アウトロー(1976年アメリカ)

The Outlaw Josey Wales

西部劇がすっかり斜陽な存在になりつつあった70年代半ば、
すっかり映画監督としてのキャリアを定着させつつあったイーストウッドが、すっかり忘れられた西部劇の醍醐味を
スクリーンいっぱいに吹き込んだ西部劇で、これまではどこか異色なテイストがある映画を中心に
メガホンを取り続けてきたイーストウッドでしたが、本作はオーソドックスで正統派な西部劇に仕上げている。

同じ年、イーストウッドが師と仰ぐドン・シーゲルが、
西部劇で活躍した往年の大スター、ジョン・ウェインを主演に迎えて『ラスト・シューティスト』という
まるで西部劇の長い歴史に終止符を打つかのような映画を撮ったのが、また意味深長ですね。

おそらくイーストウッドは本作を通して、ドン・シーゲルへのリスペクトを表したかったのではないだろうか?

映画の出来は実に優れており、充実感に満ち溢れた手応えがあったように思う。
イーストウッドも本作が5作目の監督作品というだけあって、さすがに成熟してきた感がありますね。

映画の舞台は、南北戦争末期のアメリカ南部。
妻子と共に平和に暮らしていた農民ジョージー・ウェルズが北軍と手を組んだ、
荒くれ“レッドレッグ隊”に不意打ちであるかのように襲撃され、妻子を焼き殺された復讐として、
ジョージーがフレッチャー率いる一味に加わって、“レッドレッグ隊”を襲撃しようと心に誓います。

しかし、時すでに遅しで、南北戦争は北軍の勝利で終結してしまい、
北軍に加勢していた“レッドレッグ隊”に勝てるわけがなく、フレッチャーもやむなく寝返ってしまいます。

一人、北軍に抵抗することに決めたジョージーは、
自らの首に5000ドルものの懸賞金がかけられたことを知り、次々と迫る追っ手を交わしながら、
なんとかして“レッドレッグ隊”に復讐するタイミングをうかがいます。そんな中、ジョージーは先住民族の老人や
行き場に困った農場の親子などと行動を共にすることになり、次第に大所帯になっていきます。

これは、まるでイーストウッドが描く“桃太郎”のような物語で、
彼の不思議な魅力に惹かれたり、偶然の結びつきによって、仲間を作っていくという展開です。

さすがに当時のイーストウッドの恋人であったソンドラ・ロックをプッシュしたかったのか、
その真意はよく分からないけど、やたらとソンドラ・ロックを映したがるのは、さすがに公私混同だと思いましたが(笑)、
それ以外はさすがの演出力で、ドン・シーゲルの系譜をしっかりと踏襲できていることは明らかな仕上がりですね。

そしてイーストウッドらしい、チョットしたタブーに挑戦する描写があるのですが、
戦争という厳しい時代背景があると、強姦が横行したりと、イーストウッドなりにモラルに挑戦している感覚だ。
普通に考えて、チーフ・ダン・ジョージ演じる先住民族の老人が、主人公に未だ男として“機能する”ことを
証明しているかのように、途中から合流した、同じく先住民族の女性を抱くというシーンがあります。

ハッキリ言って、これなんか映画の本筋に全くと言っていいほど関係がない。
何故にイーストウッドがここまでしてこだわって、編集でカットせずに、このシーンを残したのかよく分からない。

でも、僕は敢えてこれを好意的に捉えるならば、
こういったシーンこそがイーストウッドの監督作品らしいなぁと思えるというぐらい、特徴的だということ。
こういった部分は71年の『恐怖のメロディ』や72年の『荒野のストレンジャー』から続いているものなんですね。

少々、イーストウッド演じる主人公がカッコ良すぎる気もしますが、
本作で彼自身が演じるジョージー・ウェルズという男は、イーストウッドが92年に撮ることになる、
『許されざる者』で彼が演じた主人公と重なる部分が多くて、本作が『許されざる者』への序章とも解釈できる。
本作が製作された1976年という年は、アメリカ建国200周年を祝った年で本作もその風潮の中、製作されました。

それを考えると、史実では北軍が勝利し、アメリカという国が急速な発展を遂げ、
今日の姿が形成されただけに、本作ではそんな北軍に追われる身となった男の復讐劇を描いたというのも興味深い。

ある意味で、これはイーストウッドなりの強烈な皮肉だったのかもしれないが、
当時からイーストウッドは政治的な興味を示していたわけで、本作にも彼なりの思想が反映されている気がします。
映画のラストでジョン・ヴァーノン演じるフレッチャーへの主人公の「戦争の被害者だよ」というセリフは印象的だ。
本作は強烈なまでの反戦映画でもあり、このラストのセリフこそがイーストウッドが最も描きたかったのかもしれない。

ブルース・サーティースのカメラも素晴らしく、
特に光の使い方が上手い。日陰となる条件であったり、夜間のシーンもあるのですが、
全てのシーンが実に叙情性溢れ、また、活劇のシーンの臨場感も抜群に優れている。

そこにイーストウッドの演出も一つ一つのシーンでの“間”の取り方が実に上手い。
特に映画の中盤にある、主人公が立ち寄った田舎町で、正体がバレるというエピソードで、
銃撃戦となる直前にある、独特な“間”が絶妙に味わい深く、これこそが映画でしか味わえない醍醐味である。

それらにあざとさは無く、不自然さも感じられない。あくまでイーストウッドが作る、彼の世界観なのです。

こう言うと皮肉めいて聞こえるかもしれないけど、
イーストウッド自身が演じる主人公がカッコ良過ぎるというか、強過ぎるというのも実に彼らしい(笑)。
ある意味で彼が演じるジョージーというキャラクター自体がヒーロー的に描かれているのですが、
こういった一連の寓話的な描き方は、どうやら53年の名画『シェーン』にインスパイアされているもののようだ。

そういう意味でイーストウッドは、やりたいように映画を撮るという姿勢で一貫している。
あまりに彼自身をカッコ良く描き過ぎることは賛否が分かれると思うのですが、これが彼の一貫した作家性と
思って観ると、不思議と本作で描かれたイーストウッドらしい世界観も、映画の魅力として捉えられるかも(笑)。

本作自体、西部劇として十分に評価できるとは思うのですが、
やはり92年の『許されざる者』への系譜として、本作の価値はとっても大きいと思います。
そういう意味で、16年の歳月を経て本作の価値を上げたイーストウッドって、ホントに凄い映像作家だ。
40代の頃に描いた本作と、60代に突入してから撮った『許されざる者』で比較してみることも面白いですね。

あまり派手に銃撃戦があるわけではないので、
活劇を期待すると拍子抜けするかもしれませんが、実に味わい深い一作として評価に値すると思う。

(上映時間135分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 クリント・イーストウッド
製作 ロバート・デイリー
原作 フォレスト・カーター
脚本 フィリップ・カウフマン
   ソニア・チャーナス
撮影 ブルース・サーティース
音楽 ジェリー・フィールディング
出演 クリント・イーストウッド
   ジョン・ヴァーノン
   ソンドラ・ロック
   ビル・マッキーニー
   チーフ・ダン・ジョージ
   ポーラ・トルーマン
   サム・ボトムズ
   ジョン・デイビス・チャンドラー
   カイル・イーストウッド

1976年度アカデミー作曲賞(ジェリー・フィールディング) ノミネート