Tommy/トミー(1975年イギリス)

Tommy

これはですね、もう...スゴい映画ですよ(笑)。
ロック・ミュージカルなるものは、何本か映画化されていますけど、その中でも史上最強に強烈な作品だ。

この、あまりにインパクトの強い映像表現、正しくカルト映画そのものだ。
ザ・フー≠フギターリスト、ピート・タウンゼントが主導的に書き上げ、69年に発表され高い評価を得た、
コンセプト・アルバムの Tommy(トミー)を、敢えて映画化したものであり、当時の映画界でもかなり斬新な試みだ。

当初、ピート・タウンゼントが映画化の企画を本作の監督を務めたケン・ラッセルに
持ち込んだときは、ケン・ラッセルは「くだらん!」と一蹴したらしいが、どういうわけか監督を引き受け、
かなり好き勝手に映像化したことで、ピート・タウンゼントが当初思い描いていた中身とは違ったものになったようだ。

主人公の三重苦に苦しむトミー役は、ザ・フー≠フリード・ヴォーカルのロジャー・ダルトリーが演じ、
今は亡きドラマーのキース・ムーンは、かなりヤバいアーニー叔父さんを嬉々として演じているし、
演奏シーンではピート・タウンゼントも、ベーシストのジョン・エントウィッスルの姿も映っている。

元々の Tommy(トミー)が発売されたときは、どうやら歌詞カードが無かったことから、
この物語の全容を理解することが難しかったようですが、その辺は本作の登場でかなりクリアになりました。
ストーリー自体はケン・ラッセルがかなり分かり易く噛み砕いたような感じですので、それだけでも価値はあるかな。

当時、ピート・タウンゼントが公私で仲良くしていたミュージシャンたちがゲスト出演していて、
中でも“モンロー教の伝道師”として登場したエリック・クラプトンは、本作への出演という仕事を得たことで
表舞台への完全復活を印象付けました。と言うのも、71年にデレク&ザ・ドミノス≠ェ解散してからは、
深刻なドラッグとアルコール中毒で自宅にほぼ引きこもっていたようで、それを心配したピート・タウンゼントは
73年にレインボー・コンサートを企画して復活の舞台を用意したり、かなりクラプトンのサポートをしていたのです。

怪しげな煙がこもる教会のようなところで、従者を引き連れてギターをテキトーに弾いて、
カメラ目線で歌うクラプトンを観れるのは、後にも先にも本作くらいしかないわけで、これは貴重な姿だと思う。

ヴィジュアルとしてのインパクトが強いのは、“アシッド・クイーン”を演じたティナ・ターナーがズバ抜けている。
ドラッグを注射してトミーを“治療”しようとするという、インチキな女王様を演じていますが、表情が振り切れている(笑)。
おりしも、この頃はティナ・ターナーの夫だったアイク・ターナーの麻薬依存が深刻化していた頃というのも皮肉ですが。

トミーが目覚めるピンボールの元チャンピオン、“ピンボールの魔術師”としてエルトン・ジョンが登場する。
おそらくこのシーンは本作のハイライトでしょう。謎のコスチュームで足長おじさんのようなエルトンも謎に印象深いが、
このシーンでは Pinball Wizard(ピンボールの魔術師)の間奏で、当時のザ・フー≠フ破天荒なパフォーマンスが
観ることが出来て、ドラムセットを蹴っ飛ばすキース・ムーンに、アンプにギターを突っ込むピート・タウンゼントと、
かなり衝動的で後年のパンク・ロックにつながるようなパフォーマンスが観ることができて、客が熱狂するのも分かる。

それから、映画の中盤にはトミーを診る、謎の専門医として何故かジャック・ニコルソンが出演している。
しかも、いつものジャック・ニコルソンと違って、アン・マーグレットと歌ってミュージカル演技をするという異色さ。
どうやら、クリストファー・リーが出演する予定だったところをスケジュールが合わず、たまたまピンポイントで
スケジュールが空いたジャック・ニコルソンが代役として出演したようだ。なんとも贅沢な代役ではありますが。。。

ロジャー・ダルトリーも本作で主演を務めたことで目覚めたのか、
この後に映画やテレビドラマに俳優として出演する仕事を何本かやりましたが、確かに本作での彼は頑張った。
元々、自分が歌ったアルバムの映画化ということは大きいだろうが、このトミー役があまりにピッタリなのだ。
クライマックスに向っていくにつれて、まるで人生の原点に遡っていくかのようなカタルシスがあまりに鮮烈だ。

ハッキリ言って、中身はあって無いような映画ではあるのですが(苦笑)、
これを堂々と映画化して、あたかも「とにかく体感せよ!」と言わんばかりに描いたケン・ラッセルがスゴい。
普段はロックを全く聞かない人で、オペラの観点から本作に興味が沸いたらしいけど、普通はこういう映画にできない。
まぁ、ピート・タウンゼントのイメージとは違ったらしいけど、映画のカラーは見事にケン・ラッセルの趣味の世界って感じ。

