ライフ・オブ・デビッド・ゲイル(2003年アメリカ)

The Life Of David Gale

まぁいかにもアラン・パーカーらしい映画ですね。
実は僕、この映画の主張内容に100%賛同はできないのだけれども、
それとは全く別の視点から、この映画の力強さというのは認めなければならないと考えています。

かつて『ミッドナイト・エクスプレス』で強い問題提起をしたアラン・パーカーですが、
今回もまた随分と社会派な内容で、死刑制度の是非を映画を通して、観客に問います。

まぁ映画をプロパガンダの道具として使うことに、全く賛同はできないんだけれども、
アラン・パーカーに映像作家としての力があるからこそ、これだけの映画になるんでしょうね。
正直言って、僕も最初にこの映画を観たときは、衝撃のクライマックスにかなり驚かされました。

いや、それも“こじつけ”めいたドンデン返しではないことに価値がある。
それだけ映画に説得力があって、あくまで定石通りの展開と言っていいということ。

映画は強姦殺人の罪で死刑を宣告された大学教授デビッド・ゲイルの回顧録みたいな感じで進みますが、
この映画の皮肉なところは、デビッド・ゲイルが著名な死刑反対論者であったということ。
そんな彼の死刑が執行される直前の3日間で、彼にインタビューを実施することになった、
ニューヨークの新聞記者ビッツィーがインタビューに基づき、事件の検証を行っていきます。

被害者はデビッドと共に死刑反対運動を行っていた彼の同僚のコンスタンス。
彼女は両手に手錠をかけられ、全身傷だらけで、手錠の鍵を飲み込んだ姿で発見された。
そして数々の証拠が全て、犯人がデビッドであることを示唆していたのです。

もう一つ、デビッドには大きな落ち度となりうる過去があって、
経歴だけでは有能な学者という感じではあったのですが、事件の少し前に彼は落第を逆恨みした
女子学生からレイプされたと訴えられ、大学側から休職を宣告されていたのです。
女子学生はアッサリと告訴を取り下げますが、妻から離婚を宣告され、町の人々から蔑まれ、
彼はアルコール依存症に陥り、治療を受けていたという苦しい実情がありました。

徹底して苦境に陥っていくデビッドをドキュメントしながら、
どうして彼が死刑囚として収監されたのかを描いていくのですが、映画のラスト10分間は確かに驚かされる。

これは明らかに映画の序盤から中盤にかけてのシーン構成全てが、
実に上手く描かれているからこそ達成されていると言っても過言ではないでしょう。
デビッドの家庭環境が悪くなり、如何に彼が精神的に弱くなっていたかを描き、彼の心の隙を明確化させます。
それと、被害者となるコンスタンスとのパートナーシップの強さ、そして情欲を超越した彼らの愛情がお見事だ。

そう、実は映画の中で描かれた事象の中で言うと、
コンスタンスの人生の方がずっと悲劇的と言っていいと思う。これは映画を観れば分かりますが、
それだけにデビッドと彼女のベッドシーンは、実に深い意味合いを持ったシーンになっていると思う。
勿論、彼女が死刑反対を唱えるためであれば、どんな手段も辞さない強さも痛いほど活写されている。

確かにデビッドの行いの全ては肯定されないし、
いくら不運が重なったとは言え、彼に非がないわけではないと思う。
しかし、映画はそんなつまらない論議を完全に超越したレヴェルで、見事な高みを表現できていると思う。

あと、彼の性格を描けたのも大きかったと思いますね。
彼は見事な経歴がある通り、若くして高く社会的に評価されるぐらい有能な学者なのですが、
彼はつまらないことで熱くなり、せっかくの舞台を台無しにしてしまう難点を抱えています。
そういう意味では、元から彼の心に隙間があったのかもしれません。
妻が不倫の恋に走り、スペインへ何度も行って留守にしているという設定も利いていますし。

強いて言えば、僕は映画のクライマックスでデビッドのカメラ目線は撮って欲しくなかった。
あのシーンで顕著にアラン・パーカーの政治的な主張が出てしまいましたね。
僕は映画をこういう風に利用してしまうスタンスには、何があっても賛成できません。
そんなことをしなくとも、アラン・パーカーは十分に実力のある映像作家なのですから、勿体ないですよ。

但し、僕はあくまで現時点ですが...死刑反対論者ではありません。
死が罰になるのかという点は議論の余地がありますが、被害者感情はどうしても無視できません。

この映画は被害者感情までは言及していないのですが、
一つ言えることとすれば、デビッド自身が被害者になるかもしれないという不条理ですね。
言ってしまえば、彼は社会全体から抹殺された存在となってしまい、どうあがいても解消されません。

今回はビッツィーを演じたケイト・ウィンスレットがイマイチだったかなぁ。
もうチョット、インパクトある女優さんだと思ってたんだけど、この映画は一転して脇役みたいな感じ。
唯一、彼女に見せ場があったと言えば、田舎町をドタドタと走るシーンぐらいですかね(苦笑)。

まぁ映画会社は、よくこの映画を配給する決断をしてくれましたね。
かなりタブーに迫った内容であり、かなりの論議を呼ぶ可能性があったと思うので、
この思想的な内容に、おそらく映画会社の中では賛否があったのではないでしょうか。

劇場公開当時、あまり大きな話題とはならなかったけど、もう少し話題になっても良かったかも。。。

(上映時間130分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 アラン・パーカー
製作 ニコラス・ケイジ
    アラン・パーカー
脚本 チャールド・ランドルフ
撮影 マイケル・セレシン
編集 ジェリー・ハンブリング
音楽 アレックス・パーカー
    ジェイク・パーカー
出演 ケビン・スペイシー
    ケイト・ウィンスレット
    ローラ・リニー
    ガブリエル・マン
    マット・クレイブン
    ローラ・ミトラ