黒部の太陽(1968年日本)

これは記録映画として観れば、とっても優秀な映画だと思います。

近代日本の歴史に名を残す、富山県の黒部ダム建設に関わる幾多の苦労と人間ドラマを
ダイナミックなロケーションをもとに、当時の日本映画界の総力を挙げて製作した3時間を超える大作です。
生前の石原 裕次郎が「こういう映画は映画館のようなところで、観るべき作品だ」と言い残し、ビデオ化の権利を
販売会社に移すことなく、長年、版権を石原プロダクションが持っていたことでも有名な大作です。

この企画を、当時、30代後半だった熊井 啓が任されたというのも、なんだか意外な感じですが、
見事に当時のプロダクションの期待に応える仕上がりぶりで、熊井 啓がフリーとして活動するキッカケになりました。

関西電力は勿論のこと、熊谷組、佐藤工業、大成建設、国土開発、小松建設と大手ゼネコンが
工事担当場所をシェアして施工にあたったわけですが、黒部の山奥にダムを作るための資材を送り込むためにも、
最初の関門となる、“関電トンネル”を掘削する上で、複雑な地質と吹き出る地下水と格闘しながら、
地元の土方が奮闘するのですが、実際に労災事故死ゼロを目指したものの、たくさんの殉職者をだしてしまいました。

この映画は上手い具合に人間の心理を描けていると思います。実に優れたドラマです。
小さなことではありますが、安全第一に工事を完了させたい三船 敏郎演じる関電の黒四建設所次長が
現場を実質的に指揮しながらも、集まった土方が無茶をしてしまうこともあり、結果的に事故に至ってしまう。

それも含めて、徹底できないのは職場責任ということになりますが、
安全衛生の鉄則ですが、災害とは不安全状態と不安全行動が合わさったときに、一気に発生リスクが高まります。

どんなに注意喚起していても、働く労働者が強い自覚と、日常から手抜かりなく安全作業を励行し、
またそれを実行させる現場の管理体制でなければ、人が働く以上は事故が撲滅できないということです。
人間の心理も含めて理解する必要がある世界だと思いますが、本作はそういったことも描いていると思います。

厳しいもので、それまではイケイケで肉体労働に興じていた労働者たちも、
ひとたび大きな事故が発生して犠牲者が発生すると、「そもそも誰だ、こんな計画を立てやがったのは!?」と
食ってかかり、「お前らは殺人者だ!」と罵り始めます。現実には、労働者たちもハラスメント的な扱いを受け、
経済的にも困窮した結果、このような土方として働かざるをえないという、半ば強制労働のような側面もあったでしょう。

しかし、この映画を観て感じるのは、現代ではこのような働き方、働かせ方は安全軽視の強制労働と
批判する人もいるだろう。ただ、僕はそう安易に解釈するより、高度経済成長期という現代とはまるで違う時代の
物語であり、どこまでがノンフィクションなのかは分からないが、まだ「お国のために働く」とか、そういう感覚が強かった
時代であって、全てが現代の感覚では語れない内容なのだろうと思うのです。だから、僕は本作を記録映画だと思う。

昨今のTBSの日曜夜9時のドラマが好きな人には、胸が熱くなるであろうシーンや
やり取りが幾度となく登場してきますし、言葉は悪いが、昭和の男の世界を描いた映画としか言いようがありません。
でも、僕は今更それを否定的に観たりはしないし、あくまで一本の映画として、醍醐味を味わうべきだと思うのです。

関電の社長なんかは、黒四の建設に「金に糸目はつけない、金のことなら私に任せなさい」と豪語します。

しかし、この社長の経営哲学は賛否があるだろうが、僕には実に経営者らしく映った。
現代では「経営者は経営リスクを取り払って、会社を継続させること」みたいな考えが強いけれども、
それはそれで否定しないが、本作では「10あるうち10確信が持てるものを実行するのは、社長の仕事ではない」とし、
「10あるうち7くらいしか確信が持てないものを実行してこそ、社長の仕事だ」と断言するのは素直にスゴいと思う。

まぁ、それも裏を返せば、ただただ前向きにやれというだけではダメなわけで、
そういったことにチャレンジするためには、それまで取り組んできた何かを減らすか、止めなければ整理がつかない。
だから、今取り組んでいる中から、思い切って止めると判断することこそが、本来の社長の仕事と思うのです。
止めるということを会社の中で、主導的に判断できるのは、やはり経営陣、特に社長しかいないのですよね。
でも、今の日本の企業社会の病理なのかもしれませんが、意外と止めるという判断を下したがらないことが多い。

