ひとりぼっちの青春(1969年アメリカ)

They Shoot Horses, Don't They?

これはなんて救いの無い、実にショッキングな映画なんだ。
もの凄くヘヴィで、観る前にある程度の覚悟が必要な作品だと思います。

今となっては忘れられてしまったような存在の作品ではありますが、
こういう映画を観ると、あらためてシドニー・ポラックはアメリカン・ニューシネマ上がりの監督だったのだと、
そう実感させられるような前衛的な姿勢で映画を撮っていて、後年の監督作との違いにチョット驚かされる。

この映画で描かれる、“ダンス・マラソン”という競技は実際にあったようなのですが、
1930年代にアメリカで流行ったようですが、これは見れば見るほど、かなり異様な競技だ。

ルールとしては、1時間50分ダンスホールでカップルで踊り、10分間の休憩が与えられ、
競技者は1日に7回の食事があるが、衛生的には劣悪な環境であり、しかもヒザをついてしまうと失格で、
パートナーが失格すると、24時間以内に違うパートナーを見つけないと、こちらも失格になってしまうというルール。

しかも、“ダンス・マラソン”の主催者は大会のスポンサーを募るために、
よりショーアップ化することを目的として、ダンスホールにトラックの線を引いて、10分間カップルで競歩の
競争をさせる“ダービー”というイベントを投下するという、常軌を逸したやり方を気まぐれでやってくる。
この“ダービー”は実際にあったのかは、分かりませんが、普通に考えるとこの“ダンス・マラソン”も
そうとうに過酷な競技で参加者がいないような気もしますが、時代は世界恐慌で経済的に困窮した人々が多く、
大国アメリカであっても、この“ダンス・マラソン”に賞金目当てで参加する若者が多かったようだ。

最後まで“踊り残った”カップルには賞金があるということだが、映画で描かれる大会は
実はこの賞金に大きなカラクリがあるという、映画の大きな“落とし穴”が待っているわけですが、
これを悟った瞬間の絶望感ときたら、文字通り、映画史に残ると言っていい、とてつもない絶望に苛まれる作品だ。

主演のジェーン・フォンダも、如何にも反体制的な雰囲気アリアリですが、
世の中の全てに反抗しているような表情が良い(笑)。この頃から、政治的な活動に身を投じ始め、
ハリウッドでも賛否両論ではありましたが、このニューシネマの時代を象徴する女優さんの一人という感じがします。

今になって思うと、この“ダンス・マラソン”自体が常軌を逸していますが、
こういった競技に身を投じざるを得ないくらい、若者たちに選択肢がないというツラさですが、
60年代後半もベトナム戦争が激化して、動乱の時代に入っていたアメリカ社会とリンクしたのでしょうね。
そんな若者たちを餌食にするかのように金稼ぎに興じる、主催者ロッキーの存在も、なんともいやらしい。

演じるギグ・ヤングは本作での好演を認められて、オスカーを獲得しましたが、
実際にギグ・ヤングは78年に、拳銃を使って無理心中を図って、自殺したというのが皮肉な気がします。

このロッキーも、決して景気の良い実業家ではなかったと思いますが、
巨額の投資を行って、“ダンス・マラソン”を主催しているわけで、収益を得るためには手段を選ばない。
裏表も激しいところはあるが、それでも裏腹なところは、参加者である若者たちに愛着を見せる部分だ。
どこまで本心なのかは分からないが、彼なりに難しいところもあったのでしょう。ホントに誰も幸せにならない大会だ。

大会を盛り上げるためには、ロッキーも道化になって、司会者として盛り上げる。
しかし、そんなロッキーが客席を煽りに行く姿は、なんだか虚しくも寂しい姿にも映っているのが印象的だ。

“ダンス・マラソン”大会には観客席があるのですが、この競技を観戦する楽しみが成立していたのが驚きだ。
他人の悲喜劇を傍観する楽しみということなのかもしれませんが、あまりに非人道的な競技ということで、
世界恐慌の時代の終焉と共に、自然に“ダンス・マラソン”は消滅してしまったようで、これは当然の結果でしょう。

その象徴として、レッド・バトンズ演じる50歳代の初老の男性が年齢を偽って参加するのですが、
序盤はスポンサー集めのためにタップ・ダンスしたりと若者に負けじとアクティヴに頑張っていましたが、
心臓破りの“ダービー”の途中でアクシデントに見舞われます。医師が診断する中で、心配する観客をよそに、
司会者はまるで答えが決まっているかのように「軽症です!」とマイクでアナウンスする姿が、なんとも薄ら寒い。

