タイトロープ(1984年アメリカ)

Tightrope

うーーん、お世辞にも出来の良い映画とは言えないが...
イーストウッドがダークな部分を演じた作品として、興味深い作品ではありますね。

イーストウッドも造詣が深い、ジャズの聖地であるニューオーリンズを舞台に、
一人の娼婦が殺害された事件の捜査にあたる刑事ブロックが、内偵捜査の過程で聞き込みを行い、
彼が次々と接触した娼婦たちが事件のターゲットとなっていき、次第にブロックは精神的に混乱。
強姦被害者の相談口でもある女性ベリルと仲良くなるものの、やがてブロックは連続殺人犯が
自分であるかのような悪夢を見るようになり、やがて犯人の魔の手が家族にも迫る恐怖を描いています。

刑事を主役とした映画ですので、思わず『ダーティハリー』のような刑事映画を想起させられますが、
実際は刑事映画としての側面よりも、一人の男が見舞われる悪夢のような迷路を描いています。

一見するとミステリー調ではありますが、
実はこの映画、ほぼ完全に謎解きを映画の中盤で放棄しており、ミステリー映画としても弱い。
正直言って、何を観客に見せたいのか、そして感じさせたいのか、よく意図の分からない映画だ。

だから僕はこの映画なんかも、イーストウッドが自分で監督しちゃえば良かったような気がします。
おそらくそういった構想もあったのでしょうが、80年代に入ってから監督業も本格化し、
手掛ける作品が増えていただけに、少し“休憩”を入れたかったのでしょうね。
自分の実の娘に出演させて、トンデモない目にあう役を演じさせるのですから、ホントはもっと介入できたはず。

まぁ強いて言えば、映画の冒頭にもよく表れていた通り、
映画全体をジャズの生々しい音使いが活きている画面構成は素晴らしいですね。
これはブルース・サーティースのカメラも良いのでしょうが、何よりスコアが素晴らしいの一言。

これだけマッチした音楽があるおかげで、映画で描かれるニューオーリンズの風俗が実に生々しい。
半分、イーストウッドも楽しんで演じていたのかもしれませんが(笑)、次第に深みにハマっていく、
ブロックを襲う悪循環が、実に高い納得性を持って描かれており、これは実に上手い画面構成だ。

映画を最後まで観れば分かりますが、いろいろ伏線らしく匂わせる映画なのですが、
実はそれらのほとんどが伏線にはなりえていません。ですから、謎解きの醍醐味はかなり薄いですね。

そういう意味で本作は、ミステリーよりもスリラーに力を入れていたのでしょうね。
ただそうならば、もっと犯人をしっかりと描いて欲しいですね。かなり犯人の描写が希薄なので。
この辺はリチャード・タッグルがあまり規模の大きな映画を撮ったことがない経験値の低さが露呈していますね。

しっかし、ここまでくるとすっかりイーストウッドの趣味の世界ですね(笑)。
捜査の過程で知り合った娼婦とは、百発百中で関係を持っちゃうぐらいのモテ男という設定だし、
手錠使ってベッドシーンを演じたり、もうほぼ完全にイーストウッドの趣味の世界が炸裂しています(笑)。
それに実の娘も巻き込むというのだから、やっぱりイーストウッドはいろんな意味で、凄い映画人だ。

この映画にイーストウッドはプロデューサーとして参加しているわけで、
ある程度の権限は彼にあったはずで、当然、娘役を演じたさせたアリソン・イーストウッドが出演することも
彼がプッシュして実現したはずであり、それが乱暴されるという設定自体も彼はどうとでもできたはずだ。
ところが撮影当時、12歳という年齢だった実の娘に、乱暴される役を堂々と演じさせるとは、
常識的な範疇で考えれば、親としてはそうとうな勇気のいる決断だったはずだ。

ところがイーストウッドはそういう意味では強さがあったわけで、
この映画なんかを観ると、仮に観客から「凄いね、実の娘にこんな役を演じさせるなんて!」と言われても、
「何が言いたいんだい?」と冷たく返すのではないかと思わせられるぐらい、強い信念を感じさせます。

それぐらい、イーストウッドって、映画作りに対しては真摯な姿勢を持っていたと解釈することができます。

おそらく本作劇場公開当時も、
イーストウッドが刑事を演じるという設定から、思わず『ダーティハリー』のハリー・キャラハンのように、
悪という悪をコテンパンにヤッツケる刑事を演じているのかと期待して観た人も数多くいたであろうし、
その期待と、実際に描かれた内容のギャップがあまりに大きく、落胆させられた人も多くいたでしょう。

ひょっとしたら、リチャード・タッグルではなくイーストウッドがメガホンを取っていれば、
映画は大きく変わっていたかもしれませんが、いずれにしてもシナリオも書き直す必要がありますね。

前述したブルース・サーティースのカメラは前述したように素晴らしい。
あまり派手さのあるシーンはないけれども、終始、夜の表情を撮り続けるという条件の中、
眠ろうとするブロックがベッドに座って扉を閉めるシーンなど、光の使い方が上手いし、
何より冒頭のニューオーリンズの港から市街地へと移動する空撮が、ひじょうに良い雰囲気満点。

この辺はイーストウッドの力も強いのだろうけど、
リチャード・タッグルはカメラに大きく助けられたと思うし、映画の雰囲気作りに上手く成功できています。
言ってしまえば、ヤミツキになるようなクセのある、良い雰囲気が作れていると思うんですよね。

こういうのは、そう容易いことではなく、ひじょうに重要なポイントなんですね。
これで前述したような雰囲気が無ければ...正直言って、この映画は腐っていたと思います。

(上映時間114分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 リチャード・タッグル
製作 クリント・イーストウッド
    フリッツ・メインズ
脚本 リチャード・タッグル
撮影 ブルース・サーティース
編集 ジョエル・コックス
音楽 レニー・ニー・ハウス
出演 クリント・イーストウッド
    ジュヌビエーブ・ビジョルド
    ダン・ヘダヤ
    アリソン・イーストウッド
    レベッカ・パール
    レジーナ・リチャードソン
    ジェニー・ベック
    ランディ・ブルックス