パララックス・ビュー(1974年アメリカ)

The Parallax View

かなり異質な映画と言っていいと思うが、
大統領候補が暗殺された事件に端を発した大きな陰謀を追う新聞記者フレディの
命懸けの潜入取材を描いたスリリングな展開が連続するポリティカル・サスペンス。

タイトルになっている“パララックス”とは、暗殺者を養成する民間企業の名前で、
裏の世界で暗躍し、数多くの暗殺事件を起こしている企業で、この会社は映画のキーである。

但し、実はこの“パララックス”という言葉には、英語で「視差」という意味があって、
これは本来的には物事に対する視点の違いによって生じる、見え方の差のことを指しており、
実際に映画の主人公であるフレディが「視差」によって、それまで見えていなかった部分が見えてきて、
次第にトンデモない陰謀が自分の身の回りに存在していることに気づく姿を描いています。

まぁ如何にも70年代の社会派映画らしい風格が漂う映画ではありますが、
残念ながら映画の出来として粗く、正直言って、他の映画と比べると、やや見劣りするとは思う。

71年の『コールガール』で評価されたアラン・J・パクラがメガホンを取っていますが、
彼の手腕ならば、おそらくもっと上手く撮ることはできただろうし、映画のビジョンが定まっていない感じだ。
その証拠に、僕にはこの映画がひどく直情的な作品だと感じられて、もう少しコントロールして欲しかった。

と言うのも、映画のテンポが良いのと、雑なのは正しく紙一重で、
一切、無駄なエピソードがないのは本作の長所なのですが、その分だけ雑な印象を受けましたね。

特に映画の前半にあった田舎町のバーで警官にケンカを吹っかけられ、
フレディが取っ組み合いのケンカをした挙句、お偉い保安官に嬉しそうに「お前のことが気に入った!」と
言われ家にまで連れて行かれたにも関わらず、アッサリと裏切られ殺されかけたり、
逃げ回っていた男をようやく見つけて、ヨットで海に出たにも関わらず、
ヨットを爆破して自殺を図るシーンなんかも、こうして観ると、とっても雑に見えちゃうなぁ。

映画のセオリー通りに進まないことを逆手にとっているような映画なので、
このアッサリ進んでしまうスタンスを否定しては元も子もないのですが(笑)、
それにしても、もう少し丁寧に描いて欲しかったですね。この傾向は本作の最後まで続いてしまいます。

とは言え、やっぱりゴードン・ウィリスのカメラですねぇ。これは素晴らしい。
特に映画の冒頭で大統領候補の議員が暗殺されるシーンを窓越しに表現した描写は秀逸だ。
僕はこの映画の冒頭を観て、不謹慎にも「おぉ...やるじゃん!」と胸が高鳴ってしまいました。

やっぱり、映画の画面として、これだけ引き締まったシーンがある映画は一味違うんだよなぁ〜。

それと、強いて言えば、クライマックスにもう一度ある、
タイトル通り、カメラが“パララックス・ビュー”となってしまう、演説会場での銃撃シーンも良いですね。
かなり距離を置いてのロング・ショットですが、この距離感と“間”が絶妙な配分ですね。

しかしながら、それでも前述した雑な部分が足を引っ張ってるかな。
どうしても個人的には「●●を○○にした方が良い」という点が、色々と散見されてしまう類いの映画です。
映画のクライマックスにしても、もっと劇的に演出する術はあったはずなのですが、
アラン・J・パクラの狙いは大きく外れてしまい、これでは中途半端なラストシーンと言われても仕方ない。

まるで『フレンチ・コネクション』のようなラストなのですが、
ひょっとしたらこういうラストは『フレンチ・コネクション』の前にやっていたら、
もっと評価されたかもしれませんが、根本的にアラン・J・パクラは下手なんですよね。
だから全編通して観ても、本作の場合はえらく中途半端なラストシーンとしか映らない。

どうせなら、更にラストでドンデン返しが待っていて、
主人公は最後の最後まで「視差」に悩まされ、「視差」に操られていたという帰結の方がシックリきたかも。

メインテーマとして陰謀を取り扱った映画は、かつて数多く存在しましたが、
その中でも本作はかなり異質な作品であり、陰謀そのものの恐ろしさを描くというよりも、
前述した「視差」という微妙な感覚の差で、トンデモない陰謀を認識するか否かという表裏一体な関係が
本作のテーマであり、言ってしまえば観念的にも空間的な映画と言っていいと思います。

アラン・J・パクラって、この頃なんかはかなり有望な映画監督だったんだろうなぁと思いますね。
本作の後には76年に『大統領の陰謀』を世界的な大きな反響を呼んでいますし、
やっぱり正攻法の社会派映画を撮れるだけの力量があるディレクターって、数少ないですからね。

そういう意味では、本作は彼のフィルモグラフィーの中でも異質な作品ではあるのですが、
えてして精神的な錯乱に傾倒しがちな洗脳をテーマに、また違った視点から描いているのには感心しましたね。

本作を観て、真っ先に思い出したのは62年の『影なき狙撃者』でしたが、
洗脳されて狙撃者に仕立てられるという、狂った構図を描いていた『影なき狙撃者』に対し、
本作は洗脳の恐ろしさというより、「視差」に気づいてトンデモない陰謀に気づくものの、
力づくで抹殺されてしまう恐ろしさを、無機質かつ冷徹に描いていることに違いがありますね。

たいへん申し訳ない言い方ではありますが、
ウォーレン・ビーティの芝居は平凡で今一つ面白味に欠けるのですが、
新たな観点からの社会派映画という意味では、ひじょうに優位に立つ映画と言えますね。

ただ、どうしても・・・僕には前述した雑な部分が、気になって仕方がなかったですね。

(上映時間101分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 アラン・J・パクラ
製作 アラン・J・パクラ
原作 ローレンス・シンガー
脚本 デビッド・ガイラー
    ロレンツォ・センプルJr
撮影 ゴードン・ウィリス
音楽 マイケル・スモール
出演 ウォーレン・ビーティ
    ウィリアム・ダニエルズ
    ヒューム・クローニン
    ステイシー・キーチJr
    ポーラ・プレンティス