ザ・ペーパー(1994年アメリカ)

The Paper

これは映画のことを知り尽したロン・ハワードが生み出した大傑作だ。

ニューヨークの大衆紙“ザ・サン”で新聞記者として活躍する人々の
意地とプライドを賭けたエキサイティングな一日をハイテンションに綴った、目まぐるしく動き回る群像ドラマ。

111分一本勝負という感じで、映画がスタートして最後まで一気に駆け抜けるスピード感が良い。
日本のテレビドラマでも本作をモデルにしたのではないかと思える作品が放送されていましたが、
本作でロン・ハワードが表現し切った高みに肉薄するのは、そう容易いことではありません。
(かつて『タブロイド』というドラマがありましたが、部分的に本作のニュアンスがありました)

少なくとも日本ではあまり注目されなかった作品なので、傑作だと思っているのは少数派かもしれませんが、
ロン・ハワードが撮る群像ドラマはさすがの安定感で、それでいながら実にコンパクトに要点がまとまっている。
スピード感満点、エピソードも同時進行で次々と紹介されていくのに、見事に整理されていて話しが混乱していない。
この辺は実に上手い組み立てになっていて、これだけの映画に仕上げることは、そう容易いことではありません。
何故にこの映画がそこまで注目を浴びずに、アッサリと“埋もれて”しまっているのかが不思議でなりません。

主演のマイケル・キートンも持ち前のコミカルな演技が、実に上手くフィットしていて、
彼の臨月の妻役で出演したマリサ・トメイも相変わらずキュート。輪転機の前で格闘するグレン・クローズも面白いし、
前立腺の病いに侵された編集長を演じるロバート・デュバルも、映画の脇をしっかり固めている感じで良い。
キャスティングは正しく適材適所、これほど見事にピタッとキマった映画も珍しいのではないかと思います。

映画は“ザ・サン”で忙しく働く数人の新聞記者をメインに描いています。
映画の舞台となる日の朝刊は、他誌にスクープを“抜かれて”しまった彼らは取り返すために躍起になります。
何とかスクープをモノにしようと奔走しますが、働き方がなっていない記者や、収益性の悪い“ザ・サン”の懐事情から
経費削減が叫ばれる中、締め切り時間に遅れると配達業者の残業代を支払う必要がでてくることから、
事実をスクープすることよりも、如何に費用ダメージが少なく操業を継続できるかがポイントになってしまっている。

そんな中、まとめ役を担っている記者のヘンリーに、半ば“金庫番”のような存在になっているアリシアは
お互いに対立しながらも、翌日の朝刊の一面を地下鉄脱線事故にするか、銀行員が殺害された事件の真相を
スクープすることにするかが、一日中大モメ。実はヘンリーは国際誌“センチネル”の引き抜きのチャンスがあって、
妻からも移籍を懇願されていたが、面接相手の重役から“ザ・サン”の軽口を叩かれたことに立腹して、
重役のテーブルにあったメモの情報を盗み見して、銀行員殺人の犯人に関する情報を盗み取ってくる。

ヘンリーは事実をスクープするためにと、同僚のマクドゥーガルと共に警察の“ウラ”をとるためにと奔走しますが、
なかなかスムーズに進みません。そんな中、時間に間に合わないのであれば損金を発生させないためにと、
事実を報じることよりも紙面を確定させることを優先するアリシアが、輪転機を動かす準備を始めていきます・・・。

少々、新聞記者の信念を美化して描いた傾向も無くはないのですが、
それでも“ザ・サン”の連中は事実ではないと知りながら、紙面に載せたことはないという自負から、
彼らは情報の“ウラ”を取るためであれば、警察官を装って警察署に侵入し、情報源を接触を試みるわけです。
日本のメディアでも、公式発表以外にも警察側に情報をリークするルートが無ければ、こんな報道できないのでは?と
思える記事があったりしますけど、インターネットが発達していない時代は特に新聞記者は自分で動くのが当たり前。

ヘンリーらは何とかして、非公式であっても証言を得るために自分で行動します。
そこにアリシアとの攻防があるわけで、実はアリシアはアリシアで自ら経費削減を叫びながらも、
自分の生活が浪費のために苦しい現実に、給料を上げるように社長に直談判したりと、様々な想いが交錯します。

マクドゥーガルはヘンリーの指示の基に動いていますが、
自分の愛車がレッカー移動されたことを契機に腐敗した公務員組織の批判記事を書き続けた結果、
サンダスキーという公務員が記事で名指し批判されたことで、恨みをかっていて、護身用の拳銃を持ち歩いている。
そこで実際にサンダスキーがマクドゥーガルが通うバーに来ていたりと、色々な人々が交錯するラストへ向かいます。

