雨あがる(1999年日本)

なるほどね、これは確かに黒澤 明が撮っていれば・・・と思える企画ですね。

山本 周五郎の短編小説『おごそかな渇き』を原作に、黒澤 明は遺稿として残していたようで、
惜しまれながら98年に他界してしまったため、その意思を引き継ぎ、映画化しました。

映画の出来としては、どうしても絶賛できるほどではないと思う。
そうなだけに、映画を観終わった後に、どうしても「黒澤が撮っていれば・・・」と思えてならない。
黒澤 明は何本か遺稿を残して他界しており、00年に市川 崑が『どら平太』を撮っていたり、
他界してからも日本映画界に対する影響力は強いままなのですが、こういう企画はどうしても、
「黒澤が撮っていれば、この映画はどうなっていただろう・・・」と思えてしまうのが、ハンデになってしまいますね。

どちらかと言えば、活劇性を捨てて、
情緒や情感といった感性を大事にした映画で、確かにクライマックスで主人公が
チョットした欲目を断ち切るために滝の近くに行くシーンは素晴らしいロケーションで、
99年当時の日本と考えても、よくここまで素晴らしいロケーションを探し出したなぁと感心させられました。

映画の主人公は凄腕の剣士である浪人。
妻を帯同させて旅を続ける浪人でしたが、大雨の影響で大河を渡れず、
とある集落にある安宿に居を置き、この安宿周辺の人々と交流を図ります。

凄腕の剣士でありながらも、根っからのお人好しで困窮する人々を助け、
チョットしたことからトラブルに巻き込まれたりするものの、腕っぷしの強さは健在で他を圧倒します。

そんな腕前に惚れ込んだ藩士が、彼を藩の部下として招こうとしますが、
人の好さと、腕っぷしの強さに嫉妬する藩の一部の家来が、浪人を賭け試合に誘い込みます。
当時の良識として、剣士が庶民と賭け試合に興じることはご法度とされており、
藩に仕える仕事に魅力を感じていた主人公でしたが、残念ながら藩の人間になる話しは流れてしまいます。

映画の話しとしては、実はこれだけです。
何の捻りも無ければ、一風変わったストーリー展開もなく、ただそれだけで終わってしまいます。

しかし、黒澤もシナリオの時点で、チョットしたエッセンスを加えていて、
根っからのお人好しで、それでいながら凄腕の剣士という時代劇の中では、完璧なキャラクターでありながらも、
藩の人間になることに魅力を感じていたり、寡黙に立ち振る舞うことをできずに、魅力を断ち切るためにと、
妻にことわって、一人で森に入って剣を振るなど、対処の仕方はこの時代に合わせたものではありますが、
ある意味で性格的なものは現代的、と言うか...人間らしい部分を強調して描いており、
通常の時代劇映画と比較すると、少しばかりズレた感覚で映画が進んでいく印象は強い映画になってします。

というわけ、この映画はパーフェクトな武士を描いた映画、というわけではないんですね。
あくまでこの時代に合わせた感覚ということにはなりますが、実に主人公を人間くさく描くんですね。
そういう意味で、演じる寺尾 聡も全くカッコ良く映ろうとしていないあたりが、また良いですねぇ。

とは言え、やはり映画として噛み合っていない部分も目立つ。
どうせなら、この企画をどうしても映画化させたいのなら、それこそ市川 崑あたりが撮るべきだったと思う。

例えば、映画の終盤に主人公が藩の部下どもに囲まれ、
斬るか斬られるかの状態になってしまうシーンがあるのですが、ここで斬られた武士の一人が
首を斬られたのか、まるで『椿三十郎』ばりに真っ赤なペンキみたいな血が噴き出すシーンになっている。

僕はこれを観て、完全に興冷めしてしまった。
どうしてこういう全てをブチ壊すようなシーンを描いたのだろう。映画の趣旨がブレてしまうじゃないか。
ひょっとしたら、これは黒澤 明のオマージュだったのかもしれないが、それなら作り手の良識を疑う。
こういう言い方はたいへん申し訳ないが、一つ一つのシーン演出を大切にしようという意図が見えないですね。
とても大事なシーンであっただけに、こういう雑な仕事が映画の全てをブチ壊してしまう好例です。

その後に続く、前述したラストシーンは素晴らしいロケーションなだけに、
そこに至るまでのシークエンスが、あまりにお粗末かつ安直で、映画の価値を大きく損ねている。
これが凄く勿体ない。黒澤 明が『椿三十郎』で描いた“血の噴水”は、まるで撮影する意義が違うはずなんです。

監督の小泉 堯史は93年に黒澤 明の遺作となった『まあだだよ』で助監督を務めていただけに、
おそらく黒澤 明からもそうとう腕を評価されていたのでしょうが、どこか黒澤が残した遺稿であるシナリオと、
噛み合っていない演出を施してしまった部分が散見され、映画の価値が上がらなかった印象ですね。

主人公の妻を演じた宮崎 美子も、もっとクローズアップさせないといけないところだが、
どこか中途半端な扱いに終わってしまったのも残念で、個人的にはもう少しインパクトを与えて欲しかった。

強いて言えば、亭主が藩の人間には不適格だと井川 比佐志扮する藩の家来が伝えに来て、
施しを置いていこうとしたところを主人公がお人好しな性格から断ろうとしているのを差し置いて、
後ろからヒョコッと登場してきて、アッサリと受け取るシーンはユーモラスではあったけど、あれだけでは寂しいなぁ。
おそらく、この物語、そしてこの主人公にとって彼女は、もっと大きな存在であったはずなんですけどね。

少なくとも、もっともっと工夫はできたはずだし、
もう少し映画のカラーを考えて撮っていれば、違った映画になっていただろうと思えるだけに、凄く残念。

実際は、どうやら黒澤 明が途中までシナリオを書いていたそうで、
足りない部分は小泉 堯史が書き足したらしく、本作のプロデューサーであり、黒澤 明の長男である、
黒澤 久雄に本作の監督を懇願されたようなのですが、そうであれば尚更、違った完成作品を観たかったなぁ。

ある意味で、物語を淡々と進めていくあたりは、日本の美徳かもしれませんが、
どこかエンターテイメントとして物足りなさを感じることは否めない。
しかし、本作は日本アカデミー賞で作品賞を受賞した作品でもあり、日本映画界としては小泉 堯史を
当時は期待の新人監督として評価していたことは間違いなく、本作のような企画を任されるということは、
それだけ伸び代のある、ポテンシャルを秘めたディレクターだということなのでしょう。

確かに映像感覚は悪くないし、活劇を除けば、そこそこ良いものは持っていると思う。次に期待したい。

(上映時間91分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 小泉 堯史
製作 原 正人
    黒澤 久雄
原作 山本 周五郎
脚本 黒澤 明
撮影 上田 正治
美術 村木 与四郎
編集 阿賀 英登
音楽 佐藤 勝
出演 寺尾 聡
    宮崎 美子
    三船 史郎
    吉岡 秀隆
    原田 美枝子
    壇 ふみ
    井川 比佐志
    松村 達雄
    加藤 隆之
    仲代 達矢