サブウェイ123 激突(2009年アメリカ)

The Taking Of Pelham 123

2012年に残念ながら自殺したトニー・スコットの監督作品。

映画は冒頭からトニー・スコットらしさ全開。スタイリッシュな撮り方が相変わらずのセンスの良さで、
世界を代表する大都市ニューヨークの忙しさ、ゴミゴミとした感覚を実に克明にカメラに収められている。

74年にジョセフ・サージェントが撮った『サブウェイ・パニック』の現代版リメークなのですが、
結論から言うと、映画の面白さ自体はそこまで変わらないかなぁとは思うけど、どこか通俗的な仕上がりになった
本作をジョセフ・サージェント版が気に入ったオールドな映画ファンから言わせると、「邪道」な映画かもしれません。
まぁ・・・本作は良くも悪くもハリウッド映画の典型。トニー・スコットのクールなスタイルが炸裂しており、
74年版の良さを支えていたストイックな部分は、全くと言っていいほど無くなってしまったと言える内容だ。

だから僕は本作を、『サブウェイ・パニック』とは全く別物な映画として考えた方が賢明だと思う。

個人的にはジョン・トラボルタ演じる地下鉄ジャック犯の目的が、
ニューヨークを混乱させることでニューヨーク株式市場の相場を軒並み下落させて、
その分だけ金の取引に資金を流入させ、金の相場を上げるために地下鉄をジャックするという、
何とも凡人には理解できない目的・手法が謎なのですが、それでも目的達成のためには情け容赦などなく、
カウントダウンして予告通りに、人質をターゲットにしていく非情さが徹底されていて良かったと思う。

但し、個人的にはトニー・スコットにはもっと地下鉄を舞台にしているという、
密室性やテロの恐怖に固執して欲しかった。これでは地下鉄をテーマにした魅力が半減している。
だからこそ、74年の『サブウェイ・パニック』とは全く別物な映画と言わざるをえなくなったのかもしれない。

スタイリッシュなアクションを追及するあまり、“追いかけっこ”の面白さが希薄になってしまい、
ハリウッド映画としてありがちなタイプの映画に甘んじてしまった部分があるのは、否定できないと思います。

元々のジョン・コーディの小説や74年に映画化された『サブウェイ・パニック』では、
ニューヨークの地下鉄がジャックされるという発想自体がセンセーショナルであったことと、
それまではハイジャックやシージャックは実際の事件としても認知されていたが、
地下鉄自体は密室空間とは言え、飛行機や船と比較すると、どこかジャックしても捕まり易いように思えるせいか、
あまり創作の対象となりにくかったところを、チョットした着想点の変更で人気を博したものでした。

残念ながら本作にはそういった面白さというのは、無かったように感じています。

どうせなら、地下鉄を舞台にした設定の面白さにもっと固執して欲しかったですねぇ。
地下鉄とは、高速で走る鉄道でもなければ長距離を走破するわけでもない。しかも密室的空間という制約があり、
犯人グループからしても、いくら人質をとるとは言え、目的を達成するためにやり遂げるためには、
かなり高いハードルがあるインフラストラクチャーと言えるわけで、何かしらのアイデアがあるはずだ。

そんな知的興奮を演出する必要がある題材だと思うのですが、
それがトニー・スコットの良さでもあるのですが、単純なアクション・エンターテイメントにしてしまったのが、
元々の『サブウェイ・パニック』を楽しんだオールドな映画ファンからすると、不満な要素になるのかもしれません。

そのせいか、人質がどうなってしまうのか、交渉人として指名されたガーバーが
どう交渉して人質を解放させる方向へ向かわすのか、というスリルは十分にあるのですが、
犯人グループの狙いが何で、どうやって犯行を完遂するのかというスリルは本作にはほぼ皆無で、
映画の最後の最後までチョットした工夫のあった『サブウェイ・パニック』とまともに比較してしまうとツラいと思う。

あくまでエンターテイメントとして考えた時、本作は現代的なサスペンス映画としての役割は十分に
果たせていると思うけれども、やはり『サブウェイ・パニック』とは全く別物な映画になっているのは否定できない。

そういう意味では、トニー・スコットは映画の冒頭で明確に自分のカラーで映画を撮ることを宣言し、
映画の最後まで自分のスタイルに徹しているので、これはこれで間違いではなかったと思うのですよね。
ただ、前述した“追いかけっこ”の面白さが希薄という点、地下鉄ジャックという着想点の面白さを
フルに生かせなかったという点では、トニー・スコットの技量からすれば、もっと上手くできたと思います。

個人的には、もっと時間にこだわった映画であって欲しかったですね。
特にクライマックスが近づくにつれて、犯人グループが指定した時間内でガーバーらが
動かなければならないのですが、どうも時間的制約を上手く観客に印象付けられておらず、
現実味が薄いように思う。どう考えても、ガーバーが指定された時間内に動けているようには思えないのですよね。

これができていないからこそ、どうしても映画の緊張感も最高潮とまではいかない。
結局、映画に物足りなさが残ってしまうことが、凄く勿体ないことだと感じられてならないんですよねぇ・・・。

主人公のガーバーの描き方にしても、どこか中途半端な印象が拭えない。
確かに一見、善人に思えても、どこかグレーな部分を持つという人物像の闇を上手く利用した面はあるが、
どうせデンゼル・ワシントンに演じさせるのであれば、もっとガーバーの人物像をハッキリと描いた方が良かったと思う。

徹底した悪党を演じたジョン・トラボルタは、近年のどこか開き直った芝居。
映画のクライマックスでの対決シーンで、ガーバーをまくし立て、逆に彼を追い詰めようとする姿は印象的。
もう近年のジョン・トラボルタは、すっかり悪役が似合う役者になっていますね。90年代とも、また違いますね。

トニー・スコットはおそらく本作の頃から、悩んでいた部分は多かったのでしょうが、
それでもこれだけの映画が撮れる映像作家であったからこそ、彼の喪失はハリウッドにとっても大きなものですね。

ナンダカンダ言って、トニー・スコットの監督作品の大きな特徴として、
例えば本作の冒頭のような、大都会の喧騒と表現した、忙しない映像にはインパクトがあります。
これだけのインパクトを残せるのは、やはりトニー・スコットの映像作家としての技量あってこそだと思うんですよね。
こういう映像で、ワクワクさせてくれる映像作家が、また一人いなくなってしまったことが悲しくてたまりません。

どうでもいいけど、ニューヨークの地下鉄の車両の構造は分かりませんが、
車両を切り離して、あんなに上手く運転できるようになっているのだろうか・・・?

(上映時間109分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 トニー・スコット
製作 トッド・ブラック
   トニー・スコット
   ジェイソン・ブルメンタル
   スティーブ・テイッシュ
原作 ジョン・ゴーディ
脚本 ブライアン・ヘルゲランド
撮影 トビアス・シュリッスラー
編集 クリス・レベンソン
音楽 ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
出演 デンゼル・ワシントン
   ジョン・トラボルタ
   ジョン・タトゥーロ
   ルイス・ガスマン
   マイケル・リスポリ
   ジェームズ・ガンドルフィーニ
   ベンガ・アキナベ