トランセンデンス(2014年アメリカ)

Transcendence

確かに完璧な映画だなんて言わないけど、これはそこそこ楽しませてもらった。

科学者でもある妻の支援もあって、人工知能の開発者として成功した主人公が
非科学を訴えるテロ集団によって命を奪われる結果となったことによって、
諦め切れない妻と友人の手によって、人工知能に自身の自我をアップロードされ、
妻と再び生前の夢を叶えようとするものの、それが人類にとっての脅威となる姿を描いたSFサスペンス。

カメラマン出身のウォーリー・フィスターの監督デビュー作として、
一部の映画ファンは注目していたようですが、これはまずまずのデビュー作と言っていいんじゃないでしょうか。

僕が本作を観る前に勝手に想像していたよりも、
遥かに映像偏重映画ではないというか、撮ることだけに注力した映画というわけではないですね。
ストーリー的な問題があったとは言え、思いのほか、映画の本質について考えた作品だと思う。

ウォーリー・フィスターは00年の『メメント』あたりからカメラマンとして注目され始め、
最近では08年の『ダークナイト』や2010年の『インセプション』あたりのカメラが印象的なのですが、
僕は勝手にもっと技巧に走った映画になっているのかと思っていたのですが、そうでもないですね。
奇をてらった内容というわけでもなく、とても基本に忠実に撮った映画という印象がありますね。

但し、少しクリストファー・ノーランの色合いが強く残り過ぎているというか、
どうも「クリストファー・ノーランなら、どう演出するだろうか?」と内心、思いながら撮影している節はあるかなぁ。
個人的にはそうではなく、ウォーリー・フィスターの個性をもっと出しても良かったようにも思うだけれども。

ストーリー的な面から言えば、少し道徳的な面から微妙な内容かもしれません。
得てして、不条理な物語とは、人々にストレスを与えるものですから、本作がそれに当たるのは否定できません。

と言うのも、人類は好奇心と、人々の生活水準を上げるためにと、
科学を発展させてきましたが、行き過ぎた科学の進展は、人間が慣れないうちに成し遂げると、
科学に人類が支配されるようになり、本来、管理されるべき機械が、人類を管理するようになる。
これでは人類が制御できる域を越えてしまい、もしかすると、人類の首を絞めかねない事態になるかもしれません。

勿論、それも人類にかかっているのですが、
こういう問題提起って、遥か昔から科学雑誌なんかで取り上げられていた問題で、今に始まった話しじゃない。
そうなだけに、一つあるのは、別に本作が目新しい物語ではないという点であって、これはどうしようもない。

もう一つ気になるのは、主人公のウィルの意識がアップロードされて、
人工知能の使い手となったことがキッカケで暴走し始めることが脅威として描かれるにも関わらず、
元をただして考えると、ウィルはテロ行為の被害者であるわけで、この映画のラストは実に複雑な味わいがある。

いや、実はこれって、とっても不条理な映画であるわけで、
おそらくこういうのが好きではない人って、少なくはないと思えるわけで、
チョットだけ思ったのは、この映画の宣伝から予想される中身と、随分と違うなぁ〜と思えることですね。
良い意味で期待を裏切るというのならいいのですが、これが“良い意味”と捉えられるかは微妙ですね(苦笑)。

ウォーリー・フィスターも頑張って映画を撮っているだけに、
こういうところで損をしてしまうのは、とっても勿体ない。初めての監督作品としては、難易度は高い企画だと思う。

こういう映画で、故意にザラついたカメラを採用したり、
手ブレさせまくるカメラにしたりする映像作家もいるのですが、本作はその類いではなく、
あまり小細工をしたカメラではないところも良いですね。ライティングを最小化して、全体的に暗めのシーンが
多いのが目立ちますが、これは映画全体を通して統一されたアプローチなので、僕は良いと思います。

設定のせいもあるけど、ジョニー・デップ主演作という割りには、
上映開始から約30分後に退場して、その後はほとんど画面の中の人になるから、
ジョニー・デップのファンからして見れば、これは不完全燃焼に終わってしまった映画なのかもしれません。

そういう意味では、少しだけ役者泣かせの映画ではありますねぇ。

撮影自体は約2ヶ月で終わったというだけに、ほとんどがセット撮影だったのでしょうが、
モーガン・フリーマンなんかも、あまり活躍の場が無く、少々、観ていて寂しいと言えば、それは否定できないかも。
(モーガン・フリーマンはゲスト出演に近いかなぁ・・・)

しかし、それでもウォーリー・フィスターが映像作家として活躍できそうだなぁと
そういう今後の可能性を示唆できている映画であることは間違いないと思う。
今後の課題もしっかり明確にできたと思うし、シーン演出や構成については、そう大きな問題があるとは思わない。
これから経験値を積み上げていけば、よりしっかりとした映画が撮れるようになってくると思いますけどね。

残念ながら、全米では評論家筋を中心に不評だったらしいのですが、
僕はそこまで悪い出来の映画だとは思わないし、今後の作品でそういうアゲインストな風を一蹴して欲しい。

それにしても、人工知能が発達するかは分かりませんが、
今後、遠からじと人間の生活がシステムや機械に支配される時代が来そうな気はしますねぇ。
現時点で既にネット社会が発達し、ある意味では人間はネットによって支配されているとも言えますけど、
人間が開発したシステムなどが、当初、人間が考えていた以上の機能を持ち始めるなんてことは、
あらゆる分野で見られるようになって、良くも悪くも人間の生活を変えていくでしょう。

やはり、そうなると如何に人間がそういったシステムや機械を制御するかがポイントなのでしょうね。
人工知能が自我を持つことの恐ろしさは古くから論じられてきていますが、どのように自我を与えるかも、
開発者である人間次第なんですね。現代社会はシーズよりもニーズとされていますが、ニーズ追究も重要ですが、
サプライヤーであるはずの人間、そして消費者がやはり冷静な目で見つめることも大切なのでしょう。

なんか、そんなことまで考えさせられる、深遠なるテーマを持った映画なんですがねぇ・・・。
確かに映画の出来は悪くないけど、そこまで深く訴求はできていないかもしれません(苦笑)。

(上映時間119分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 ウォーリー・フィスター
製作 アンドリュー・A・コソーヴ
    ブロデリック・ジョンソン
    ケイト・コーエン
    マリサ・ポルヴィーノ
    アニー・マーター
    デビッド・ヴァルデス
脚本 ジャック・パグレン
撮影 ジェス・ホール
編集 デビッド・ローゼンブルーム
音楽 マイケル・ダナ
出演 ジョニー・デップ
    モーガン・フリーマン
    ポール・ベタニー
    レベッカ・ホール
    キリアン・マーフィー
    ケイト・マーラ
    コール・ハウザー