トゥルーマン・ショー(1998年アメリカ)

The Truman Show

生まれたときから、30代の大人になる至るまでテレビ番組で作られたセットの中だけで生きてきた、
保険会社に勤務するトゥルーマンが、いろいろなことを経験するうちに外の世界を見たいと渇望する姿を
時に管理社会をシニカルなタッチで、時にユーモラスに描いた、SFにも通じる世界観のヒューマン・ドラマ。

監督はオーストラリア出身のピーター・ウィアーですが、
管理社会を痛切に批判し、人間らしさを求める姿を描いたというのは、ピーター・ウィアーらしい題材ですね。

荒唐無稽な部分が多い映画ではありますが、現実に21世紀に入ってから、
多くのリアリティ番組と称する、人間観察(モニタリング)を行う企画自体がテレビ番組化するようになったので、
本作で描かれた“トゥルーマン・ショー”というのは、時代の先取りであったという見方もできなくはありません。
ピーター・ウィアーがどこまで予見していたのかは分かりませんが、テレビ番組のプロデューサーが人の人生を
作り上げてしまうこと自体の奇異さを、批判的に描くことで、ある種の恐怖を感じた人も少なくはないだろうと思う。

何が現実か...という深遠なるテーマを内包しているような気がして、
もしも自分が生まれてから記憶にあることの全てが、作られた世界で自分の知っている現実の全てが
否定されるようなことがあれば、誰もが大きなショックを受けてしまい、立ち直れないかもしれない。

まぁ・・・冷静に見てしまうと、「30年以上生きてきて、やっと気づいたのかよ!」とツッコミの一つでも
入れたくなる気持ちも分からなくはないけれども、“トゥルーマン・ショー”の敏腕プロデューサーのクリストフが
トゥルーマンが生まれてから絶妙なタイミングで、絶妙な塩梅でショックを経験させることで、前に踏み出せない、
若しくは自分の世界を疑わない性格を作り上げることをしていたとしたら...誰もがトゥルーマンになるかもしれない。

友人も妻も両親でさえも、テレビ番組側が用意した演出であるなんて、恐怖でしかないし、
事実が分かれば、人間不信になること間違いなしですよね。と言うか、これは重大な人権侵害ですから。
そういう意味で、この映画の作り手は“トゥルーマン・ショー”を現実にありえる番組として描いたつもりは無くって、
この映画に現実味を持たせようとは、あまり思っていないと思いますね。シュールレアリズムを追求したものと思う。

当初は、シナリオを書いたアンドリュー・ニコルが自ら監督を担当する予定だったようですが、
当時のアンドリュー・ニコルは97年の『ガタカ』で監督デビューしたばかりで、本作の規模が大きくなっていき、
プロダクションが実績のある監督にお願いしようということで、撮影開始前にピーター・ウィアーに打診したようだ。

アンドリュー・ニコルがそのまま監督していれば、おそらく映画はもっとSFっぽさを残しただろう。
そこをピーター・ウィアーが演出することで、どちらかと言えば哲学的かつ文明社会批判のエッセンスの方が強調され、
社会学的なテーマが前に出た映画という印象になりました。結果的には、この方が手堅い路線ではあったのかも。

トゥルーマンが生きる世界は、全てがセットであり、街の人々はエキストラか俳優である。
それゆえ、冷静に見るとどこか奇異に見える。だからこそトゥルーマンも自分が生きる環境を疑い始めます。

しかし、いざ街を出る勇気を持てず、その勇気を持たせないように絶妙なトラウマを
テレビ番組のプロデューサーがトゥルーマンに植え付けるわけで、これは現代で言う重大な人権侵害だ。
これはメディアへの警鐘とも解釈できる内容であり、かなり強烈なアンチテーゼとも言える強いメッセージ性がある。

そんなトゥルーマンを演じたのは、本作以前はコメディ映画で顔芸を中心に人気を博していた(?)、
ジム・キャリーでしたが、本作で高く評価されたことで演技派な一面もあるということを、見事に見せつけました。
特に90年代終盤から、00年代に入る頃までは本作もですが、『マン・オン・ザ・ムーン』、『マジェスティック』と
立て続けにシリアスな役どころに挑戦して、当時はアカデミー賞を狙っているのではないかと囁かれていました。
結局、コメディ俳優には冷遇するアカデミーの傾向と言われていたことを覆すことができず、まだ受賞していませんが。

実際、僕は本作でのジム・キャリーは顔芸に頼らずに、よく頑張ったと思いますよ。
所々、顔芸に出そうなシーンがあるにはありましたが、彼の表現力でトゥルーマンの人柄を演じ切りましたね。

が、この映画はトゥルーマンの“冒険”の無限大に広がる空間性を、キチッと描けていないのが残念。
確かにシナリオ上では、トゥルーマンが生きるセットの世界と、時折見せる、視聴者の表情というだけなので、
いわゆるスモールタウンを舞台にした映画ということなのだろうけど、そんな中でもトゥルーマンはもがき苦しみ、
そんなスモークタウンから出ようと勇気の一歩を踏み出すことが大きなテーマであって、その一歩を踏み出すまでに
トゥルーマンにとっては壮大な“冒険”があったはずで、それまでの人生では到底経験したことがない旅があったはずだ。