主人公のトミーのどこかエキセントリックな魅力とは対照的に、
ケン・ラッセルの演出はあまりに強烈なデカダンスを感じさせ、なんとも不思議な美しさを演出している。

事実上の作者であるピート・タウンゼントには申し訳ないけど、
ケン・ラッセルは確かにピート・タウンゼントの作為を無視というか、独自の解釈を交え過ぎたかもしれないけど、
元々が難解だとされていたオリジナルの Tommy(トミー)の魅力を分かり易く映像として具体的な提示をした
ケン・ラッセルの“脚色”が見事であったと思うし、本作の登場自体がオリジナルの価値を高めた部分はあると思う。

そもそもがロック・オペラというジャンル自体が、当時は異例なものであったし、
ケン・ラッセルに仕事を依頼すれば、かなり独特で個性的な映画になることは予想できたはずだ。
僕が思うに、こういう仕上がりでないのであれば、ケン・ラッセルに本作の監督をお願いする意味はないと思うのです。

映画の後半に入ってから、スターになりゆくトミーをテレビで観て彼の母親が苦悩するシーンがあります。
これはアン・マーグレットがテレビのブラウン管から止めどなく流れ出てくる大量のチョコレートまみれになって、
尚、転げ回るという謎に衝撃的なシーン。これはテレビCMで流れる、王妃みたいな女性がカメラ目線で
缶詰の豆を高価そうな皿にあけて食べる、この豆をイメージした妄想なのですが、これが意味不明なほどに強烈。

ややもすると悪趣味な映像表現なのですが、よくアン・マーグレットもあのシーンを演じ切りましたね。
また、その缶詰の豆も絶妙なほどに不味そうな感じで、お世辞にも食べたいと思えないのが、また妙ですね。

とまぁ・・・相変わらずケン・ラッセルは居心地の悪い映画にしています。
この辺の感覚もピート・タウンゼントは合わなかったのだろうなぁと推察してますが、実際はどうなのだろうか?
製作から50年近く経った今観ても、かなり個性的な映画ですので、好き嫌いがハッキリ分かれる作品なのでしょう。

本作が高く評価され、ヒットしたという結果を残したことで、
例えば76年のデビッド・ボウイ主演の『地球に落ちて来た男』のようなミュージシャンの世界観を
映画というメディアの中で表現するということが一般化したり、ロック・オペラそのものが一つのジャンルとして確立し、
複数本の映画が製作されるなど、後年への影響力はとても大きかったと思う。そういう意味は本作はパイオニアだ。

万人ウケするタイプの映画ではないとは言え、個人的には風化させたくない映画の一つ。
僕の中では、何故か不思議な魅力を放つ映画であり、知らず知らずのうちにグイグイ引っ張られて、
映画を最後まで観てしまう。気付けば、クライマックスには Listening To You(リスニング・トゥ・ユー)を口ずさむ(笑)。

こうなってしまうと、もう立派な“トミー・シンドローム”です(笑)。
確かに訳が分からない映画ではあるのだけれども、この強烈なエネルギーを浴びると何故か盛り上がります。
実際にピート・タウンゼントは本作を再現する舞台劇をやったりと、ザ・フー≠ニしても思い入れの強い作品です。
そんな作り手たちの思いの強さを、ケン・ラッセルが独自の解釈でエネルギーに変換することで、観る者を圧倒します。

僕は20歳くらいのときに本作を初めて観たのですが、この内容に正直ブッ飛びましたね(笑)。

言葉は悪いけど、疑似トリップを促すような効果がある映画だと思います。
そういう意味でもハマる人にはハマるだろうし、ハマらない人にはとことんハマらない。そんな気がします。
ケン・ラッセルもそこまで狙っていたかは分かりませんが、このアヴァンギャルドな映像、半端ないっす。

(上映時間106分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 ケン・ラッセル
製作 ケン・ラッセル
   ロバート・スティグウッド
脚本 ケン・ラッセル
撮影 ディック・ブッシュ
   ロニー・テーラー
音楽 ピート・タウンゼント
出演 ロジャー・ダルトリー
   アン・マーグレット
   オリバー・リード
   エルトン・ジョン
   キース・ムーン
   ティナ・ターナー
   エリック・クラプトン
   ジャック・ニコルソン
   ロバート・パウエル

1975年度アカデミー主演女優賞(アン・マーグレット) ノミネート
1975年度アカデミー音楽賞(ピート・タウンゼント) ノミネート
1975年度ゴールデン・グローブ賞<ミュージカル・コメディ部門>主演女優賞(アン・マーグレット) 受賞