トム・ホーン(1980年アメリカ)

Tom Horn

西部開拓時代の末期に実在した賞金稼ぎのトム・ホーンの自伝を映画化。

名優スティーブ・マックイーンが自ら製作総指揮として加わり、かなり意欲的に取り組んだ作品ですが、
残念ながら本作の撮影途中に中皮腫と診断されたようで、ほどなくして肺がんで他界してしまいました。
本作と同時期に撮影された西部劇の『ハンター』がスティーブ・マックイーンの遺作となりました。

まぁ、実際にスティーブ・マックイーンも本作撮影終了から、そう時間を空けずに他界していることもあって、
本作のメッセージ性の強いラストを観ていると、なんだか意味深長な映画だなぁと、なんとも切ない気持ちになる。

実際、映画がラストに近づくと、ドンドン、マックイーンがやつれていっているように見えるのがツラい。
やはり、撮影が進むにつれて、かなり病状が深刻化していったのか、もうタフネスな雰囲気は無い。
ハードなアクション・シーンもないせいか、それまでのアクション・スターたる風格もほぼ感じられないのは寂しい。

しかし、そんな姿をフィルムに収めてでも、マックイーン自身はトム・ホーンを演じたかったのでしょう。
製作総指揮としてクレジットされているぐらいなのですから、最後までやり切るんだとする意気込みは強かったはず。
そんな彼の思い入れや、メッセージが強く映画に込められているならこそ尚更、この映画は切ないんだなぁ。

映画は西部開拓時代が終わりつつあり、時代が移り変わろうとしていた頃の田舎町を舞台にしていて、
文明の荒波を拒絶するかのようにジェロニモの反撃にも加勢したことで、一躍有名人になったトム・ホーンを描く。
彼は賞金稼ぎとして生活を続けることに限界を感じ、牧場主コーブルに雇われて、牛泥棒を退治する仕事をもらう。
しかし、牛泥棒に強硬な態度にでて、更に自分や馬の命を狙う者には、情け容赦なく射殺していく姿勢に
町の人々は反発心を抱き、コーブルにトムとの契約を解除するように迫るものの、コーブルは首を縦に振らない。

そこで、トムの名声を妬む保安官が、目撃者のいない少年殺害事件の犯人としてトムを仕立て上げる。
裁判にかけられたトムはコーブルが雇った弁護士にも好意的な態度を示さず、裁判の席でもトムは悪態をつく。

町の人々はトムのことを快くは思わないが、誰も自分でトムのことを抹殺しようという行動にはでず、
あくまで理知的にトラブルを解決しようと、この事件を利用してトムのことを抹殺しようとするのですが、
そんな主体性のない雰囲気に反発していたのかトムは、自分の無実を主張しようとはせず、反抗的な態度を崩さない。
これはトムなりに結論ありきで進んでいる不当な裁判に対する抗議とも思える態度で、一筋縄にはいかない様相だ。

確かに映画の出来としては、僕も疑問に思うところはある。
トムが劇中、恋に落ちる女性教師の存在はえらく中途半端な扱いだし、取って付けたようなフラッシュ・バックも
作り手が何を狙って構成したのか、サッパリよく分からず、どこまでマックイーンの意図が反映されたのか分からない。

ただ、ところどころ見逃せないシーンがあるのも事実で、
映画の冒頭で、いきなりトムが酒場の荒くれ者にケンカを売るシーンからして、なんとも言えない緊張感がある。

そして、やはり愛馬を狙われて復讐心に燃えたトムが、撃ってきたオッサンに向かって、
情け容赦なく銃撃し、死んだと思われる相手のオッサンに何発も銃弾を撃ち込むという姿も印象的だ。
好漢を演じることが多かったマックイーンですが、こういうどこか屈折した内面を持っているのがトムという男だ。
こういうキャラクターって、マックイーンは演じてこなかったですから、彼にとっては大きなチャレンジだったのでしょう。

映画の終盤で『パピヨン』ばりに牢獄の中に閉じ込められる姿がよく似合うマックイーンですが、
そんな彼が演じるトムが警察署から逃げていく姿は、(正直、スタントだと思うのですが...)なんとも切ない。
そして捕らえられて痛めつけられるマックイーンの姿は、それまでの映画には無かった弱々しさを見せる。

ひょっとしたら、マックイーン自らの病状を告知されてから、こういうアプローチをすることを
考えついたのかなとも思いましたが、どちらにしてもマックイーンの死を思うと、複雑な思いにさせられる作品ですね。

