大脱獄(1970年アメリカ)

There Was A Croocked Man

これはどこまで真面目に撮った映画なのかは分からないのですが、
相応の犯罪をおかして、刑務所に収監された男たちが、やがて脱獄を計画するものの、
保安官上がりの刑務所長ロープマンと、脱獄を目論むリーダー格のピットマンが対決するウェスタン・コメディ。

名匠ジョセフ・L・マンキーウィッツの監督作品ですが、内容的にはデビッド・ニューマンと
ロバート・ベントンという『俺たちに明日はない』の脚本家コンビが書いたシナリオの映画化なせいか、
お気楽コメディ調の映画かと思いきや、不釣り合いなくらいに冷酷な描写があったりして、アンバランスな感じがする。
女性のヌードが登場したり、直接的な暴力描写も多くあって、どちらかと言えばニューシネマの影響を感じる。

そんな内容の映画で往年のスター、カーク・ダグラスとヘンリー・フォンダの対決というのも
なんだか妙な組み合わせではありますが、キャスティングは結構豪華なだけあってか、悪くない。
最初は無口だったウォーレン・オーツも、なんだか掴みどころの無いキャラクターだったが、やっぱりカッコ良い。

この映画で最も特徴的なのは、カーク・ダグラス演じるピットマンの卑怯者ぶりでしょう。
正直、当時のカーク・ダグラスがこういうキャラクターを演じるのは珍しいような気もしますが、
この映画史に残ると言ってもいいくらい、軽薄なリーダーを演じた卑怯者っぷりは出色の芝居であると思う。

捕まる前に大金を隠したことが周囲に知られたことで、みんなピットマンの言うことを聞くようになり、
収監されたときの刑務所長もピットマンを買収しようとしますが、ピットマンはあくまで独り占めしようとします。

まぁ・・・犯罪で得たお金とは言え、刑務所長のお金ではないので、そりゃ渡す義理はないと思いますが、
ピットマンはスゴい卑怯な性格なので、自分が脱獄するためだったら、どんな相手でも利用しようとします。
しかも、17歳の若造が絞首刑になるのは可哀想だと刑務所長に主張して、死刑回避を歎願するという
ヒューマニストちっくなところを見せたかと思いきや、すぐにこの若造を裏切るようなことをしでかすし、
「お前はすぐに裏切るから信用できない」と相手に言うが、このピットマンこそがまるで信用できないキャラクターだ。
映画の中で、これだけの盛大なブーメランが見られるというのも珍しい。それも主人公がこんなキャラですからね。

しかも、このピットマンの最後も対決ムードを盛り上げるだけ盛り上げといて、
まるで急に突き放されたかのように、実に情けない最後である。この最後には正直言って、拍子抜けした。
映画のお気楽コメディ調なのは、中盤で完全に失せていたので、こういう最後は全く想像をしていなかった。

驚きの展開と言えば、それは否定できませんが、この映画の起伏がよく分からない。
ピットマンも自分で言ってましたが、「何やってんだ、オレ...」という台詞がピッタリな最後でしたね。

一方で途中から刑務所長に就任するロープマンも、どこかクセのある人物だ。
演じるヘンリー・フォンダはハリウッドの良心を象徴するスターでしたが、この役は彼にとっては異色なキャラだ。
それは特に映画のラストシーンでそれが表れていますが、こういう役を演じたのも時代がそうさせたのですかねぇ。
ハッキリとした悪役キャラクターではないというところも、また素直じゃないですよね。役得なキャラでしたね。

ある意味で、ロープマンをヘンリー・フォンダが演じているからこそ、
カーク・ダグラスがああいう退場の仕方だったのかもしれませんが、できることなら真っ向からの対決が観たかったなぁ。

真っ向から対決するわけでもないのに、この映画の終盤の展開はもたついている印象がある。
2時間を超える上映時間なのですが、映画の後半はもっと上手くやれば、コンパクトにまとめられたと思います。
刑務所から出てからのシーンは、映画全体を見渡すと蛇足的に感じられる。もっとシンプルにやって欲しかったなぁ。
この辺はデビッド・ニューマンとロバート・ベントンのシナリオがそうなっていたのでしょうが、なんだか勿体ない。

監督のジョセフ・L・マンキーウィッツは50年の『イヴの総て』でオスカーを獲得し代表作となりましたが、
元々、彼は革新的なスタンスを持った映像作家でしたから、こういう映画を撮ることには抵抗はなかったのでしょう。
ストーリー的にも、少なくとも50年代以前のハリウッドでこんな内容の企画が映画化されることはなかったでしょうから。
映画の主人公があんな卑怯なキャラクターって、勧善懲悪なハリウッドに於いては、ありえなかったですからねぇ。

