風とライオン(1975年アメリカ)
The Wind And The Lion
モロッコを舞台に、現地のアメリカ人一家を誘拐した現地民族の首長と、
そのアメリカ人を救うために立ち上がる時の合衆国大統領セオドア・ルーズベルトの姿を描く大河ロマン。
ハリウッドを代表する熱烈なタカ派だったジョン・ミリアスが73年の『デリンジャー』に続く監督作品で
スケールの大きな映画であり、確かに見応えがある作品になっている。主演のショーン・コネリーも合っている。
ある意味で、世界の大国になりつつあるアメリカと、アフリカとの確執を描いている作品ですが、
ジョン・ミリアスの視点は少々アメリカ寄りかもしれません。これは僕の勝手な感覚でもありますけどね。
映画に良い意味で重厚感もスペクタクルな感覚もあって、しっかりと期待に応えてくれる仕事ぶりではあるのですが、
映画のラストに今一つ訴求するものがないですね。ジョン・ミリアスはそんなものを描く気はなかったのでしょうけど、
気が強く芯の通ったご婦人を演じたキャンディス・バーゲンにしても、どこか中途半端な感じで終わってしまった。
もう少し何とか描きようがあったと思うのですが、ジョン・ミリアスに細かいことを求める方が間違ってますね(笑)。
劇場公開当時も大きな話題となっていたそうですが、“007シリーズ”を卒業して、
俳優として次のステージを模索していたショーン・コネリーが、モロッコのある民族の首長を演じるという、
かなり斬新なキャラクター設定ではあるのですが、よく頑張っていて、意外にも僕はそこまで悪くないと思いましたね。
次々と対立する勢力であったり、欧米の連合部隊の連中をやっつけていくわけで、
時に残酷な殺しすら躊躇しない首長であり、これまでショーン・コネリーが演じてきて役柄とは大違いでした。
一方で悪役というわけでもなく、キャンディス・バーゲン演じるご婦人には優しくする懐の深さを見せる表裏一体さ。
よく言われていることですが、ショーン・コネリー演じるライズリの登場シーンは、
完全に黒澤 明の『隠し砦の三悪人』の三船 敏郎の登場シーンのパクリ。これは意図的にやったのだろうか?
そして、ブライアン・キース演じるルーズベルト大統領の描き方は賛否があるでしょうね。
おそらくジョン・ミリアス的には合衆国の近代史上、極めて重要な大統領であると考えているのでしょうし、
本作を観る限り、敢えてルーズベルトをヒロイックに描いているように見える。少々、カッコ良く描き過ぎているかな。
結局、これが仇となっているような気がして、カッコ良く描き過ぎて、鼻につくキャラクターに見えるのも事実ですね。
やっぱりルーズベルト大統領はアメリカの保守勢力からは、根強く支持を得ているのでしょうね。
まぁ、ジョン・ミリアスからすると当然のスタンスなのかもしれませんが、ただ、誘拐事件のことを聞いて、
ああでもない、こうでもないとマスコミには良い顔して情報を流しますが、実質的には何もしてないに等しい。
ハンターとしての顔を持っていたセオドア・ルーズベルトですから、映画で描かれたように
イメージ戦略を展開していた部分はあるのかもしれませんが、結局は彼も誘拐事件を利用していた側面もあると思う。
実際、1901年に42歳の若さで合衆国大統領になったわけですが、1908年の大統領選には出馬せず、
世界中を旅行していたというわけですから、政治的な野心がどこまであったのかはよく分からず、
どこまで国際政治に精通していたのかも、よく分かりません。そもそもそこまで考えていたのかも謎なので、
ヒーローっぽく描かれていますけど、僕には無理してセオドア・ルーズベルトを描く必要があったのかは疑問でした。
まぁ、ハリウッドのセレビリティは元々、民主党寄りのスタンスが多い印象はあるので、
思いっ切りタカ派なジョン・ミリアスのような映画人は珍しいかもしれない。その観点からも、敢えて描いたのだろうけど、
結果としてこれがジョン・ミリアスがホントに描きたかったセオドア・ルーズベルトだったのだろうか?と疑問に思う。
それよりも、もっと深くライズリの苦悩や誘拐したご婦人との交流に力点を描いて、
映画のクライマックスに訴求するものがあるようにした方が、本作の価値は上がったと思えるので、
なんだか、このラストの弱さが勿体ないですね。あくまで取引をするために誘拐したということなので、
ライズリのポリシーとしてご婦人たちは傷つけないということなので、ご婦人の気持ちはライズリに傾いていきます。
これは恋愛感情とは違うのですが、誘拐された身でありながらも気持ちが傾くということは複雑なものです。
近年で言う、ストックホルム症候群にも似たものですが、この辺は深掘りしようと思えば、もっと出来たはずです。
それが中途半端にスケールの大きな合戦やら、ライズリの部隊の内情をダラダラと綴ってしまったものですから、
映画が磨かれずにせっかくの見応えあるアクション・シーンも生かされずに、映画が終わってしまった印象ですね。
これで、映画に『アラビアのロレンス』のようなパイオニア感があれば変わっていたのだろうし、
美しいロケーションをカメラに収めたシーンとかがあれば、変わり映えするのだけど、そういったものが全く無い。
正直言って、これでは苦しいですね。劇場公開当時も高く評価されたわけではない理由が、よく分かる気がします。
これは実際に発生した誘拐事件をモデルにした原作らしいのですが、
実際にアメリカ人が暮らす屋敷に、あんな感じで強引に馬上の民族が突っ込んできたのだろうか?
