さよなら、僕のマンハッタン(2017年アメリカ)

The Only Living Boy In New York

これは2010年に設立された新興映画会社“Amazon Studios”が製作した、チョット変わったドラマ。

大学を卒業しても進路が決まらず、好意を抱いている女性にも正直に告白できず、
表向きはリッチな生活を送りながらも、精神を病んだ母親を心配し、そんな母を積極的にサポートしているようには
見えないアート・ディーラーとしての成功者である父親と微妙な距離感を作り、ある夜に父親の浮気現場を目撃し、
苛立ちの心を押さえ切れずに、この浮気相手の女性に近づいていき、やがては三角関係に至る様子を描きます。

上映時間がかなり短いせいもあって、敢えて僕は思ったことなんだけれども、
本作はもっと出来ることがあったはずだ。一見すると良い映画に観えなくもないのですが、どこか全体に雑に映る。

確かにウディ・アレンの映画のようにも感じられるところがあるにはあるのだけれども、
僕は本作がどこか説教クサいというか、無理に教訓めいたことを描こうとし過ぎているような印象を受けた。
そうじゃなくても、映画って教訓を描く一面を持っているので、黙っていてもそうなるのに、無理にそうしてしまうと
映画がクドくなって、押しつけがましく見えてしまう。それでいて、終わりを急ぐかのように力技なラストで帰結する。

これも勿体ないなぁ。もっと自然に描いて欲しいし、確かに意外性のあるストーリーなんだけど、
こんなに無理矢理なラストでは観客も戸惑ってしまうし、もっとしっかり見せてラストにいって欲しかったなぁ。

だいたい、あの写真を見ただけで、何故に主人公が知らなかった父の秘密を紐解けたのか、
全く違和感だらけで納得性が無い。この辺はディレクターがもっと映画全体のバランスを整えないといけませんね。
上映時間か撮影期間の制約でもあったのか、突然、結論を急いだかのようなラストの展開で、なんだか残念でした。

映画の本編を観ただけでは分かりませんが...
物語の着眼点の面白さに映画化が実現したのだろうから、脚本は上手く書けているのでしょう。
だったら、その良さを引き出すためにも、モラトリアムな主人公の戸惑い、嘆き、悩みはもっと丁寧に描いて欲しい。
何か映画の結末にある教訓みいたものを描くためだけに注力していたようにも見えてしまい、映画が雑に映ってしまう。

監督は『(500)日のサマー』のマーク・ウェブで、2012年には『アメイジング・スパイダーマン』の監督にも
抜擢されましたが、ミュージック・ビデオ界からの転身で、多岐にわたるジャンルの映画を手掛けているようです。
そこまで莫大な予算が用意された企画ではないし、規模の大きな映画でもないけど、ピアース・ブロスナンや
ケイト・ベッキンセール、ジェフ・ブリッジスといったビッグネームが出演しているのは、周囲の期待の表れかな。

ただ、正直言って、まだ発展途上のディレクターなのかな...というのが僕の正直な感想。

主人公には複雑な過去があって、その過去が映画の中で明かされるのですが、
現代の日本に於ける、いわゆる“Z世代”であるかのように、自分で何をしたいのかが分からず進路を決めかね、
周囲にも感情的になってしまったり、彼自身がとても難しい精神状況にあるのは分かるけれども、父親の浮気を知り、
苛立つ心を抑え切れずに、その浮気相手から挑発的なことを言われたからと言って、キスしてしまうというのは、
なんだか分かるようで、よく分からない。親子で好みが似ている、とでも言いたいのか、なんだかよく分からないが、
「それとこれは別な問題だよね」と言わざるをえないような、気持ちも行動も混沌としてしまっているような感じだ。

そこで彼の心のサポーターとなるのは、同じアパートに暮らす酔いどれ作家というわけですが、
彼の存在もなんだか微妙な感じで、観客には「きっと彼には何か秘密がある」と伏線を張っているかのようだ。
この辺はウディ・アレンの監督作品っぽいと言えば、そうなのですが、本作にそこまでの強い個性は感じられない。

ラストで明かされる“秘密”は、父親の立場からすると、とってもツラいものでしたが、
この主人公にとっても、あまりに重た過ぎること。モラトリアムのような時期を迎えている彼であれば尚更のことで、
違和感というか不思議に感じたのは...こんなにスンナリと受け入れられるのだろうか?という疑問だった。

だって、目の前のことですら思い悩んでいて、将来にわたって、自分が何をやりたいのかも見つけることができない。
そんなモヤモヤした状況の20代男子が、こんなに過酷な“秘密”を知って、動揺せずにいられるのかってことですよ。

