博士と彼女のセオリー(2014年イギリス)
The Theory Of Everything
2018年に76歳で他界した宇宙物理学者のホーキング博士と、元妻ジェーンの歩みを描いたドラマ。
ホーキング博士を熱演した、若手俳優エディ・レッドメインがアカデミー主演男優賞を獲得し、
作品自体も2014年度アカデミー賞で作品賞を含む、主要5部門でノミネートされるなど高く評価されました。
ホーキング博士は特異点(シンギュラリティ)を提唱して、相対性理論だけでは宇宙を語ることはできないと、
数学的に証明したことで世界的な権威となりましたが、60年代に若くして難病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)を
発症することになり、当時は医療が発達していなかったこともあって、医師からは余命が2年間であることを告げられ、
大きなショックを受けて鬱状態となった時期もあったようですが、想定以上に症状の進行が遅く、70代まで生きました。
本作はそんなホーキング博士の研究活動を支えたと言っても過言ではない、
彼の元妻であるジェーンの視点から、彼の研究に対する信念やプライベートな姿を描くことで、生きることの喜びと
綺麗事では済まされない日々の生活の過酷さ、現実の厳しさを描くものであって、博士自身の視点ではありません。
しかし、映画としてはとても丁寧に作り込まれていて、僕はなかなか良い出来だったのではないかと思います。
ホーキング博士自身、自身の侵された病いを知り、絶望して鬱状態であったところを
当時の恋人であったジェーンが彼の闘病生活を支えようと、彼女は余命宣告された彼と結婚することを決意します。
医師の想像よりも病状の進行は遅いながらも、日常生活が徐々に不自由になっていく中で
彼らは3人の子どもに恵まれ、温かい家庭を築きながら、ホーキングは研究活動に勤しみ彼は業績を上げていきます。
しかし、理想と現実は異なり、当初は彼を支えようと決意していたジェーンの心も微妙に揺れ動くものが生まれます。
母親から勧められた教会通いの中で出会った、優しいバツイチ男ジョナサンに心惹かれ、ホーキングの日常生活の
介助を手伝ってもらう中で3人目の子どもが誕生すれば、親族からは「一体誰の子なのか?」と心無い声をかけられる。
映画の中ではボカされて描かれてはいますが、ホーキング自身、随意運動には支障をきたすものの、
不随意運動には支障をきたさないと言っているシーンがあるので、子どもを設けることは出来たということでしょう。
ジェーンにとってはそういった周囲の理解が得られず、無配慮な言葉をかけられることが精神的なストレスだったはず。
まぁ、若い時は理想を実現させる力があっただろうし、耐える力もあったのかもしれない。
とは言え、それが何年・何十年と続けば蓄積されてくるわけで、ましてやホーキング博士自身が余命2年と言われるも、
結果的に70代まで生きたわけで、べつにジェーンがホーキングの最期を悟っていたわけではないだろうけれども、
それでも日に日に衰えていくホーキングの介助を、何十年も続けていくこと自体が彼女にとって大きな負担だろう。
それを出来なかったからと言って、否定的に彼女を描くようなことは誰だってしたくはないことだろう。
奇しくも本作はジェーン自身の原作ではありますけど、ALSと闘う患者さんの日々を綺麗事で描こうとはしていない。
むしろ、ジェーン自身の心の迷いや、より研究活動に深化していくホーキングとのすれ違いなど、シビアに描いている。
そこにジョナサンのような心優しい男が近くにいれば、心動かされてしまうというのも分かる気がする。
ホーキング博士の研究活動に対する信念は凄まじく、身体の自由が利かなくなっていく中で
周囲の助けや理解があったとは言え、精神的にもキツい状況だと思うのですが、それでも革新的な業績を上げていく。
「宇宙について全てを語れる一つの式を発見したい」とする彼の情熱が凄まじく、他の追従を許さなかったのだろう。
本作でも描かれていますが、最初に彼が学説を発表し相対性理論を否定するかのようなニュアンスに
聞こえてしまったのか、発表を聞いていた一部の研究者からは完全に拒否反応を示されたりと、悔しさもあっただろう。
しかし、彼の学説を支持する声が高まり、彼の研究業績は世界的な評価を受けることで有名な存在になっていきます。
皮肉にもジェーンにとっては、彼が有名になり注目される存在になればばるほど、遠い存在になったのかもしれない。
不思議とジェーンからすれば、一介の研究者として下積みを重ねていた時期の方が、合っていたのかもしれませんね。
まぁ、綺麗事では済まされない夫婦関係であったことを示唆している内容ではありますが、
ホーキング博士もジェーンの気持ちを傷つけてしまったりと、お互いに精神的に消耗してしまう側面があったようだ。
勿論、本作はジェーンの視点で描かれた原作の映画化ですので、どこまでがノンフィクションなのかは分かりません。
でも、単純に物語として考えたとき、難病を患った夫と彼を支える妻の物語としては、本作は少々異端な内容かも。
そんな特徴づけができたからこそ、本作に価値があったと言えるかもしれないし、本作の“武器”だと思う。
