追憶(1973年アメリカ)

The Way We Were

時のハリウッド・スターで二枚目俳優として人気あったロバート・レッドフォードと、
歌手として大活躍していたバーブラ・ストライサンドが共演した、メロドラマ調の恋愛映画。

第二次世界大戦中から、リベラルな活動に勤しんでいた女性ケイティが、
大学時代からの顔見知りで、海軍を経て物書きに転じていたイケメンのハベル。
政治的な志向は違うし、お互いに性格も合わないような2人が惹かれ合い、ケンカしながらも仲直り、
やがてはハリウッドに渡り成功を掴みかけるまでの、10数年間の変遷を描いています。

監督は当時はアメリカン・ニューシネマの代表格として知られていたシドニー・ポラックですが、
本作はどちらかと言えば、ニューシネマ・スターだったロバート・レッドフォードを72年の『大いなる勇者』に
続いて主演級に配役しながらも、本作は一転してアメリカン・ニューシネマっぽくはないというか、
全く正反対の対極するかのようなメロドラマを手掛けており、全く新しいアプローチや解釈は感じさせない作品だ。

劇中、ハベルが執筆したシナリオの映画が、ストーリーが緩慢であると言われていましたが、
本作自体も特に映画の前半は流れが悪い感じで、時間の経過がとにかくノロい・・・。

ヒロインのバーブラ・ストライサンドのリベラルな主義主張が強い性格の“押し出し”が強くて、
これは観客を選ぶタイプの映画でしょう。やはりこの手の映画はヒロインのキャラクターは大事ですね。
かと言って、ロバート・レッドフォード演じるハベルもあまり性格が良いとは言えないところもツラい。
この辺はシドニー・ポラックの描き方にも芸が無い。故に、彼らがあまり魅力的には見えないのです。

そもそも2人がどこから明確に恋愛感情を抱いたのかも分かりにくいのですが、
ダンスパーティーで酔ったハベルを家に招き入れ、お茶でも沸かそうとするケイティが既に浮かれてるし、
ハベルはハベルでいくら“眠り病”とは言え、バーカウンターでいきなり眠り込んでしまい、
どうしようもなくなって助けてもらった女性の部屋のベッドに無言で素っ裸になって我が物顔で陣取り、
ベッドの隣に入ってきたケイティを、眠ったまま抱きしめて愛撫し始めるなんて、どう考えても変でしょう(笑)。

これがこの時代のスタンダードだなんて言われたって信じられないし、
ましてやケイティのような少し、硬いところのある女性にこれが理解できるなんて、チョット信じられないような・・・。

そしてこの辺の違和感いっぱいの演出を堂々としてしまうシドニー・ポラックの強引さ。
そもそも、ケイティがいくら久しぶりに会ったハベルにビビッときたということを表現したいがために、
バーカウンターで眠るハベルの顔をズームで“寄せる”なんてカメラ、もう少し品良く撮って欲しい。
映画全体的にこのズーミングのいやらしさが、悪い意味で目立ってしまっているのが気になって仕方がありません。

如何にもシドニー・ポラックらしいのですが、それにしても、
69年の『ひとりぼっちの青春』、72年の『大いなる勇者』と続けて良い意味で一環したアプローチで、
徹底した映画に仕上げることで、そのインパクトや存在感を示すことができていたシドニー・ポラックが、
何故本作を手掛けたのかも分かりませんが、後年の彼の監督作品を観ていけば、恋愛映画は得意分野の一つとして、
撮り続けていたようなので、おそらくそれなりのこだわりがあって活動されていたのでしょうけど、あまり合っていない。

恋愛映画であれば、惹かれ合う過程に説得力がないのは映画として大きな痛手だし、
シドニー・ポラックのような仰々しい演出を使いたくなる演出家であれば、悪い意味で映画が大袈裟になってしまう。
恋愛映画はそのバランスが案外難しくて、シドニー・ポラックにその器用さは無かったように思いますけどねぇ・・・。