僕はやっぱり、何度観てもこの映画は面白いし、スゴい映画だと思います。
例えば、90年代後半に群像ドラマで高く評価されたポール・トーマス・アンダーソンとは全く持ち味が異なる
作品を撮るロン・ハワードではありますが、ポール・トーマス・アンダーソンに本作のような映画は撮れないでしょう。

これは僅か24時間の間の出来事をまとめた作品ですが、次から次へと起こる出来事に振り回され、
途方もないくらいに長く感じる24時間の出来事に感じさせる。新聞社でのエピソードに加えて、
外で取材するエピソード、そして主人公ヘンリーの妻が急遽、早産で産気づくエピソードと追い討ちをかけるように
重ねてきます。一見すると、とっ散らかったように見えるエピソードの数々も、最後は上手い具合に収束する。

このまとめ方がホントに上手くって、これは間違いなくロン・ハワードにしか出来ない仕事だ。
きっと脚本も良く書けているのでしょうが、これは料理したディレクターの手腕が素晴らしい。

しかも、これは珍しく会社組織に於ける管理職の目線から描いた映画でもある。
アリシアは勿論そうですが、ヘンリーも数多くの記者やカメラマンに指示を出しながら記事を作り上げていくわけで、
編集長と記者の間に入って組織を管理していく難しさを、このヘンリーの姿を観ていると強く感じさせます。

そういう意味では、これは日々、会社組織でサラリーマンとして働く人々なら楽しめるかもしれません。
特にメディア関係で働いていれば尚更のことですが、この映画で描かれたことは、新聞社に限った話しではありません。

メディアをメインに扱った映画という意味では、社会派映画としての側面を持った作品ですが、
決して堅苦しい内容というわけではなく、終始、テンポ良く小気味良い映画になっていて、実に観易い。
パワフルかつコミカルに描き通すので、シリアスなものを求められるとキツいですが、映画全体のバランスが実に良い。

事件の真相を追及するというよりも、この映画の要点は如何に記事にするか?という過程そのものだ。

個人的にはこんなに面白い映画なのに、何故、未だマイナーな存在なのだ!と憤慨していて、
かつてDVDはかなり早い段階でリリースされていたのですが、残念なことにBlu−ray化はされていません。
劇場公開も拡大公開されずにヒッソリと終わってしまったので、ずっと扱いが悪く不遇な作品の一つですね。

しかし、現実問題として現代の新聞社はネット社会の発達に伴って大変な時代を迎えているでしょうね。
デジタルアプリからの電子版紙面の配信などは、だいぶ前からやっていますが、それでも部数の伸び悩みは顕著です。
新聞という媒体がSNSなどのコミュニケーション・ツールがアップデートすればするほど、キビしい立場になっていく。
この映画の主人公ヘンリーのような記者からすれば、歯がゆいでしょうが、これも時代の変化ですかね。

個人的には新聞って、身近にあれば読むし、紙面には紙面なりの良さがあると思っています。
それは新聞の特長というより、ネットの難点だと思いますが、ネットだと読みたいものだけを自分から
アクセスするという感じなので、たまたま読んだものから、思いもよらない情報をゲットしたということは少ないかな。

時代の変遷はあるし、新聞というメディアだけではなく、テレビも次第に厳しい立場に追い込まれていますが、
個人的にはこういうメディア媒体には、彼らなりの在り方を探って生き残っていって欲しいと思っています。

でも、そこにはコンプライアンスにも関わることですが、大事なことがあると思っていて、
それはこの映画でマクドゥーガルが語っていたことで、「事実ではないと知りながら載せた記事はない」ということだ。
これは、いつの世にもメディア側が大事にしなければならない、不変的な命題であると思います。

(上映時間111分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 ロン・ハワード
製作 ブライアン・グレイザー
   フレデリック・ゾロ
   デビッド・コープ
脚本 デビッド・コープ
   スティーブン・コープ
撮影 ジョン・シール
音楽 ランディ・ニューマン
出演 マイケル・キートン
   マリサ・トメイ
   ロバート・デュバル
   グレン・クローズ
   ランディ・クエイド
   ジェーソン・ロバーズ
   キャサリン・オハラ
   ジェイソン・アレクサンダー
   クリント・ハワード
   ブルース・アルトマン

1994年度アカデミー主題歌賞(ランディ・ニューマン) ノミネート