そんなジェーンを演じたのは、当時の若手女優として期待の大きかったフェリシティ・ジョーンズですが、
オスカーを受賞したエディ・レッドメインに隠れてしまったとは言え、僕は彼女も負けず劣らず良かったと思いますよ。
事実、彼女もアカデミー主演女優賞にノミネートされてますから、相応に彼女も評価されたということなのでしょうけど。
実際問題として、どんな困難があっても耐え抜く愛であれば、それはそれで良いのだけれども、
やはり現実はそんな甘くないし、年をとったり家庭環境が変わっていくと、人間の考え方は簡単に変わっていく。
それがジェーンの場合は分かり易い形で訪れるので、この物語自体に賛否があるだろうけど、とても自然なことと思う。
それはホーキング博士にも同じことが言えると思いますけど、聖人君子な人って、そう多くはないですからね。
だからと言って、安易に子どもを設けたり、破滅的な夫婦関係に陥ることを肯定する気はありませんが、
一方で誰だって彼らと同じような悩みを抱える可能性はあると思います。そう思うと、なんだか切ない映画なんですね。
監督のジェームズ・マーシュはドキュメンタリー映画から有名になったイギリス出身のディレクターですが、
本作はドミュメンタリー・タッチというわけではなく、どちらかと言えば主観的な視点で映画を描いていると感じました。
ただ、所々で俯瞰的な視点も僅かに感じさせる部分もあって、絶妙な具合にブレンドされバランス感覚に優れている。
ホーキング博士に対する想いも人さまざまでしょうから否定的な意見もあるだろうが、僕は良い仕事したなぁと感じます。
欲を言えば、クライマックスに2人の出会いまで一気に巻き戻す演出は少しウザったいなぁと感じたけど、
それ以外は実に堅実で、細部にわたって丁寧に描かれて、2人の夫婦像を重層的に作り上げるタッチが良いですね。
主演のエディ・レッドメインは言わずもがなスゴい。若手俳優としても群を抜いている。
“デ・ニーロ・アプローチ”とまでは言わないけれども、ホーキング博士の表情や視線をよく観察しているなぁと思った。
生前のホーキング博士自身がどう思っていたかは本音は分かりませんが、彼なりに最高の芝居で応えたと思います。
ホーキング博士はジェーンとジョナサンのことを理解しつつも、介護士を雇ったことをキッカケに
ジェーンとの距離を置くようになり、やがては離婚を決意します。この決断には色々な想いがあったのだろうけど、
真意は分からないが、ジェーンを介護から開放したいという気持ちもあったのかもしれない。なんとも切ない決断である。
後に、その介護士を結婚してホーキング博士自身が称賛される場には必ず彼女が同行しますが、
結果的に晩年である2011年にホーキング博士は介護士とも離婚することになり、彼の子供たちが介護士による
虐待の事実を告白したり、実は介護士に不倫疑惑があるなどスキャンダラスな報道があって、話題となりました。
おそらく、このような展開自体、ホーキング博士の本意でなかったと思いますが、有名になり過ぎたのかもしれません。
この辺りからジェーンは再婚相手であるジョナサンの理解を得た上で、
ホーキング博士の生活をバックアップしていたというから、他界されるまでは良好な関係であったのかもしれない。
そういう意味では、ジェーンが結婚生活について赤裸々に本を書くことは博士への悪意があったわけではないだろう。
だからこそ、映画の最後は彼らの出会いの時代に帰結するという運命的なシーンにしたのかもしれない。
ちなみに本作はホーキング博士の理論物理学に肉薄するような映画ではなく、
ホーキング博士の人間性に肉薄する映画でもなく、あくまで夫婦の愛の形を描いた作品だと思った方がいいです。
しかし、夫婦にも一つだけ条件が付いていて、それはホーキング博士のALSの闘病と介護があるということです。
まぁ、彼の偉業を見たい人にとっては、その期待に応えてくれない映画ですから注意した方がいいですね。
(上映時間123分)
私の採点★★★★★★★★★☆〜9点
監督 ジェームズ・マーシュ
製作 ティム・ビーバン
エリック・フェルナー
リサ・ブルース
アンソニー・マクカーテン
原作 ジェーン・ホーキング
脚本 アンソニー・マクカーテン
撮影 ブノワ・ドゥローム
編集 ジンクス・ゴッドフリー
音楽 ヨハン・ヨハンソン
出演 エディ・レッドメイン
フェリシティ・ジョーンズ
チャーリー・コックス
エミリー・ワトソン
サイモン・マクバーニー
デビッド・シューリス
2014年度アカデミー作品賞 ノミネート
2014年度アカデミー主演男優賞(エディ・レッドメイン) 受賞
2014年度アカデミー主演女優賞(フェリシティ・ジョーンズ) ノミネート
2014年度アカデミー脚色賞(アンソニー・マクカーテン) ノミネート
2014年度アカデミー作曲賞(ヨハン・ヨハンソン) ノミネート
2014年度イギリス・アカデミー賞主演男優賞(エディ・レッドメイン) 受賞
2014年度イギリス・アカデミー賞脚色賞(アンソニー・マクカーテン) 受賞
2014年度全米映画俳優組合賞主演男優賞(エディ・レッドメイン) 受賞
2014年度ゴールデン・グローブ賞主演男優賞<ドラマ部門>(エディ・レッドメイン) 受賞