ピンク・パンサー3(1976年イギリス・アメリカ合作)

The Pink Panther Strikes Again

どうでもいい話しですが...これって、中身的にもはや“ピンク・パンサー”ではないですよね?(笑)

いつの間にかパリで主任警部に就任していた迷刑事クルーゾーが、クルーゾーのせいで病院送りにされ、
主任警部の座をクルーゾーに奪われたことで、激怒したドレフュスが世界征服を企むコメディ映画第3作。
(64年の『暗闇でドッキリ』を含めると、実は本作はシリーズ第4作ということになりますが・・・)

本作は完全にドレフュスの暴走を描いているので、実は“ピンク・パンサー”こと泥棒は全く登場してこない。
映画の冒頭のアニメーションで表現されているように、本作は“007シリーズ”のパロディのような感じですね。
まぁ・・・次の第4作も“ピンク・パンサー”の名を借りた、クルーゾーとドレフュスの対決映画に変わっています。

映画は病院送りにされて、主任警部の座をクルーゾーに奪われたドレフュスが
なんとか入院生活を耐え抜いて、退院の可否について審査する日から始まります。ドレフュス本人は回復をアピールし、
担当医師の“引っかけ”にも引っかからず、一見すると大丈夫のように見えますが、審査会に呼ばれたクルーゾーが
ドレフュスに近づいた途端に、ドレフュスが池に落ちたりとクルーゾーが絡む行動で、悪いことが続きます。

そうすると、ドレフュスは一気に本性を出し、クルーゾーに襲いかかり病院職員に取り押さえられます。

退院を見合わせとなったドレフュスでしたが、アッサリと病院を脱走しクルーゾーへの復讐を決行します。
身の回りに注意するように警告されたクルーゾーでしたが、既にクルーゾーの自宅の階下にドレフュスが侵入し、
クルーゾー暗殺を試みますが、持ち前のドジが“災い”してピンチを脱出し、ドレフュスは第二の作戦に移します。

その第二の作戦とは、イギリスの博士を誘拐して、博士の技術を使って物質消去装置を開発し、
世界のあらゆるものを消すと脅迫することで、クルーゾーを誘き出す...どころか、世界征服を企むということでした。

何故か博士誘拐事件の担当刑事としてイギリスへ派遣されたクルーゾーでしたが、
ドレフュスから脅された世界各国の首脳が、ドレフュスの求めに応じて、各国の暗殺者をイギリスへ集結させ、
クルーゾーを殺そうとしますが、妙に強運の持ち主であるクルーゾーは次々と襲撃をかわし、思うようにいきません。

というわけで、映画はドレフュスが画策する色々な策をクルーゾーが無意識的にかわすという、
いつものパターンをエスカレートさせたような映画になっていて、相変わらずブレーク・エドワーズも次から次へと
ギャグを投じて、観客を一切休ませない。ここまでくると、少々疲れる映画になっている気もするのですが、
やっぱり泥棒を追うクルーゾーという構図は変わえないで欲しかったなぁ。これでは、惰性で続けたシリーズのよう。

どことなく、撮影現場のノリで考え出したようなギャグもあるような気がしたので、
どこまで脚本に書いてあったのかは知りませんが、よくもまぁ・・・次から次へとギャグがこうも続くとは感心する(笑)。

映画の冒頭から、ドレフュスが“池オチ”するやり取りを何度も繰り返したり、
ドレフュスが自宅でケイトーから襲われたりするシーンで、無駄に長い時間をかけたりとギャグの連続である。
事情聴取に訪れた屋敷でトレーニング・マシーンを「う〜ん、調子がでてきたぞ」と言って、体操選手ばりに飛んで、
階段から落ちていくシーンなんて、こっちも根負けして笑ってしまいました。演じたピーター・セラーズもスゴいです。

ただ、言っては悪いですが...本作の見せ場ってハッキリ言って、これだけです。
ブレーク・エドワーズもほとんどピーター・セラーズに好き放題やらせただけって感じで、それをまとめただけ。
強いて言えば、ドレフュスとクルーゾーの攻防が見せ場なはずなんですが、思いのほか直接的な攻防が少ない。

映画の終盤に笑気ガスを使ったギャグでお互いに笑いが止まらなくなる程度で、
せっかくドレフュスの復讐がメインの映画なわけですから、僕はもっとドレフュスとクルーゾーの攻防が観たかった。

映画の後半でクルーゾーを誘惑して暗殺する目的で近づいて来た、
ロシアからの暗殺者オルガを演じるレスリー=アン・ダウンが登場してきますが、実にインパクトの強い役どころでした。
映画のクライマックスのギャグにまで絡んでくるのですから、作り手も彼女を引き立てるつもりだったのでしょう。

このオルガ関連では、何気にオルガがクルーゾーだと誤認してベッドインした、
エジプトから派遣された暗殺者を演じたのは、ノンクレジットでしたが名優オマー・シャリフでした。
このシーンだけの出演でしたが、レスリー=アン・ダウンとキスするためだけに出演とは、なんとも役得な仕事(笑)。