そういう意味で、本作ではシドニー・ポラックはどこか突き放したように描いている。
この突き放したかのように描くスタンスのせいか、“ダンス・マラソン”の競技自体もどこか奇異に映ります。
実際の“ダンス・マラソン”は映像資料とかでしか残っていないようで、実態がどうであったのか分かりませんが、
シドニー・ポラックは本作を通して、盲目的にこのような競技に参加せざるをえない残酷さを描きたかったのでしょう。

大会が進んでいくにつれて、一部の若者たちも冷静さを失っていきます。
それを象徴しているのは、女優と思わしき女性を演じたスザンナ・ヨークでしょう。
劇中、自分のご自慢の衣装が盗まれたと騒ぎ始め、それをゴミ箱に入れられた状態で取り返して、
心がズタボロにされて、ついに禁じられた時間にシャワーを浴び始める。これをロッキーが止めに来るのですが、
このシーンに於けるギグ・ヤングとスザンナ・ヨークの何とも言えない間が、既にタガが外れたことを実感させられます。

この映画を観ていて思ったのですが、この“ダンス・マラソン”の競技というのは、
ルール上は最後までダンスホールで“踊り残った”カップルが勝者であるとなっていますが、
この映画で描かれたものを観る限りでは、一概に賞金をもらえることが勝者ではないのかもしれないということ。
競技を途中でリタイアする者の方が、実は勝者であるという見方もできなくはないのではないかと思いますね。

本来、ダンスというのは楽しむために興じるものだと思っていましたが、
少なくとも、この“ダンス・マラソン”というのは踊りを楽しむという感覚とは程遠いものです。
体力・気力を蝕み、苦痛しか伴わず、いつまで踊るのかという先も見えずに、無力感に苛まれる競技です。

1ヵ月電車に乗るのを我慢して生活してまでヒロインが買ったストッキングを、
無慈悲に破られてしまったのを見て、ブッツンと気持ちが切れてしまったヒロインは、ある決断を下します。
例えるなら、大人たちに利用され裏切られた敗北感いっぱいに、どこか投げやりな気持ちになっていきます。

この決断を聞いたダンス・パートナーの青年も、何の疑いの余地もなく、彼女の決断を聞き入れます。
その表情もまるで無表情・無感情で、人間らしさを失ったように見えますが、まるでそうするしか選択肢がないと
言わんばかりに、焦燥感すら感じさせます。そして、「誰だって使えなくなった馬は撃つだろ?」と呟くのです。

動物愛護など喚起されていなかった時代ですから、そのような発想が出てくるのでしょうが、
それにしても人間に対しても、そのような感覚の言葉が出てくるのですから、かなり“病んで”います。

こういった若者たちが感じていた虚無感というか、無力感という感覚を観客も共有するわけですが、
映画が進んでいくにつれて、ドンドン絶望感が強まっていくという、とても変わった作品ではあります。
それゆえに、僕はこの映画、心身共に体調が良くないときは避けた方がいい映画だと思います。
内容が内容なだけに、ある程度の覚悟は必要な映画ですし、元気がないときに観るべき映画だとは言えません。

個人的にはシドニー・ポラックの監督作品としては、本作がベストな出来だと思う。

(上映時間119分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 シドニー・ポラック
製作 アーウィン・ウィンクラー
   ロバート・チャートフ
原作 ホレイス・マッコイ
脚本 ジェームズ・ポー
   ロバート・E・トンプソン
撮影 フィリップ・H・ラスロップ
音楽 ジョン・グリーン
   アルバート・ウッドベリ
出演 ジェーン・フォンダ
   マイケル・サラザン
   スザンナ・ヨーク
   ギグ・ヤング
   レッド・バトンズ
   ボニー・ベデリア
   ブルース・ダーン

1969年度アカデミー主演女優賞(ジェーン・フォンダ) ノミネート
1969年度アカデミー助演男優賞(ギグ・ヤング) 受賞
1969年度アカデミー助演女優賞(スザンナ・ヨーク) ノミネート
1969年度アカデミー監督賞(シドニー・ポラック) ノミネート
1969年度アカデミー脚色賞(ジェームズ・ポー、ロバート・E・トンプソン) ノミネート
1969年度アカデミーミュージカル映画音楽賞(ジョン・グリーン、アルバート・ウッドベリ) ノミネート
1969年度アカデミー美術監督・装置賞 ノミネート
1969年度アカデミー衣裳デザイン賞 ノミネート
1969年度アカデミー編集賞 ノミネート
1970年度イギリス・アカデミー賞助演女優賞(スザンナ・ヨーク) 受賞
1969年度ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞作品賞 受賞
1969年度ニューヨーク映画批評家協会賞主演女優賞(ジェーン・フォンダ) 受賞
1969年度ゴールデン・グローブ賞助演男優賞(ギグ・ヤング) 受賞