ピースメーカー(1997年アメリカ)

The Peacemaker

かの有名な「ドリームワークス」が製作した第1回作品。

おそらく監督のミミ・レダーがTVシリーズ『ER ―緊急救命室―』の演出をしていたので、
それが縁でジョージ・クルーニーを主役級にキャスティングできたのでしょうが、
思いのほかジョージ・クルーニー演じるデヴォー大佐が嫌なヤツのように描かれているので、
あまりフィットしなかったと言うか、どこか引っかかる点もあるのですが、これは見応えのある作品ではあります。

冒頭の核弾頭をコッソリと奪う機関車を並走させるシーンに始まり、
デヴォー大佐の情報源を目の前で殺害されてからの激しいカー・チェイスを交えたアクション・シーン、
映画の中盤にある、デヴォー大佐の暴走と言わんばかりに単独行動の判断をして核弾頭を押収しに行くシーン、
そしてクライマックスのニューヨーク44番街での攻防など、本作でのミミ・レダーの演出はなかなか健闘している。

デヴォー大佐が勝手に判断して実際に行動に移すので、
実際にこんな奴がいたらあまりに統率がとれずに、ミッションが成り立たないような気がしますが、
個人的にはデヴォー大佐も容赦なく相手を攻撃するあたりは、妙に生々しく見えて良いと思った。

こういうダーク・サイドな部分を包み隠さず堂々と描いたというのは、
別に本作が品行方正な正義を語る映画にしたかったわけではないことの表れと、僕は解釈します。

この辺は例えば、リー・マービンの『殺しの分け前/ポイント・ブランク』などを参考にしたいが、
無表情に間髪入れずに攻撃する、相手の息の根を完全に止めるという強さが強烈なインパクトをもたらす。
こういう側面を監督デビュー作でいきなり表現できたのだから、ミミ・レダーの手腕は優れていると思います。

ミミ・レダーは女流監督としてハリウッドでも評価が高く、
本作以降も規模の大きな企画を任されるようになりましたが、本作以降はパッとしませんねぇ・・・。
個人的にはドラマ演出はあまり得意ではないと言うか、どうしても感情的な感じになってしまうのが残念。

本作でも、細かいところを突くと、正直言って首を傾げたくなる部分は何点かあります。
それが映画のクライマックスの肝心かなめの核爆弾のタイマーを止めるシーンにもあって、
どうして、“あの程度で済む”のか、まるで説明がなく映画が終わってしまうところだとか、
ニコール・キッドマン演じる博士の能力の高さを象徴するシーンが一つも無いなど、映画として破綻しかけている。
おそらく、こういう細かなシーンの積み重ねで織り成されるドラマを観たい人にとっては、好きになれないでしょうね。

どうやら、博士が最悪の事態を回避することに成功したようですが、最小限の説明すら無く、
ご都合主義というか、確かに詰めの甘さが目立つ映画が多い印象はあるんですよね。

他作品でも感情的に映画を進めていくことが災いしていることが多いのですが、
本作ではテロリストの背景をかなり肉薄して描くなど、ミミ・レダーの視点の良さが生きていると思う。

と言うか、このテロリストの背景を描くというのも賛否両論だとは思うのですが、
何故、核爆弾を狙って強奪し、ニューヨークのド真ん中で爆発させようと自爆テロを試みるのかを
トレースしていくということに特徴があって、それでいながらテロリストに肩入れし過ぎることがないバランスの良さ。
これがミミ・レダーならではの視点で映画が構成されており、良い方向で機能しているように思います。

但し、まだまだ出来ることはあったと思うし、映画の最後に「なんで、こんな程度で済むの?」という疑問に
作り手が何も応えようとせず、サッサと映画を終わらせてしまったかのような印象を持たせてしまったのは、
本作にとって致命傷とも成り得る部分であり、これはご都合主義と非難されても仕方がない粗さだったと思う。

オマケにこのクライマックス、爆発シーンのクオリティがお世辞にも高いとは言えない。
「ドリームワークス」というブランドを掲げた仕事とは到底思えないほどに、これはどうにかならなかったものか。。。