僕はそんな一世一代の旅だからこそ、例えセットの世界であっても、もっと広さを感じさせる描き方をして欲しかった。
こういうところは、どことなくパーソナルでプライベートな世界に終始してしまうのが、ピーター・ウィアーらしい。

それは荒波にもまれるだけでは不足でして、失踪したトゥルーマンを探す人々の描写に
この映画は時間を費やしているのですが、これは僕の中では全く逆の意見でして、何故にトゥルーマンを描くことに
時間を使わないのかと、疑問でならない。だから、どことなく狭い世界でスケールが小さなことをやる映画、
という印象が拭えないまま映画が終わってしまう感じがして、なんだか僕には損しているように見えて仕方がない。

別にスケールが小さいことを“売り”とする映画ではないのだから、
結果としてスモールタウンのスケール感そのまんまの映画にしかならなければ、トゥルーマンの“冒険”も広がりません。

そのせいか、唐突に映画がクライマックスを迎えてしまうのが、気になってしまった。
このラスト、スゴく印象的なシーンなはずなのに、あまりに余韻が残らない悪い意味で軽いラストになっている。
これは実に勿体ない映画の終わり方だと思った。特に本作は、終盤までは上手く描けてきただけに余計に勿体ない。

キャスティングも良かったし、脚本自体もとっても良く書けているのでしょう。
映画の発想としても面白いし、映画のテンポも良い。そうなだけに、この映画の終盤のスケールの小ささ、
トゥルーマンの“冒険”をしっかりと描けなかったことが、悪い意味で映画を軽くしてしまったように思えてならないのです。

この辺を観ると、やっぱ...アンドリュー・ニコルが自分で監督した方が良かったのかなぁ?

別に管理社会を批判する社会学的なアプローチで手堅い内容にすることは良いのだけれども、
もっと最後に訴求するものがなければ、この映画の場合は輝かないでしょうね。ここがどうしても、弱点に見えます。
この終盤はアンドリュー・ニコルだったら、どういう風に撮っていたのか?というのは、個人的には気になります。

しっかし、実際問題として考えると、自分たちに不都合な展開になるとテレビ放映を中止するという
テレビ局の勝手さもスゴいですね。本作で描かれるトゥルーマンの“冒険”というのは、結局こういうことで、
トゥルーマンがプロデューサーのクリストフの意図と異なることをやり始めるなら、局としては放送しないということだ。

現実には、ありえない放送局としてのスタンスではありますが、
そんな放送局が製作する番組が人気を博し、固唾をのんで毎回放送を欠かさずに見る視聴者も、
こういった番組を助長しているのかもしれない。皮肉にも、そんな視聴者はトゥルーマンに同情するんですけどね。
現代であれば、これはコンプライアンスの問題になったのでしょうが、この頃は応援することしかなかったですからね。

今はテレビというメディアが1番手ではなくなってきた感があります。
Youtubeなんかは、完全にテレビに取って代わった感がありますが、人間モニタリングみたいな企画は
むしろYoutubeの方が成立しやすいですからね。おそらく、これからも色々な問題が顕在化していくのでしょう。

敢えて、残念に感じた点を感想として残しましたが、基本、面白い映画だとは思います。

(上映時間102分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 ピーター・ウィアー
製作 スコット・ルーディン
   アンドリュー・ニコル
   エドワード・S・フェルドマン
脚本 アンドリュー・ニコル
撮影 ピーター・ビジウ
美術 デニス・ガスナー
編集 ウィリアム・アンダーソン
   リー・スミス
音楽 ブルクハルト・ダルウィッツ
   フィリップ・グラス
出演 ジム・キャリー
   エド・ハリス
   ローラ・リニー
   ノア・エメリッヒ
   ナターシャ・マケルホーン
   ホーランド・テイラー
   ブライアン・ディレイト
   フィリップ・ベイカー・ホール
   ポール・ジアマッティ
   フィリップ・グラス

1998年度アカデミー助演男優賞(エド・ハリス) ノミネート
1998年度アカデミー監督賞(ピーター・ウィアー) ノミネート
1998年度アカデミーオリジナル脚本賞(アンドリュー・ニコル) ノミネート
1998年度イギリス・アカデミー賞監督賞(ピーター・ウィアー) 受賞
1998年度イギリス・アカデミー賞オリジナル脚本賞(アンドリュー・ニコル) 受賞
1998年度ゴールデン・グローブ賞主演男優賞<ドラマ部門>(ジム・キャリー) 受賞
1998年度ゴールデン・グローブ賞助演男優賞(エド・ハリス) 受賞
1998年度ゴールデン・グローブ賞音楽賞(ブルクハルト・ダルウィッツ、フィリップ・グラス) 受賞