ブレイクアウト(2011年アメリカ)

Trespass

ニコラス・ケイジとニコール・キッドマンの共演というのも、90年代の企画であれば、
もっと大きな話題となって、少々大袈裟かもしれませんが、このキャスティングだけで映画はヒットしたことでしょうね。

監督は『オペラ座の怪人』で話題となったジョエル・シューマカーですが、
さすがの手腕を発揮という感じで、あまり評判は良くなかったようですが、僕はまずまず楽しめましたよ。

なんか、映画として構成するにはヴォリューム感が薄かった気もするのですが、
良く言えばコンパクトに見せ場を凝縮した感じで、実に経済的な内容という感じで、とても分かり易い映画だ。
ひょっとしたら、もっとたくさんのエピソードを撮影していたのかもしれませんが、本作はこれくらいが丁度良いかな。

主演のニコラス・ケイジがダイヤを扱うブローカーとして“やり手”には見えないのが玉に瑕(きず)ですが、
一方で彼の演じたカイルの妻サラを演じたニコール・キッドマンは相変わらずの美貌で特筆に値する。
まぁ、こういう言い方もナンだけど、彼女がキャスティングされていなければ、ただのB級映画だったかも(苦笑)。

映画は、ダイヤモンドのディーラーであるカイルが久しぶりに帰宅したところ、
妻サラと一人娘エイブリーが衝突しているところから始まります。エイブリーは友達のパーティーに
一人で行くと主張するのですが、非行的な行動へつながることを恐れ、カイルとサラは行ってはならないと告げます。
そこでパトロールをしているとインターホンを鳴らしてきた警察官に対応するため、カイルが玄関のセキュリティを
解除したところから、彼らの悪夢のような一夜が始まります。警察官を名乗る連中は、実はカイルの邸宅の金庫に
隠してあるとされる高額のダイヤを狙った押し入り強盗団で、カイルは必死に抵抗しながら時間稼ぎをします。

カイルはカイルで口八丁手八丁で、強盗団の気を逸らしながら時間稼ぎをするのですが、
それはそれで理由があるわけで、それは映画の後半でその理由が徐々に明らかになっていきます。

映画の主旨としては、実は単純な強盗に襲われた一家の悲劇というだけではなくって、
カイルの妻サラを含めて、強盗団の目的や経緯に大金きな秘密があった・・・ということであって、
確かに単純な映画ではない。得てして、こういう大きなカラクリがある映画の種明かしって難しくって、
上手くやらないと映画が破綻すると言うか、徐々に支離滅裂な映画になってしまうことが多いのですが、
この映画はそういった破綻は無かったし、僕の中では違和感なく種明かしを観ることができましたね。

この辺は正直言って、作り手の経験値とセンスが物を言うと僕は思っていて、
ジョエル・シューマカーの確かな腕が、これだけの出来の映画に仕上げたと言っても過言ではないと思う。

やっぱりジョエル・シュマーカーは、例えば『バットマン フォーエヴァー』のように
規模の大きな、それなりの金額の予算がついた鳴り物入りの企画を監督するよりも、
93年の『フォーリング・ダウン』や02年の『フォーン・ブース』や本作のように、規模がそこまで大きくはない、
少々こじんまりとした映画の方が、彼なりの力量を発揮すると思います。こういう映画になると、妙に手堅いです。

映画の設定としては、02年の『パニック・ルーム』を想起させる内容ですが、
この映画のカイルとサラはチョット違っていて、ただただ脅されて怯むだけの夫婦ではない。
押し入った強盗にも、相応の秘密があることは徐々に明らかになるわけですが、逆にカイルに凄まれたりする。

この強盗、基本的にカイルの話しを聞き過ぎなあたりが、何か“裏”があると予想させてしまうのですが、
現実にはあんなに人質の話しを聞く強盗などいないでしょうね。あんなに口答えしてたら、命の保証はないでしょう。

また、そのカイルの口答えもダイヤをカットする職人がいるのか?とか、
一見するとどうとでもなりそうなことですが、よくよく考えると実は大事なことという“盲点”を
的確に指摘してくるからこそ、強盗も思わずカイルの話しに腹をたてながらも、聞いてしまうのでしょうけど、
確かに本作で登場してくる強盗の連中は、大それたことをしでかしたにも関わらず、少々杜撰な手口だ。