映画のクライマックスでも絞首台に向かうトムは、動揺していると自らコメントを残すなど、
勇敢な好漢やアウトローをスマートにを演じ続けたマックイーンにしては、どこか鈍重なところが垣間見れる。
この辺は当時のマックイーンのファンにとっても、驚きというか...新境地のキャラクターだったのではないだろうか。

欲を言えば...というところかもしれませんが、マックイーンの対抗馬が弱い。
ビリー・グリーン・ブッシュ演じる保安官も、トムのことを妬んでいるのは事実で罠にハメようとするのですが、
単純にトムの強敵とするにはインパクトも存在感も弱過ぎる。結局、マックイーンの対抗馬がいないから
ただただ卑屈になっていくトムを描くだけに終始してしまい、正義を貫くというメッセージが表に出てこなかった。

裁判のシーンにしても、もっとトムに牙を剥くキャラクターがいても良かったと思うのだが、
どことなく中途半端で、これではトムが卑屈になっていくだけのように見えてしまうというのが、なんとも勿体ない。
本来であれば、もっとトムの信念のために闘うという貫徹とした強さが欲しかったのですが、そういうものは感じさせない。

どちらかと言えば、「オレはやってないけど、この場で命乞いしてまで主張したくない」と
厳しい現実を目の前に、ソッポ向いてしまったに近い。それがトムの生きざまと言えばそれまでですが、
おそらく本来は、そういう主旨の映画ではなかったと思うのですよね。どこかニュアンスが途中で変わったように
邪推したくなってしまうのは、やはりスティーブ・マックイーンの死という現実が本作完成直後にあったからでしょうね。

実在のトム・ホーンは、ジェロニモの反撃に加勢しつつもジェロニモの投降に貢献したとされ、
西部の田舎町では英雄視する風潮があったらしく、トムを崇めていたものの、かなり荒っぽく実力行使していたために、
民衆からは次第に疎まれる存在となってしまい、その最中で一人の少年が射殺された殺人事件が発生し、
よく事件の調査もされないまま、遠方から少年を銃撃する腕を持つのはトムだけという理由で、彼は絞首刑になります。

彼を犯人に仕立てようとする人々もいたことが伝えられており、
トムが犯人であるかのような目撃証言やトムの発言が証言されたりして、外濠が埋められてしまったようです。

劇中描かれる、女性教師とのロマンスも中途半端な描かれ方には感じますが、
西部開拓時代を自由奔放に、かつ弱肉強食な価値観で一人で生き抜いてきたトムからすると、
彼女とのロマンスを続けることは重た過ぎたのかもしれません。やっとトムのような男のことを理解する女性が
現れたというのに、トムの不器用さもあって、すぐに彼女の心はトムから離れてしまいますが、彼も追いすがりません。

こうした古い価値観の生き方だからこそ、伝記映画として映える部分はありますね。
マックイーンとしても、おそらくトムの生き方というのに惹かれ、自分で演じたいと思ったからこその仕事ですし、
前述したように裁判のシーンでは自分を貫き通し、クライマックスではナーバスになって人間臭いコメントを残す。

ジョン・A・アロンゾの美しいカメラも印象的だ。無意味にアップカットを多用せず、ドシッと構えて撮っているのが良い。

それはマックイーンの並々ならぬ覚悟をもった撮影であったからこそ、
マックイーンの一挙手一投足逃さずにフィルムに余すところなく残そうという、カメラマンの強い意思を感じさせる。
それでいて、その覚悟が押しつけがましさにつながらないように、ノスタルジーすら感じさせるトーンも素晴らしい。
どこかセピア調な感じで、唐突に挿入されるフラッシュ・バックも見事にシンクロするように、凄く美しいフィルムだ。

ちなみにコーブルを演じたリチャード・ファーンズワースは、デビッド・リンチ監督作品の『ストレイト ストーリー』で
主演に抜擢された役者さんですね。自分も年をとったせいか、「この人、どこかで観た気が・・・」と思ってましたが、
クレジットを見て気づきました。本作でも酒場で異を呈する姿を演じたり、地味ですけど良い存在感の仕事っぷりだ。

(上映時間97分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 ウィリアム・ウィアード
製作 フレッド・ワイントローブ
脚本 トーマス・マクゲイン
   バッド・シュレーダー
撮影 ジョン・A・アロンゾ
音楽 アーネスト・ゴールド
出演 スティーブ・マックイーン
   リンダ・エバンス
   リチャード・ファーンズワース
   スリム・ピケンズ
   ビリー・グリーン・ブッシュ
   エリシャ・クックJr