あんな強引に突っ込んできて、次々と屋敷の人々と殺害されていき、家の中にまで馬のまま入り込んで、
家族を誘拐していくというのは実に恐ろしいことで、これは避けがたい脅威ですね。あれでは誰も対抗できません。
必死に銃で応戦しますが、まるで数で制圧するかの如く、ライズリは目的の家族を誘拐することに成功します。
これほど暴力的で強引な誘拐はないですね。こういうのを観てしまうと、動機がどうであれライズリのやったことは
褒められたものではないし、キャンディス・バーゲン演じるご婦人がどうしてアッサリとライズリを許してしまうのか、
分かるようで分からないですね(笑)。「自分のポリシーとして女・子どもは傷つけない!」と宣言したって、
あんな酷い蛮行で誘拐しているのですから、彼女の立場としては到底許せるものではないと思うんですよね。
それが囚われの身となっていたライズリを解放するのですから、彼女の行動も支離滅裂に見えてしまう。
やっぱり、そういう意味では犯罪被害者が加害者に同情してしまうストックホルム症候群なのかもしれません。
どうでもいい話しですが...この囚われの身となったライズリですが、足首を天井からのロープで固定され、
ずっと逆さ吊りになっているという拷問にあって耐えていたようですが、これって短時間じゃないと耐えられなさそう。
現実的に考えちゃうと、血液が十分に全身に行き渡らないだろうし、こんな拷問受けたら黙ってても死にますよね。
しかも助けに来たご婦人、足首の固定をいきなり外すものだから、ライズリが頭から落ちて解放とか、ほぼギャグ(笑)。
まぁ、ただ単に野蛮な首長だと思っていたけど、実は彼なりのポリシーがあって誇りを持って生きる姿を
見直したということは理解できるけど、それでも助けに来たアメリカ軍に「一緒にライズリを助けましょう!」と言って、
一緒になって危険を顧みずにライズリを助けに行くというのは、通常の感覚では説明がつかないことに思える。
それと合わせて、このアメリカ軍も当時の思惑があって動いていたにしても、
結局はドイツ軍の連中を何か企んでいるようなイメージで描いていて、アメリカvsドイツの構図に持ち込んでいく。
さすがは反共主義を掲げるジョン・ミリアスが描くだけあって、途中から対ドイツの匂いをプンプン出すのがなんとも・・・。
ただ、この対ドイツの構図を持ち込んでくるのも、映画の主旨に照らし合わせると違和感ありまくりです。
結局はドイツをやっつけるためだったら、アメリカ人を誘拐したライズリと手を組むのはOKみたいなのかな?
この辺のアメリカにとって都合が良いロジックを感じさせるなぁと、うがった皮肉の一つでも言いたくなってしまいます。
映画の“土台”としては、しっかりとしたものだったはずだし、キャスティングも悪くはなかったはずだ。
しかし、やはり映画の味付けを間違えてしまった感が強いですね。もっとドラマの方向で頑張って欲しかったなぁ。
そうすれば、ショーン・コネリーの代表作の一つとなっていても不思議ではない企画だったはずなんですよねぇ。
そう思わせるくらい、本作のショーン・コネリーは実にカッコ良く描かれていますからねぇ。
せっかく何の縁か分かりませんが、映画監督のジョン・ヒューストンまで俳優として出演しているのに、
重ね重ね、もう少し楽しめる映画であって欲しかった。ルーズベルトのエピソードと、ライズリのエピソードが対になるが、
残念ながら映画の最後の最後まで相互が機能的に絡み合わなかったことが、本作にとって致命的と言えます。
そういえば、ショーン・コネリーが本作と同じ年に出演した『王になろうとした男』の
監督はジョン・ヒューストンでした。あの作品も終盤になるまでテンションが上がらず、キツい内容だったけど・・・。
(上映時間119分)
私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点
監督 ジョン・ミリアス
製作 ハーブ・ジャッフェ
脚本 ジョン・ミリアス
撮影 ビリー・ウィリアムズ
撮影 ロバート・L・ウルフ
音楽 ジェリー・ゴルドスミス
出演 ショーン・コネリー
キャンディス・バーゲン
ブライアン・キース
ジョン・ヒューストン
ジェフリー・ルイス
スティーブ・カナリー
1975年度アカデミー作曲賞(ジェリー・ゴールドスミス) ノミネート
1975年度アカデミー音響賞 ノミネート