それから、劇場公開当時、少しだけ話題になっていた記憶がありますけど、
せっかくのジョージ・クルーニーとニコール・キッドマンの共演だというのに恋愛関係にならない・・・
というのは僕にとってはどうでもいいのですが、そんな雰囲気を“匂わす”ラストはどうにかならなかったものか。。。

と言うのも、僕は逆にデヴォー大佐と博士は敢えて恋に落ちないということで良かったと思うのです。
確かに当時のアクション映画の主人公カップルはお互いにピンチを経験する中で恋に落ちるというのが
セオリーではありましたけど、何でもかんでも無理矢理、恋愛を描けば良いというものでもないだろうし、
本作のような硬派なアクション・スリラーを目指した映画なのであれば、最後の最後まで硬派でも良かったと思う。

確かに結果として、2人の恋愛関係は描かないのですが、
それとなく映画のラストシーンでそれを“匂わす”というのが、少々収まりが悪い。酷く中途半端に見えた。
この辺もミミ・レダーの詰めの甘さだ。例え脚本に書いてあっても、僕なら本編に採用しない。

ミミ・レダーにもそんな意図は無かったのかもしれないが、
デヴォー大佐の微笑みにはどうしても、そういった下心が見え隠れすると感じるのは、男の性(さが)かな・・・。
ミミ・レダーはホントは恋愛を描きたかったのに、脚本に言及が無かったから、半ば無理矢理にそんなニュアンスを
僅かながら映画の中に押し込んだ・・・僕には、そんなうがった解釈がねじ込まれてしまったようだ(苦笑)。

まぁ・・・それにしても、相変わらず世界は“核の傘”を上手く利用していることは事実だ。
核戦争は行わないという国際的コンセンサスを主要各国の間で合意したとのニュースも流れたが、
核保有国は今後も決して自ら手放そうという発想にはならないだろう。それは“核の傘”があるからだ。

本作の中でも、ニコール・キッドマン演じる博士が言っていたことが真理だと思う。
「10個の核弾頭を欲しがる人よりも、1個の核弾頭を欲しがる人の方が遥かに恐ろしい」ということ。

これを核兵器の話しだけで語ると難しいところだが、
武器の密売人がいなくならないというのも、ある意味で「需要」と「供給」の関係があるからで、
多くの場合は10個の核弾頭を保有するというのは、使う目的だ第一にあるとは考えにくいだろう。
1個の核弾頭を欲しがる人がいるから、密売人のように大量保有する連中が必ず存在する。

正直、この連鎖を断ち切ることはそうとうに難しいことで、なかなか実現しないと思う。
「需要」がある以上は「供給」する者は必ず出現するわけで、これを規制するには法律で禁止するしかないのです。
(いや、法律で禁止しても「供給」する者は必ず、地下組織に潜ってでも暗躍するわけなのですが・・・)

保証します。とにかくジョージ・クルーニーがカッコ良く描かれているので、
彼のファンにはたまらない作品になっていますし、たっぷりと堪能することができると思います。
この頃は、突如として似合わないバットマンを演じたり、色々と試行錯誤していたようなので、
本作での活躍を観ると当時の彼にとっては、最もしっくりくる役どころだったということなのでしょう。

ただ、軍服姿はどうかな・・・(笑)。やっぱり彼は、スーツ姿がよく似合う。
対照的にニコール・キッドマンもよく頑張っているのですが、もう少し活躍の場が欲しかった。
どうしても、デスクワークのチームになってしまったので、デヴォーの単独行動のシーンでは
持ち場があまり与えられずに、どちらかと言えば、ジョージ・クルーニーのためにある映画に見えてしまった。

まぁ、ミミ・レダーもジョージ・クル−ニーを映画俳優として撮りたかったのだろうし、
やっぱり、彼を映画俳優としてブレイクさせるために撮った作品、ということだったのかもしれません。。。

(上映時間123分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 ミミ・レダー
製作 ウォルター・F・パークス
   ブランコ・ラスティグ
脚本 マイケル・シファー
撮影 ディートリッヒ・ローマン
音楽 ハンス・ジマー
出演 ニコール・キッドマン
   ジョージ・クルーニー
   マーセル・ユーレス
   アレクサンダー・バルエフ
   アーミン・ミューラースタール
   レネ・メドヴェセク
   ゴラン・ヴィシュニック