まぁ、前述したように、そもそもあんな程度の“ヒント”でスルスルとその“秘密”を紐解けるなんて、
スゲー頭が良いというか、勘が鋭いんだなってことだと思いますけど、だったら尚更のこと困惑するでしょうねぇ・・・。
それがそうではなかったということは、この主人公の推理って、自分にとっての願望とか希望するストーリーだったのか
とも思えなくはなかったけど、そうであるならば父親と公園を散歩するシーンは、父との和解を表現するシーンであって、
主人公の推理が願望ならば、父親の存在を排除するでしょうから、この公園の散歩はまるで意味が通じないと感じる。

とすると、この映画で描かれた主人公の推理は、純粋に彼が客観視して行った推理であって、
べつに父親の存在を排除したくはないということなのだろうけど、それで朗読会で終わるラストシーンなのは
僕にとっては余計に訳が分からない構成でして、この揺れ動くこと自体がモラトリアム人間を象徴しているのだろうか?

この辺のラストシークエンスは、もっと丁寧に描いて欲しかったし、
おそらくもっと気の利いた構成になっていれば、グッと映画は良くなったでしょう。上映時間が短い作品なだけに、
どうして、こうも結論を急いで描いてしまったのか、スゴく勿体ない作品と感じた。これでは物語の良さも出ないでしょう。

久しぶりにケイト・ベッキンセールを映画で観た気がしましたが、
上手く大人の女優に転身しましたね。元々、キャピキャピ(?)していたわけではありませんけど、
本作では、この年齢不詳な感じが良い。人生経験豊富に大人の女性の色気を振りまき、若い男の子から愛される。
少しだけ“お局”感を見せつつも、独特なミステリアスな雰囲気もあって、本作の役は絶妙に彼女に合っている。

年とったピアース・ブロスナンも今更、ボンドばりのアクションというわけにはいかないだろうし、
長年連れ添った妻との難しい夫婦生活、どこか壊れつつある家族に悩み、年下の女性社員との浮気に精を出す。
アート・ディーラーとして成功を収め、上流階級に近い生活を送るビジネスマンでギラギラした感じが彼に合っている。

そう思うと、主人公を演じたカラム・ターナーの普通っぽさというのも、とても貴重な感覚だと思う。
スター性というのとは違うけど、彼の視線にはどこか強い意思が感じられるが、主張が強過ぎない。正に平凡だ(笑)。

この普通っぽさを表現することは、スター性と対極するものではありますが結構難しいことだと思う。
映画の中身自体には疑問に感じることがあったけれども、カラム・ターナーの表現力は注目に値すると思う。
特に本作での役どころは難しい微妙なところを表現しなくてはいけないし、掴みどころの無いキャラクターでもある。
両親の付き合いで出席した夕食会でも、周囲からの心配を他所にまるで上の空みたいな表情で佇んでいる。

理屈では説明し切れないところだと思いますが、確かにああいう年頃って現実にあるだろうし、
ある種の思春期の時期にこういう時期を迎え、周囲も気を遣っちゃうくらいピリピリした時期ってありますが、
表向きに暴れるとかそういうことはなくって、自分で解決するしか方法がない時期だから、余計に苦しいのでしょう。

サイモン&ガーファンクル≠フ曲やら、ボブ・ディランの Visions Of Johanna(ジョアンナのヴィジョン)など
懐かしの曲を数多く使っていますけど、映画の雰囲気に見事にマッチしていて、作り手のセンスが光るところ。
(まぁ・・・ケイト・ベッキンセールの役名がジョアンナというのが、安直な気はしたけれども・・・)

但し...こんなことが現実にあったら、そりゃ大変なことになりますよ(笑)。
前述したように、モラトリアムな時期を脱せていない主人公のような性格からすれば、
こんなことを経験したら、とてもじゃないけど立ち直れないような気がするし、ほぼ間違いなく家庭崩壊ですよ。

そういう意味では、ケイト・ベッキンセールがキレイなのは分かるけど、
彼女が演じたジョアンナもお世辞にも性格が良いという感じではないところからすると、
20代の主人公からも大人の女性として憧れられる人物というには、あまり説得力が無いのが残念。
個人的にはジョアンナとの経験が主人公にとって、何か大きな影響を与えるというインパクトが欲しかったなぁ。

このままでは、ジョアンナがチョット嫌な中年女性って感じに見えてしまうのが、どうもなぁ。。。

(上映時間88分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 マーク・ウェブ
製作 アルバート・バーガー
   ロン・イェルザ
脚本 アラン・ローブ
撮影 スチュアート・ドライバーグ
音楽 ロブ・シモンセン
出演 カラム・ターナー
   ケイト・ベッキンセール
   ピアース・ブロスナン
   ジェフ・ブリッジス
   シンシア・ニクソン
   カーシー・クレモンズ
   テイト・ドノヴァン
   デビ・メイザー