ホントは押し入った強盗の全員でなくても良いのですが、この中の1人でももう少し賢いキャラクターがいれば、
映画はもっと面白くなったというか、カイルと台頭に渡り合えたと思うのですが、残念ながら僕には
どうしても暴力的に強盗が押し入ったのに、何故か人質になったカイルの方が優位に立ったようにしか見えなかった。

どうせ、同じ展開になるのであれば、もう少し“駆け引き”として描いて欲しかったですね。
この映画の内容であれば、人質側が事件の主導権を握っているかのような構図にしない方が良かったと思う。
そういう意味では、ひょっとすると強盗側にもニコラス・ケイジとニコール・キッドマンの2大スターと
堂々と渡り合えるくらいのネーム・バリューのあるキャスティングは必要だったのかもしれませんね。

ただ、それを除けば、僕は十分に楽しめる内容ではあったと思いますけどね。
繰り返しになりますが、ニコラス・ケイジとニコール・キッドマンをキャスティングできていなければ、
B級映画に埋もれていたところを、ニコラス・ケイジとニコール・キッドマンの存在感で“もたせた”ようなものですから。

映画の早い段階で、幾度となく妻のサラと強盗犯の一人が惹かれ合っているかのような
回想シーンが何度も挿入されるのは、少々クドいなぁと感じたけれども、このしつこいくらいのリフレインは
上手い具合に映画の終盤への伏線にはなっているし、普通に考えたら、エイブリーくらいの年齢の娘がいる
母親という設定でニコール・キッドマンというのも、長くハリウッドで活躍しながらも若い頃からあまり変わらない、
彼女にしては妙な役柄ですが、そんな人妻に若い男が惑わされるというくらいの魅力は彼女にあると思う。

そういう意味では、少々粘着質なくらいに素直にひれ伏さないニコラス・ケイジと、
何か“裏”がありそうなニコール・キッドマンと、如何にも一筋縄にはいかない夫婦のように描いたのは正解でしたね。

ひょっとしたら、エイブリーがパーティーに外出するといったエピソードも敢えて作らずに、
カイルとサラの自宅でのエピソードだけで、映画を構成しても良かったかもしれませんね。
この映画の場合は、敢えて“移動”を表現せず、一方的に強盗に襲撃され自宅という閉鎖的かつ密室的環境に
人質として捕らえられるという悪夢のような恐怖を、観客も“缶詰め”にするような感覚で描いた方が
より心理的に追い詰められていく緊張感も生まれただろうし、その中で“駆け引き”も楽しめたかもしれませんね。

二転三転するストーリーの魅力もあるとは思いますが、僕はそれを差し引いても、
確かに本作は、題材的には面白かったと思うし、ナンダカンダで本作の味付けも悪くはなかったと思うんですよね。

ただ、この映画はその二転三転するストーリーを楽しむというよりも、
映画の前半での、カイルの妙な“往生際の悪さ”を象徴するかのように、時間稼ぎをするかのような
強盗とのやり取りと、強盗と妻サラの微妙な距離感、そして錯綜する思惑を楽しむ方が良いと思っています。

つまり、何にしてもなかなか物事は思い通りにならない...ということですね。
そして、こういう状況になると尚更、「相手の言うことはまともに信じるな」という教訓もあると思います。

残念ながら本作がジョエル・シューマカーの劇場用映画の監督作品としては、遺作になってしまいました。
大傑作というタイプの映画はあんまり無いんだけど(笑)、手堅い仕事にかけては定評があったし、
いろいろな色合いの映画を撮れる柔軟さ・器用さもあったので、もっと監督作品を観たかったですね。

僕は本作を最初に観た時は、ジョエル・シューマカーは存命でしたので、
まさか本作が彼の映画としては、遺作となるとは、全く思ってもいませんでした・・・。

(上映時間90分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

日本公開時[PG−12]

監督 ジョエル・シューマカー
製作 アーウィン・ウィンクラー
   デビッド・ウィンクラー
   レネ・ベッソン
脚本 カール・ガイダシェク
撮影 アンジェイ・バートコウィアック
編集 ビル・パンコウ
音楽 デビッド・バックリー
出演 ニコラス・ケイジ
   ニコール・キッドマン
   ベン・メンデルソーン
   カム・ジガンデイ
   リアナ・リベラト
   ジョルダーナ・スパイロ
   ダッシュ・ミホク