アクションとしては、映画の前半は物足りない。冒頭の強盗シーンにしても、
映画の前半はコメディ色が豊かなせいか、あまりに緩い演出で緊張感ゼロ。これは映画に対しては逆効果。
それに捕まるシーンも緩く、僕はコメディ色を排してでも、もっと緊張感あるシーン演出を目指した方が良かったと思う。

こんなに「たぶん、命を取られることはないだろう」と思える強盗シーンって、あり得ないですよね。
まぁ・・・コメディ映画ならそれでいいので、本作も映画の最後までコミカルにやれば良かったのですが、
映画の後半でピットマンが脱獄を敢行するシーンなんかは、かなりシリアスに描いているので、統一感ゼロ。
思わず、「それなら(映画の)最初から、こういう調子でやればいいのに・・・」とツッコミの一つでも入れたくなりました。

ヒューム・クローニン演じる喋ることができず耳も聞こえないと偽って、
不特定多数から集金するという詐欺をはたらいた男も良いですね。相棒の男が牢獄内での生活に限界を訴え、
自殺をほのめかすのを「どうせ本気ではないだろ」と無関心を装っていたら、ホントに自殺を図ったがために
ピットマンの脱獄に協力すると誓いますが、それでも映画のラストには達観したような表情を見せるのも印象的。

半ば“腐れ縁”みたいなものなのかもしれませんが、切れそうで切れないコンビ関係で面白い。
ヒューム・クローニンは映画出演に積極的だったわけではないように思いますが、本作なんかは味わいある良い芝居。

とまぁ・・・ジョセフ・L・マンキーウィッツの人徳だったのか、スゴいキャスティングで恵まれた企画だったのですが、
どうにも下地となるストーリー自体もそうですが、映画としての味付けもシックリ来ていないように思えました。
ただ、所々、ハッとさせられるカットもあったりして、良いんだか悪いんだか、正直、掴みどころのない作品です。
それは前述したように、映画の前半はコメディ色豊かで、脱獄が近づく後半は急激にシリアスになるなど、
映画全体としての統一感が無く、ピットマンの腹黒さも相まって、なんだか節操が無い映画という印象になってしまう。

意固地になったように、変化に乏しいのもいけませんが、やはり映画にはある程度の一貫性が必要ですね。
僕には映画の前半と後半で、別なディレクターが撮ったのかと思えるくらい、どこか違和感が拭えなかった。

まぁ・・・原題も“卑怯者”を表していると思いますが、この映画に登場してくる多くのキャラクターが該当するかも。
ピットマンのゲスな性格のあることは勿論のこと、小ズルいことをやって囚人たちから金をもらう看守や
ストレス発散にと他の囚人を暴行する囚人、お気に入りの若者を見つけては優遇を働きかける刑務所職員など、
罰当たりな“卑怯者”が多い。そして本作唯一の良心的存在だったはずのロープマンがどうなるのかにも注目だ。

同じ西部劇というカテゴリーで見ても、本作はかなり異色な内容であると思います。
あまり他には観たことがないニュアンスを持った作品で、そういう意味では“ニューシネマ”だったのでしょう。

但し、繰り返しにはなりますが...
ジョセフ・L・マンキーウィッツの力量をもってすれば、もっと出来の良い仕上がりにはできただろうし、
充実したキャスティングをフルに活かした映画とは言い難く、どこか宝の持ち腐れ状態に見えたのも事実だ。

やっぱり主人公のピットマンはもう少し魅力的なキャラクターに描いて欲しかったということと、
映画全体を見渡して、しっかり芯の通った内容にはして欲しかったというのが僕の本音。この点、本作は弱いと思う。
一つ一つの演出は細かく作り込まれているだけに勿体ない。少々、脚本を尊重し過ぎたのではないかとも思った。

それは、40年代後半から50年代のジョセフ・L・マンキーウィッツを期待してしまうからなのかな。
本作以降、72年に『探偵スルース』を撮って高い評価を得て、復活を印象付けたと聞きますが、
同作以降は映画を撮ることなく他界してしまったことから、やはり63年の『クレオパトラ』の失敗が痛かったのだと思う。

ちなみに劇中、何度かフライドチキンが登場してきますが、フライドチキンって実は歴史が古い食べ物なんですね。

(上映時間123分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 ジョセフ・L・マンキーウィッツ
製作 ジョセフ・L・マンキーウィッツ
脚本 デビッド・ニューマン
   ロバート・ベントン
撮影 ハリー・ストラトリングJr
音楽 チャールズ・ストラウス
出演 カーク・ダグラス
   ヘンリー・フォンダ
   ジョン・ランドルフ
   バージェス・メレディス
   ウォーレン・オーツ
   アーサー・オコンネル
   ヒューム・クローニン
   リー・グラント