は青年は幼い頃から心臓に大きな疾患を抱え、
心臓移植しか助かる道はないとされながらも、彼自身が心臓移植を拒むという葛藤を描いた恋愛映画。

90年代初頭から半ばにかけて、この手の恋愛映画が流行りました。
おりしも日本ではトレンディー・ドラマのブームが一巡した頃ではありましたが、
今では考えられないレヴェルで次々とTVドラマが高視聴率を叩き出していた時代で、
本作をモチーフにしたと思われるドラマも製作されたくらい、このようなストーリーが大流行しました。

で、映画の出来はというと、劇場公開当時は高評価だったそうなのですが、
個人的には映画の最後の最後まで乗り切れず、どうにも消化不良なままで終わってしまった感があります。

そもそも、クリスチャン・スレーター演じるアダムは奥手で性格的に無口で、
自分を前に出せないという前提条件は分かるものの、やってることはどう見てもストーカーとしか思えず、
ヒロインを演じたマリサ・トメイも、なんでこんなに簡単に彼になびいてしまうのか、僕にはどうも理解できません(笑)。

まぁ・・・言い換えると、そんな突拍子もない設定の映画でも、
2人の恋愛を納得性もって描けていれば問題ないのですが、それだけの力があるように見えないのですよね。

トニー・ビルというディレクターの演出自体も、突出して輝くものは感じられず、
良く言えば手堅い映画なのですが、悪く言えば肝心なところが抜け落ちている映画といった印象だ。
おそらく好きな人にとっては、この上なくハマる映画なのでしょうけど、僕はどうにも感心できない。
トニー・ビルといったら、80年の『マイ・ボディガード』の鮮烈な監督デビューが有名ですが、
キャリアを積み重ねてきたディレクターだからこそ、この内容では少し寂しいような気がしますねぇ・・・。

個人的に思うことは、やはり恋愛映画って作り手の“バランス感覚”がとても大切だということ。

少なくとも、観客に妙な違和感を与えるような映画になってしまってはダメだと思うんです。
例えば本作にしても、主人公のアダムの無口さを決して快くは思っていなかったはずのヒロインが
何故にそうも簡単にアダムに惹かれていくのか、作り手はその過程を省いてはいけないと思うんです。
だって、それがこの映画の本質そのもので、2人の恋愛自体の出発点なのですから。

それでも、映画が「そんなことは戯言にしかすぎない!」と強引に押し切れるだけの力があるならいいんです。
そんな力強さがあれば、観客が多少の違和感があったとしても、映画の世界観に押し切られてしまうのですが、
言うまでもなく、僕にはそれだけの力強さが本作には感じられず、結局、違和感が残ってしまったなぁ。

その違和感というのが、アダムがストーカーとしか見えないとか、そういう感覚なんですね。
いや、アダム自身、好意的に言えば、彼は自分を表現することが得手ではない性格で、
ヒロインのことがずっと気になっていたけれども、自分の想いを上手く伝えられないことは勿論のこと、
どうコミュニケーションをとったらいいのか分からないなど、そういったもどかしさをもっと描けば、
アダムに対してのマイナスな違和感は生まれなかったと思うのですが、どうも映画は省いちゃってるんですよね。

キャスティングとしては、アダムを演じたクリスチャン・スレーターは彼にキャリアの中では、
確かに本作の頃が“旬な”時期ではあったけれども(笑)、女優陣の方がインパクトは残せたと思いますね。

特に前年『いとこのビニー』でオスカーを獲得していたヒロインを演じたマリサ・トメイは、
相変わらずのキャラクターですが、この時期にもっと積極的に本作のような映画に出演していれば、
おそらくハリウッドを代表する“ロマコメの女王”としてブレイクしていたと思えるだけに、勿体なくさえ思える好演。

本作の後も『オンリー・ユー』などロマンチック・コメディのヒロインを演じていたことから、
この時期の彼女自身も、こういう役を好んで選んでいたようにも思うし、健康的なイメージのある彼女には
ピッタリな路線ではあったのですが、強いて言えば、本作のような静かな映画よりは賑やかな映画の方が合うかも。

彼女に負けず劣らずの助演と言えるのは、ヒロインのウェートレス仲間を演じた、
チャキチャキ元気なキャラクターで印象的なロージー・ペレスでしょう。彼女もとっても良い存在感だ。
彼女こそ、94年の『あなたに降る夢』などロマンチック・コメディでコメディ・リリーフとなる役回りで
強いインパクトを残していたことから、本作のような静かな映画でも映えるという、実に器用な女優さんですね。

まぁ・・・難病をテーマにした映画という割りには、
そこに固執せず、アダムの闘病自体をアッサリと描いたあたりは感心しましたね。
恋愛の果ての闘病という流れなので、闘病自体をしつこく描いてしまうと、映画の焦点がボケちゃうんですけど、
トニー・ビルがよく分かっていたのか、最初から描く気がなかったのか、あくまで恋愛にフォーカスしています。

良く言えば「純愛」、悪く言えば「ストーキング」。
この両極端な感覚が共存する映画となっているような気がしますが、トニー・ビルなりに頑張って、
映画をギリギリのラインで壊さない程度には上手く仕上げている。この辺の手腕はなかなかのものです(笑)。

まぁ、こういうのをストーカーという存在が注目されていなかった時代には
許された「純愛」と評する人も多いようですが、個人的にはそれは疑問ですねぇ(笑)。
こういうことって、不変的な部分は確実にあって、かつてだってアダムのようなことをやってしまっては、
不気味がられるだけでなく、場合によっては警察に相談されているレヴェルと言っていいように思います。

あくまでアダムは自分を上手く表現することが得手ではないという設定なのですから、
かつて許されたとか、今ならアウトとか、そういう概念でこの映画を語るよりも、
チョットした噛み合わせで、恋愛感情が高ぶる人間らしさの表れを楽しむ映画と言った方がいいでしょうね。

しっかし、クリスチャン・スレーターは90年代後半に入ると、
一気にハリウッドでも仕事が減ってしまったなぁ。そうなだけに本作のような映画が貴重に感じられます。

本作あたりが彼のキャリアのピークと言ってもいいかもしれませんね。
00年代に入ると、どちらかと言うとスキャンダルにまみれた“お騒がせ俳優”の部類になってしまいますので。
この頃はそんな存在になってしまうなんて、一体誰が予想していたことでしょうか・・・?

(上映時間102分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 トニー・ビル
製作 ヘレン・バートレット
   トニー・ビル
脚本 トム・シエルチオ
撮影 ヨスト・ヴァカーノ
音楽 クリフ・エデルマン
出演 クリスチャン・スレーター
   マリサ・トメイ
   ロージー・ペレス
   カイル・セコー
   ウィリー・ガーソン
   クローディア・ウィルキンス