ロング・グッドバイ(1973年アメリカ)

The Long Goodbye

レイモンド・チャンドラーの原作『長いお別れ』を、鬼才ロバート・アルトマンが映画化。
賛否が分かれたミステリー映画ですが、僕はこれは大傑作だと思う。ロバート・アルトマンの監督作品で一番好きだ。

主人公の名探偵フィリップ・マーロウを、本作ではエリオット・グールドが演じているのですが、
また彼のヨレヨレな感じで、終始タバコを吸いまくる、だらしない中年男ですが、彼がまたとてつもなくカッコ良い。
熱心な原作のファンからすると、これはマーロウではないのかもしれない。ボソボソと何言ってるのかも、聞こえないし。

映画は“午前3時のキャットフード探し”からスタートします。
マーロウは変わった構造のアパートに暮らしており、隣人の若い女性たちは常にヌードで奇妙な体操をしている。
面倒なことに関わりたくはないマーロウは隣人とも距離を置き、室内飼いの猫を可愛がる日々を過ごしている。

食にうるさい猫がいつものカレー印のキャットフードではないとエサを食べないことから、
マーロウは深夜のスーパーマーケットへ出掛け、カレー印のキャットフードを探しますが品切れで買えず帰宅。
すると、突如として旧友のテリー・レノックスが現れ、マーロウの車でメキシコの国境まで送って欲しいと言う。
テリーを送ったマーロウは自宅へ戻るものの、すぐに2人の刑事が現れて、マーロウは逮捕されてしまいます。

映画はそこからマーロウが、事件に巻き込まれたことに気付き、
何故か見知らぬ大金を追いかけるチンピラたちに金を返せと凄まれたり、飲んだくれの作家に振り回されたりと、
本作のマーロウは主体的に動き回るというよりも、どこか周囲に“泳がされている”ような動きをしています。

この辺が本来のマーロウにあるはずのハードボイルドさと、まるで正反対のキャラクターに見えるし、
映画のクライマックスで突然、マーロウが本性を見せるような態度に変わるので、賛否を呼んだのではないかと思う。

でも、こんなに味わい深い映画はなかなか無いですよね。
いつもはクセの強いロバート・アルトマンのタッチも、本作は良い意味で機能しているし、
いつものマーロウの調子ではないにしろ、典型的なニコチン中毒のマーロウにしつこくタバコを吸わせまくり、
“映画史に残るタバコ吸い”と言っていいくらい、本作のマーロウのシルエットと言えば、咥えタバコがよく似合う。

スーパーマーケットに入るときの壁でも、自宅の中の壁でも、どこでもマッチを擦って火を点け、
まるで当たり前のように咥えタバコでうろつく。現代社会ではありえないことですが、マーロウとタバコはセットですね。
確かに、こういうキャラクターを当時のダスティン・ホフマンやアル・パチーノでは、演じ切れなかっただろうなぁ。

ここまでキャラクター造詣に徹底した映画というのは珍しいくらいで、それに応えたエリオット・グールドが素晴らしい。

アメリカン・ニューシネマ期に製作された探偵映画ではあるのですが、
当時の映画にあった緊張感というよりは、ただただニュートラルに流される探偵の動向を映し続けることで、
ジックリと映画の世界観を醸成させたような感じで、これこそ雰囲気を味わう映画という趣きで、僕は大好きだなぁ。
結構、危ない仕事をしているのに、こんなに緊張感の無い私立探偵というのは、なかなかいないですよね(笑)。

映画の中盤にマーク・ライデル演じるチンピラのリーダーが、ガールフレンドと主張する女性の顔面に
コーラの空き瓶で殴打するという突然の衝撃的なシーンがありますが、この男、マーロウが自分の金を奪ったと
思い込み、マーロウの家を手下に“ガサ入れ”させるわけで、映画の後半でいざ金が帰ってきたら態度が豹変する。

マーク・ライデルは映画監督としての方が知られている人だと僕は思っていて、
彼の監督作品って、多くが和やかなドラマ系の映画が多いのですが、こんなチンプラを演じていたとは意外で、
しかも、マーロウを自分の部屋に呼びつける終盤のシーンでは、何故か手下とマーロウに「脱げ」と言い放ち、
何故か自分も一緒になって全裸になろうという謎の仁義を示させるなど、結構、破綻したキャラクターに見える。

この終盤のシーンでは、手下の一人として若き日のシュワちゃんが出演しているのにも要注目だ。
(今と顔がほとんど変わらないので、すぐにシュワちゃんだと分かるし、当時から素晴らしい肉体美)

いつものロバート・アルトマンの監督作品のように、映画がクライマックスに近づくにつれて、
大きく破綻して支離滅裂になっていくという感じではないので、彼の監督作品としても異端な仕上がりですが、
マーロウを描いた映画としても間違いなく異端なので、一種独特な唯一無二な孤高の存在の探偵映画と言えます。