だから、どれも中途半端で、新しいことに舵を切り切ることもできず、尻すぼみで終わってしまうことが多い。
賛否はあるだろうし、必ず成功するというものでもないが、こう断言する経営者というのは当時も強かっただろうと思う。

結果として経営の潮目を変えることができた経営者の残すものって、大きいですからねぇ。
それを無理にやろうとして失敗する事例も数多くありますが、経営者のカリスマ性とはこういうところにあると思う。
自分には到底出来ることではないが、それをやり遂げるための胆力と人徳が必要なのかもしれませんね。

確かに黒部ダム自体は、富山県という北陸地方に位置するロケーションですが、
東日本と西日本の境界とも言える場所で、険しい大自然があるからこそ、豊かな水源で広い土地が確保でき、
当時は火力発電推進一辺倒であった日本の電力政策に、新たな武器を加えるかの如く、大規模な水力発電が
可能になりました。自然破壊との声も大きかったと聞きますが、特に京阪地区の戦後は、電力供給が不安定で
計画停電を実施せざるをえなかったぐらいだったので、こういった電力供給不安が一気に解消されました。

これは西日本の人々の生活が豊かになるだけではなく、
積極的な産業誘致を実施することが可能になり、大規模な電力消費に対して応えうる電源を確保できたわけです。

結果的に阪神工業地帯は戦後、関東圏の工業地帯に勢いとしては負けてしまいましたが、
昨今の関西は学術都市としての機能に力を入れているようで、今は黒部ダムの影響よりも他の発電所の
影響の方がデカいでしょうけど、黒部ダムは昭和の時代を語る上では外すことができない存在ですね。

私も行ったことはないのですが、一度は黒部ダム、行ってみたいですねぇ〜。
富山市からもかなり遠いと聞きますし、長野市側からのアクセスもあまり交通の便が良いとは聞かないですし。
せっかく行くなら、個人的には立山黒部アルペンルートの立山駅側からアクセスしてみたいしなぁ〜。

立山駅から美女平までの立山ケーブルカー、室堂までの高原バス、大観峰までのトロリーバス、
黒部平までの立山ロープウェイ、黒部湖までの黒部ケーブルカーと、なかなか乗れない乗り物の連続で、
以前某テレビ番組で観ましたけれども、凄い面白そうな冒険心くすぐる感じで一度観光で行ってみたいですねぇ。

本作で描かれた関電トンネルは長野県側の扇沢駅から黒部ダムまでのアクセスルートで、
今は電気バスが約6kmのルートを、15分くらいかけて走破するという歴史的な観光名所になっているようです。

優れたドラマ、当時の日本映画としてはかなり力の入れた大迫力の映像。
ただ、凄く訴求する映画というほどではなかったのが残念かな。そういう意味では、この映画はラストが物足りない。
3時間を大きく超える大長編なだけに、観賞するのに体力を要する映画だっただけに、最後が訴求するものなく
映画がアッサリ終わってしまい、どこか拍子抜けする感じで勿体ない。ここが傑作と言い切れない理由かな。

「金はいくらかかってもいい。そんなことは私に遠慮なく言いたまえ。それよりも技術的に可能なのか?」

結局はこの言葉に集約されていると思いますが、やらない限り、技術の進展もありません。
確かに現代の感覚では合わないところもあるとは思いますが、それでも先人たちの苦労を映画に残すことで、
未来を切り開くことの尊さを問う、良い記録映画だとは思いますね。今後、更にスポットライトが当たることを期待します。

この映画について、先々のことを石原プロダクションがどう考えているのかは分かりませんが・・・。

(上映時間196分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 熊井 啓
製作 銭谷 功
   小林 正彦
企画 中井 景
原作 木本 正次
脚本 井手 正人
   熊井 啓
撮影 金宇 満司
美術 平川 透徹
   山崎 正夫
   小林 正義
編集 丹治 睦夫
音楽 黛 敏郎
出演 三船 敏郎
   石原 裕次郎
   滝沢 修
   志村 喬
   佐野 周二
   辰巳 柳太郎
   加藤 武
   宇野 重吉
   玉川 伊佐男
   下川 辰平
   平田 重四郎
   高津 住男
   寺尾 聡
   二谷 英明
   大滝 秀治
   樫山 文枝
   日色 ともゑ
   川口 晶
   高峰 三枝子
   芦田 伸介