ヴィレッジ(2004年アメリカ)

The Village

99年の『シックス・センス』で一躍、ハリウッドを代表するヒットメーカーになったM・ナイト・シャマラン。
彼は00年に『アンブレイカブル』、02年に『サイン』を発表しましたが、明らかに出来が良くなかった。

実際、本作も劇場公開されるや否や、その評判はかなり微妙なものではありましたが、
僕はこの映画、そんな悪い出来ではないと思う。この雰囲気作りに関しては、映像作家としての力を感じさせる。

まぁM・ナイト・シャマランの映画には『シックス・センス』の頃から毎回、
彼が描く驚愕のラストに驚かされっ放しなのですが、『サイン』ではホントにブッ飛んだラストだったのに対し、
面白いことに本作のラストは『サイン』のラストとはまるで正反対のあり方で、そのギャップが凄い(笑)。
けど・・・本作のラストで急激に観客を突き放すかのように映画の調子を変えてしまう力技が何より凄い(笑)。
映画のラストが近くなってくると、M・ナイト・シャマランって、観客を驚かすことしか考えてないんだろうね。

オマケにM・ナイト・シャマランって、目立ちたがりなのか(笑)、
ドサクサに紛れて本作にも出演しているのがウケる。大きく画面には映らないけど、
薬をこっそり取りに来たパトロール隊員が開けた薬品庫の扉に彼の表情がくっきりと映る。
おそらく本人、そうとうな目立ちたがり屋でしょう。密かに自分の姿をフィルムに焼き付けています。

この映画、どう解釈すればいいのか困っちゃうんだけど...
見方としては2通りの見方ができて、1つは「世捨て人の映画」であり、もう1つは「迷信の映画」。

1800年代後半の農村地帯を想起させる小さな集落が物語の舞台で、
そこの住人たちは「森に入るな」だの「“あの人たち”の仕業ではない」だの、色々と意味ありげなことを言います。
時に恐怖を煽られるような出来事があり、底知れぬ恐怖が村人たちに襲いかかります。

ここで1つ描かれている要素は、「村で語り継がれる言い伝えが、現実なのか否か」ということだ。
迷信の一言で片付けられる問題ではないのではないかと、頻発する奇怪な現象を見て、村人は感じ取ります。
しかし物事の真相はどうであったか、彼らの恐怖を煽っていた正体は何なのか、見事に結論付けます。
かつて『サイン』では、まるで迷信だと思っていたことが現実であったという、映画という枠組みの中で考えても、
正直言って、かなりバカバカしい話しを大真面目に描き切ったM・ナイト・シャマランですが、本作はそれと逆です。

徐々に真実が明らかになっていくのですが、そのタネの明かし方は上手いと思う。
確かに前述したように力技が伴う映画ではありますが、その力技が観客に違和感を感じさせるレヴェルにはない。
独特な間合いを持ったディレクターではありますが、僕はかなり自然体に近い形でタネ明かしができていると思う。

よく日本でも田舎町で「子供たちがあそこで遊ぶと危ないから」と危惧して、
大人たちが迷信を作り上げて、それを子供たちに吹き込み、それを子供たちは忠実に守り、
その区域に行かないというエピソードがありますけど、本作がやっていることはそれに近い。
ただあくまで目的として、それは安全面での保護のためではなく、社会的な保護を目的としているということ。
この辺のカラクリが全て映画のラストで明らかにされるのですが、この語り方はお見事でした。
(まぁ・・・やはりこのラストに、僕は「うっそぉ〜!」と驚かされたけど...)

アイヴィーを演じた主演のブライス・ダラス・ハワードは映画監督ロン・ハワードの実の娘だそうです。
撮影当時22歳でしたが、存在感という意味では並外れたものを感じさせますね。“親の七光り”ではなさそうだ。

ただホアキン・フェニックス演じる、やや自閉症のような兆候を持つ青年ルシアスの存在が弱い。
勿論、この映画におけるキー・マンの一人であることは間違いないんだけれども、
個人的には彼が映画の終盤の展開に、もっと強く影響を与える存在であって欲しかったですね。
彼だけに着目して言えば、チョット中途半端な映画になってしまっているような気がして残念ですね。

この映画で描かれた村のような生活は、やがては行き詰ることは容易に予見でしたはずなのですが、
村人たちがあまり社会への強い願望や希望を持ち合わせていないところが大きな鍵ですね。
アイヴィーに「森を抜けて、薬を取ってきなさい」とゲームばりの指令を与えてしまう教師の男の心情変化は、
平穏な生活を常に求めてきた彼らの信念に反する事件が起きたからこそなのですが、
この映画のラストは問題の本質的な解決にはなっていないので、一概にハッピーエンドとは言えません。

社会学の見地から言えば、こういったコミューンこそ、田舎町特有の閉塞感を生むのではないでしょうか。

やはり何もかもが単一であるとか、何もかもが同じベクトルとなっているというコミューンって、
永続的な発展はあり得ないと思うんですよね。それが大きな落とし穴だと思うのです。
マイノリティが尊重され、ある程度の多様性があるコミューンの方がよっぽど健全な気がしますね。
ですから、アイヴィーが戻ってきたラストを迎えても、この村はよりおかしな方向へと動く可能性が高いです。
何故なら、村人たちに明確な社会に対する渇望が無いからなのです。

この閉塞感の方が、よっぽどホラーではないだろうか?(笑)

この映画を存分に楽しむためには、まずM・ナイト・シャマランのハッタリを楽しめるようにならなければなりません。
そういう意味では『シックス・センス』以降の2作は観ておいた方が、本作のハッタリの面白さを感じ取り易いかな。
そうすれば、本作はあまり気張らずに、気合を入れて観る必要のないタイプの映画だと、分かると思います。

ただ、M・ナイト・シャマランはそろそろこういう大袈裟な冗談のような映画という枠組みから
卒業した方がいいんじゃないかなぁ。毎回こればっかだと、いい加減、飽きちゃうよ〜(苦笑)。

あんまり、こういう自分のテリトリーに縮こまる作家性には賛同できないなぁ。
映画の出来は悪くないけど...本作なんか、お金のかかった規模の大きな冗談みたいな映画の好例じゃん。。。

(上映時間107分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 M・ナイト・シャマラン
製作 サム・マーサー
    スコット・ルーディン
    M・ナイト・シャマラン
脚本 M・ナイト・シャマラン
撮影 ロジャー・ディーキンス
音楽 ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演 ブライス・ダラス・ハワード
    ホアキン・フェニックス
    ウィリアム・ハート
    シガニー・ウィーバー
    エイドリアン・ブロディ
    ブレンダン・グリーソン
    チェリー・ジョーンズ
    セリア・ウェストン
    ジョン・クリストファー・ジョーンズ
    フランク・コリソン
    ジェイン・アトキンソン
    ジュディ・グリア
    M・ナイト・シャマラン

2004年度アカデミー作曲賞(ジェームズ・ニュートン・ハワード) ノミネート