バーブラ・ストライサンドは既に歌手として名を馳せていましたが、
後に83年の『愛のイエントル』で監督デビューし、映画監督や女優業としての色合いが濃くなっていきます。
『愛のイエントル』はスピルバーグらに絶賛されたらしいのですが、やはり彼女の政治思想が色濃く反映され、
反フェミニズムの人を中心に非難の対象になってしまったようです。本作のケイティも彼女そのものという感じだ。

映画の中でケイティが主張していることは、決して間違っているわけではないと思うのですが、
これはこれで強烈なまでの理想主義で、彼女が思い描く理想を現実にするためには、
単に行動するというだけでなく、全員が正確に一分の狂いもなく理想通りに考えて行動しなければ、
ほぼほぼ確実に現実にならないだろうと思える。しかし、残念ながらケイティのやり方はあくまで“草の根”なのです。

そんな繰り返されるケイティの理想主義の“演説”に、周囲が嫌気をさしてしまうという構図だ。

ハベルは幾度となく、それを咎めていて、ケイティは「これが私なの...」との返答。
これでは事態は前に進まないし、ケイティの理想もいつまで経っても現実にはならない。
そして現実にならないことにストレスを抱え、ケイティは周囲の人々に攻撃的になってしまいます。
勿論、人間ですから、時に周囲に感情的にあたってしまうことはあるでしょうが、ケイティの場合はいつもそう。
そして考えが違う人を、なかなか受容できない。その柔軟性の無さは、彼女自身、自覚しているのです。

「これが私なの...」という返答も、直さなきゃと自覚している部分だったかもしれませんが、
どうしてもケイティは我を通してしまう。ハベルはその繰り返しに、嫌気がさしてしまったのかもしれません。

しかし、前述したようにハベルはハベルで、トンデモない男だ。

文才豊かで、ハリウッドでは脚本家として成功し、いわゆる“赤狩り”の波に飲まれるという、
不遇の脚本家だったのかもしれませんが、それにしてもケイティとの恋愛では酷い仕打ちをする。
映画の後半で描かれたようなことは、現代であったら、とてつもなく非難轟々の雨嵐といったところだ。
ひょっとすると、裁判沙汰になって、長い間、金銭的な償いを必要とすることかもしれません。

そして、映画のクライマックスはとっても良いシーンではあるのですが...
ハベルはどういう神経をして、ケイティと向かい合えたのか、男の目線で見ても、サッパリ理解できない。

いや、シナリオの段階ではこんなニュアンスではなかったのかもしれない。
結果として、このような感覚を観客に抱かせて、映画が終わってしまうというのは、監督の責任だと思う。
本作でのシドニー・ポラックは何か、大きな転換期を迎えていたのかもしれませんが、しかし、破綻していると思う。
これまでの彼の監督作品にあったような彼の良さは、本作でほぼ失われたと言っても過言ではない。

時代を代表するハリウッド・スター、ロバート・レッドフォードに演じさせるキャラクターにしては、
当時のエージェントも何を言わなかったのだろうか?と不思議に思えて仕方がないくらい、
僕にはこの映画の良さが感じ取れなかった。今回、20年ぶりくらいに再見したが、印象は全く変わらない・・・。

(上映時間118分)

私の採点★★★★☆☆☆☆☆☆〜4点

監督 シドニー・ポラック
製作 レイ・スターク
原作 アーサー・ローレンツ
脚本 アーサー・ローレンツ
撮影 ハリー・ストラドリングJr
音楽 マービン・ハムリッシュ
出演 バーブラ・ストライサンド
   ロバート・レッドフォード
   ブラッドフォード・ディルマン
   パトリック・オニール
   ロイス・チャイルズ
   サリー・カークランド

1973年度アカデミー主演女優賞(バーブラ・ストライサンド) ノミネート
1973年度アカデミー撮影賞(ハリー・ストラドリングJr) ノミネート
1973年度アカデミー作曲賞(マービン・ハムリッシュ) 受賞
1973年度アカデミー歌曲賞 受賞
1973年度アカデミー美術監督・装置賞 ノミネート
1973年度アカデミー衣裳デザイン賞 ノミネート
1973年度ゴールデン・グローブ賞歌曲賞 受賞