クルーゾーのドタバタに負けじと、ドレフュスもさり気なくギャグを繰り出すのも見逃せない。
ドレフュスが潜伏しているお城で巨大なオルガンを弾くシーンは、完全に『オペラ座の怪人』のパロディだし、
博士を服従させるためにと、博士の娘を椅子に縛り付けて、爪を立てて黒板を引っ掻く拷問を展開したりと、
ドレフュスはドレフュスで、クルーゾーに負けじとギャグを繰り出す。ただ、前述したように過剰だったかもしれません。

ここまで同じテンションで休みなく連続して見せられると、さすがに僕は疲れますね(苦笑)。

おそらくですが、ブレーク・エドワーズも撮影現場でも編集段階でもゲラゲラ笑いながら観ていたのではないかと
勝手に思っているのですが、この作り手が楽しんでいる感が強過ぎると、僕は微妙な距離感を感じちゃうんですよね。

ただ...プラスに見れば、映画のギャグのパワーは間違いなくパワー・アップした感じです。
映画の最初っから最後までギャグで埋め尽くされているし、ほとんどがクルーゾーが絡んでいるのがスゴい。
あんまり細かいことを気にしなければ、このピーター・セラーズのギャグの連続に圧倒されることでしょう。

なんせ本作ではクルーゾーのドジさ加減に磨きがかかっていて、ドレフュスの潜伏しているお城に入るために、
お約束のようにお堀にかかる橋を使って、遊ぶように何度も川に落とされてしまうクルーゾーはドジの神様のよう。
この一連のシーンはドリフのコントで観たような気がしますし、後年の喜劇やコントに大きな影響を与えている。
そう思って観ると、やっぱりピーター・セラーズって偉大なコメディアンでした。当時は他の追従を許さない存在でした。

残念ながら第4作が劇場公開された直後にピーター・セラーズが急死してしまったために、
シリーズは大きな転換期を迎えますが、以前からピーター・セラーズは心臓が良くなかったせいか、
本作でもアクション・シーンではスタントを使っているのが分かりますね。既に激しいシーンは難しかったのでしょう。

ピーター・セラーズがもっと長生きしていたら・・・と思うと、なんとも切ない気分になってしまいますね。

映画の焦点となる、物質消去装置が現実にあれば確かに脅威だが、詳細を示さず、
どうやって遠く離れた場所に照射することができるのか、よく分からない。劇中、消された国連ビルはどうなったのか、
全く説明せずに映画を進めるブレーク・エドワーズの強引さがスゴいけど、それくらいじゃなきゃダメなんでしょうね。
なんせ、なかなか死なないクルーゾーを殺めるために、ドレフュスとの闘いは世界を股にかけるわけですからね。

しかし、そんなクルーゾーとドレフュスの闘いだけでは映画を支えられないと感じた。
やっぱりクルーゾーは刑事であって、泥棒を追い続ける存在であって欲しかった。この根幹を何故、変えたのだろう?

シナリオで工夫したつもりなのかもしれないけど、どうせ惰性で続いたシリーズに見えたので、
あくまで“ピンク・パンサー”にはこだわって欲しかったなぁ。不評だったけど、まだクリストファー・プラマーが
リットンを演じて、半ば無理矢理にでも“ピンク・パンサー”を追うクルーゾーという構図を崩さなかった前作の方が良い。

ちなみに映画の冒頭と終盤に、ケイトーが空手の練習という名目で襲撃してくるお約束があるのは、
ある意味で『ピンク・パンサー4』への布石であったのかもしれない。この時点で続編が計画されていたのかは
知りませんが、シリーズの常連であるケイトーが次は大活躍するので、それを予告するようなケイトーの勢いに感じる。

結局、リットン卿の宝石泥棒はシリーズの途中でどっかに消えてしまい、
本作以降は完全にドレフュスとケイトーが何かをしでかす、という脱線したシリーズになっていったので、
第1作『ピンクの豹』ではブレンドされていたミステリーの要素は、本作あたりから全く無くなってしまいました。
その代わりに、当時の流行りであった映画のパロディを含めるということで、ギャグを強化してバランスをとっています。

ですので、個人的には本作からは観る側にも、楽しみ方の変更を迫られたシリーズという印象が残りました。

(上映時間103分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 ブレーク・エドワーズ
製作 ブレーク・エドワーズ
脚本 フランク・ウォルドマン
   ブレーク・エドワーズ
撮影 ハリー・ワックスマン
特撮 キット・ウェスト
編集 アラン・ジョーンズ
音楽 ヘンリー・マンシーニ
出演 ピーター・セラーズ
   コリン・ブレークリー
   レスリー=アン・ダウン
   ハーバート・ロム
   バート・クウォーク
   レナード・ロシター
   アンドレ・マランヌ

1976年度アカデミー歌曲賞 ノミネート