トランセンデンス(2014年アメリカ)

Transcendence

これはAIが社会の中により浸透している現代社会にとっては、一つの警鐘ともなる作品でしょう。

原題は日本語で言うところの“超越”を意味していて、AIの先駆的な研究を行っていた主人公が
研究自体に反対する人によって命を狙われ、目論見通りに他界してしまうものの生前に彼が研究していた、
人工知能に自らの人格を与えて、それまでの常識の全てを“超越”して意思を発揮する姿を描いたSFサスペンス。

結論から言うと、この作品、僕はそこそこ面白いと思いました。出来自体もそこまで悪くはないです。
正直言って、ジョニー・デップの主演作品は最近当たりハズレの振れ幅が大きな印象があったのですけれども、
本作はそこまで悪くないです。AIが学習を繰り返して、人知を“超越”した活動をし始めるのは恐ろしいことですね。

技術が進展してAIを活用するのは良いけれども、その匙加減がスゴく大切であることを描いているかのよう。
昨今のオープンAIの存在とかで大きな社会問題になりつつありますが、それらを先取りしていたような作品ですね。

本作はいわゆる“シンギュラリティ”...つまり、人工知能が人間の能力を“超越”する地点を描いており、
その研究者である主人公が自らナノテクノロジーを駆使して、AIとなるという人知を超えた存在となる姿を描きます。
主人公夫婦は一緒になって研究していただけに、当初は妻も喜んでいたものの次第に彼女も疑問を抱きます。
結局はAIも人間が管理しないと、制御し切れずに悪い意味で“暴走”してしまう可能性を示唆的に描いています。

この視点は昔からありがちではありますが、より現実感漂う社会になっただけに、本作は意義深いと思います。

現代のAIはある一定の規則性を学習する「機械学習」と、機械学習した内容を人間の神経回路を模して、
そこから構築したネットワークを利用して、分類や新たな認識を導き出す「ディープ・ラーニング」の2つを取り入れる。
これらを組み合わせることで、より人間に近い知性を再現し、高度な管理や複雑な制御を司るようになりました。

僕は「そもそも機械が学習するって何よ!?」と思っていた人間なので、にわかに信じ難い世界だったのですが、
今となってはオープンAIもそうですが、自分の勤務先でもAI搭載の装置が導入されたりして、人間の仕事が次々と
AIに置き換わっていく様相を呈しています。以前は社会人たるや、属人的な仕事ではなくクリエイティヴな仕事に
していかなければ生き残っていけない...みたいなことを聞いていましたが、だんだんそうとも言えなくなってきました。

省人化・省力化・機械化と少子高齢・多死社会に向かっている現代日本に於いては、
10年ほど前から叫ばれる標語ではありますけど、これらは見方によっては人間の仕事を狭めているのかもしれません。

究極は「人間不要論」みたくなりますが、単純労働の方が機械に置き換わるスピードが速いかと思いきや、
意外と汎用する機械を作ることが難しく、どちらかと言えば、オフィスワークの方がAIなどに置き換わるスピードの方が
速くなってきているような気がします。今から更に10年の年月を経ると、もっとオフィスワークは変わっているかも。

正直言って、僕は内心、属人的な仕事をしている人の方が最後まで生き残るのではないかと思ったりもします。
勿論、その仕事が機械に置き換わる可能性はあるのですが、誰でも出来る仕事に終始したり、仕組みを作ったり、
考えたりする仕事に終始して、物事を実行する経験や能力がない人って、“オンリー・ワン”な存在ではないですからね。

本作で描かれる主人公は正しく“オンリー・ワン”な能力を持っている人であって、
それに反対する連中と敵対関係にはありましたが、世の中的にも彼の知名度と影響力はもの凄く大きかった。
それゆえ、彼が心血注いで開発していたAIに自らの自我を乗り移りさせるという、信じられない技術を開発します。
いや、現実にこんなことが出来るようになったら、それこそ不老不死ですからね。まぁ、実体はなくなりますけどね・・・。

最近は亡くなった芸能人や歌手をAIで復活させるなんて現実に取り組みもありますので、
本作で描かれたこともあながち絵空事ではなくなっていて、このAIで再現された故人が人格を持ち始めたら、
それはそれで大変なことになってしまいそうですね。これまでは人間が作り上げてきましたけど、AIがAIを作る時代が
来るかもしれず、そうなったら本格的に色々と制御が利かない時代になって、人間が支配されることになりかねません。

監督はこれまで『インセプション』などのカメラマンとして名を上げてきたウォーリー・フィスター。
本作が監督デビュー作となったようで、今のところは本作が唯一の監督作品なのですが、そんなに悪くない手腕かと。
劇場公開当時、本作はあまり評判が良くなったせいか、本作以降に監督作品が続いていないのがなんとも残念です。

ただまぁ・・・この映画は単純に当時からすると、かなり荒唐無稽な物語として捉えられたのでしょうね。
でも、これはあながち絵空事とは言えない時代になってきたせいか、今になって観ると評価は変わってくるのかも。