おそらく、ロバート・アルトマンにとってマーロウが追う真相などどうでも良くって、
ヴィルモス・ジグモンドの独特なカメラに“乗って”、マーロウの一匹狼感を表現できれば、それで良かったのでしょう。
だからミステリー性も弱いし、ちっともハードボイルドじゃないし、マーロウは清潔感ゼロだしで、どれもが独自路線。
ある意味で、平静を保ちながら映画の最初っから狂ってる感じで、最後まで軌道修正しないあたりがアルトマンらしい。

まぁ、レイモンド・チャンドラーの原作のファンは雰囲気ブチ壊し映画なので、おそらく評価しないでしょう。
レイモンド・チャンドラーの熱心なファンの方は、これを観るなら75年の『さらば愛しき女よ』を観た方が良いです。

ただ、僕は都合良く解釈して申し訳ないけど、原作と切り離して考えると、この上なくたまらない映画なんだなぁ。
アルトマンが勝手に作り上げたマーロウ像かもしれないが、エリオット・グールドが醸し出す空気がたまらん(笑)。
この映画のエリオット・グールドをモデルに、生前の松田 優作が『探偵物語』の役作りをしたというのも納得。
あらためて観ると、帽子がないくらいでシルエット、仕草、ボソボソ喋る姿、その全てがソックリなんですわ。

そして、飲んだくれの作家を演じたスターリング・ヘイドンの豪快さも忘れられない。
酔っ払うと感情が高ぶったり落ち込んだりと起伏が激しくなり、マーロウも相手をするのに手を焼きますが、
物語を引っ掻き回した挙句、とっ散らかったまま退場してしまうという、なんだか謎なまま終わってしまうキャラクター。

おそらく、これも原作とは違う解釈で描かれているのでしょう。
そう、もはやロバート・アルトマンに原作の雰囲気をそのままに映画化しようなんて意志、ちっともありゃしません。
原作のファンには申し訳ないけど、この雰囲気だけで魅了することができるなんてスゴいことだと思いますね。

まぁ、本来であればミステリー映画ならば、色々と反芻して読み解いて、考えるというステップを踏むのだけど、
本作って、それと対極するような内容で、考えれば考えるほど実はほとんどが意味の無いことの繰り返しで、
どちらかと言えば、考えるよりも感じる映画なのかなと思いますね。このダルダルな空気で、流されるように漂う画面。

別に悪口で言うわけではなく、ロバート・アルトマンもそこまで深い意味を込めてないと思うんですよね。
だから、一つ一つ細かく見ていくと、意味がよく分からないシーンの羅列になっているように見えます。
でも、それって意味ありげな伏線というわけではなくって、本作の場合はホントに深い意味がない(笑)。
ヒネくれたアルトマンのことですから、自分流に解釈して他の介入を許さずに好きにマーロウを撮ったというだけで。

だから、熱心な原作のファンからすると、これは完全に邪道な映画ですよね。
この邪道なマーロウ像であるということを予め理解した上で、本作を観た方がまだ楽しめるのではないかと思う。

やっぱり原作のマーロウ像を期待されると、全く異なるでしょうからツラい。
まるで本作のロバート・アルトマンは「良さが分かる人だけ、観てくれればいい」とでも言っているかのようで、
正直、僕はそのスタンスは好きではないけど、それでもこのスタンスを徹底してやり抜けるアルトマンは凄いと思う。

どうでもいい話しですが...映画の中盤のメキシコの田舎町のシーンで、
偶然撮れたのか、そういうスタッフが風に仕向けたのか分かりませんが、広場で犬が交尾するシーンが映る。
何を表現したくてアルトマンが撮ったのかも、何故に唐突にこのカットを採用したのかも僕には分かりませんが、
そんな謎なカットですら、映画の不思議なマジックの一部であるとすら思える。こんな映画、他にありません。

この映画、マスターテープの状態が悪いのか、実はDVDは画質が悪いんですよね。
やっとBlu−rayが発売されたので、そのうち買いたいのですが、画質が良くなったのか気になるなぁ〜。

(上映時間111分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 ロバート・アルトマン
製作 エリオット・カストナー
   ジェリー・ビック
原作 レイモンド・チャンドラー
脚本 リー・ブラケット
撮影 ヴィルモス・ジグモンド
音楽 ジョン・ウィリアムズ
出演 エリオット・グールド
   ニーナ・ヴァン・パラント
   スターリング・ヘイドン
   ジム・バウトン
   ヘンリー・ギブソン
   マーク・ライデル

1973年度全米映画批評家協会賞撮影賞(ヴィルモス・ジグモンド) 受賞