カメラとしては映画全体として暗めのトーンで統一されているし、砂漠の田舎町に作り上げた秘密基地の造詣は
無機質で人間の温かみや生活感を感じさせない雰囲気で統一されている。この映像感覚は僕は良いと思います。
ただ、仮想空間に実在した人間の自我を持ったAIが暴走し始めるという発想自体が少し早過ぎた映画だったのかも。

どうせAIの暴走を描くなら、世界征服を企むとか大きなテーマだったらSF映画としてスケールもデカくなり、
もっとエンターテイメント性がアップしたのでしょうけど、抵抗勢力に対抗するだけというのはスケールが小さかったかな。
ジョニー・デップ主演作品ということで注目度は高かっただけに、プロダクションとしては興行的失敗は痛かったでしょう。
(物語の発想としては『2001年宇宙の旅』の現代版だっただけに、期待値も大きかったのではないかと・・・)

まぁ、クリストファー・ノーランが製作総指揮として傘下した企画だっただけに、彼の影響を感じる作品ではあります。

ただ、その割りにはトリッキーな展開はなかったし、終盤のサスペンスな感覚はあまりに盛り上がらなったかな。
これも本作の一つのウィーク・ポイントとなってしまっていて、もっと終盤の描き方には気を遣うべきでしたね。
主演のジョニー・デップ自身もヴァーチャルの存在になってしまうのですが、もっと畳みかける展開が欲しかったところ。
故人でありヴァーチャルに人格があって何もかも俯瞰的に把握して手を回せるなんて、正しく万能な世界ですが、
その割りに得体の知れない恐怖という感じでもなく、畳みかける恐怖がないというのがサスペンスとしては物足りない。

この辺は脚本の問題もあったのでしょうけど、クリストファー・ノーランももっとアドバイスして欲しかったところ。
ウォーリー・フィスターは監督デビュー作としては頑張っていると思ったんで、これはなんとも勿体ないところでしたね。

本作のキーマンとなる、もう一人の存在であるのは主人公夫妻の仲間の科学者を演じたポール・ベタニーだろう。
彼は彼で当初は主人公の仲間としてAI研究を続けていましたが、徐々にAIが無秩序に社会に浸透していくことの
恐怖を感じて、情報リテラシーについても持論を持つようになり、徐々に主人公の抵抗勢力にも耳を傾けるようになる。

いきなり反テクノロジーの過激派に傾倒するのは行き過ぎかもしれませんが、
テクノロジーの進化に対して、人間がどう関わって制御するのかということで、どういう未来になるかが決まります。
仮にAIが人間の制御範囲を超えて働き始めたら、それは人間にとって悲観的な未来しか待っていない気がします。

これは同じように主人公の仲間であったベテラン研究者を演じたモーガン・フリーマンも同様で、
彼もまた主人公の妻が砂漠地帯に作り上げた情報センターを見て、仮想世界に蘇ったかのような主人公のAIを見て、
直感的に「これは全く違う世界である」と感じたのか、主人公の妻に「ここは危険だ。逃げろ!」とメモを渡すのも
実に印象的で、AIの先進的な研究を行っている者ほど、その危険性については認識が深い人も多いのだろうと思う。

技術革新は人間生活を豊かにすることは間違いないと思うけど、やっぱり倫理は大事だなぁと実感させられる。
特に医療なんかはAI技術の発達で、革新的な変化をもたらす可能性はあると思いますが、AIを利用する側である
人間のモラルが試されているような気がします。この辺のテーマに対する、一つの警鐘となるべき作品ではあると思う。

ただ、やっぱりクリストファー・ノーランが製作総指揮で関わったSF映画というフレームの割りには、
少々ミニマムな世界過ぎた感は否めないし、万能になったはずの主人公のAIの暴走なはずなのに盛り上がらない。

これらはウォーリー・フィスターの描き方の問題は大きかったと思うし、決して悪い仕事ぶりではなかったけど、
もっとサスペンスフルな展開に徹するべきだったと思う。そういう意味では、抵抗勢力の描き方もどことなくヌルい。
この辺が違った視点で描かれていれば、映画はもっと変わっていただろうし、エキサイティングなものになっただろう。

それと、本作の恐ろしさにはホントはもう一つあって、主人公がAIとなって妻にあれやこれやと言うのですが、
ホントにヴァーチャルなAIが彼自身の意思によって司っているものなのかが、第三者には分からないということだ。
残念ながら、本作はこの恐怖についても肉薄できていない。これもウォーリー・フィスターが描き切れなかった点だろう。

(上映時間119分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 ウォーリー・フィスター
製作 アンドリュー・A・コソーヴ
   ブロデリック・ジョンソン
   ケイト・コーエン
   マリサ・ポルヴィーノ
   アニー・マーター
   デビッド・ヴァルデス
脚本 ジャック・パグレン
撮影 ジェス・ホール
編集 デビッド・ローゼンブルーム
音楽 マイケル・ダナ
出演 ジョニー・デップ
   モーガン・フリーマン
   ポール・ベタニー
   レベッカ・ホール
   キリアン・マーフィー
   ケイト・マーラ
   コール・ハウザー