ラスト サムライ(2003年アメリカ)

The Last Samurai

劇場公開当時、ハリウッドが日本の侍を題材にした映画を撮るということで、
大スター、トム・クルーズを主演にキャスティングしたことで大きな話題となっていましたが、
映画の出来自体も文芸的な路線でもあり、映画賞レースでも高く評価されることになりました。

本作が全米はじめ、世界各国で商業的にも大成功を収めたため、
日本の映画俳優の多くが、日本映画の枠を飛び越えて、世界各国の映画に出演するキッカケにもなりました。

監督は89年の『グローリー』で高く評価されたエドワード・ズウィックで、
文芸的な映画もあれば、『マーシャル・ロー』のようなサスペンス路線の映画も手掛けており、
どういう方向性を志向しているのか分かりにくいディレクターというイメージでしたが、
ひょっとしたら本作が彼のフォルモグラフィーの中では、最も高く評価された作品ということになるかもしれません。

まぁ・・・的外れな忍者が登場してきたり、
観る前から予想されていた、事実誤認な描写のある内容ではありましたが、
それは正直、あまり大きな問題ではなかったように思います。ただ、それ以外に色々と気になることがあったり、
何よりも映画の中で、ある種のカタルシスがあったとは言えない部分で、無理矢理に切腹の描写を施したり、
作り手が興味本位でやってみたかったというだけで描かれたのではないかと疑いたくなるシーンが多かった。

これは例えば、敢えてエドワード・ズウィックが劇中、忍者を登場させたり、
明かな時代錯誤な描写があることを認めていて、「間違っていても、どうしても描きたかった」と
コメントしている通り、作り手も半ば確信犯的に行っていることが数多くあり、ただ単にやりたかっただけで
描いてしまったことが、事実誤認以上に映画を壊しているような気がするのが、あまりにお粗末に見えます。

そもそもトム・クルーズが1870年代の日本に渡ってきて、
侍たちのスピリッツにリスペクトを感じ、彼らと行動を共にするという設定自体に無理はあるけど、
そんな侍がいる集落に小雪がいるというのもまた、西洋的な見栄えという感じがします。

当時、僕は映画館でこの作品を観ているのですが、
正直、映画の終盤にあるトム・クルーズに小雪がキスするシーンは、何故か笑ってしまいました。

そして侍と言えば、切腹だろうみたいな作り手の安易な発想が輪をかけた感じで、
アメリカではこの切腹シーンが原因でレイティングの指定となってしまったようで、
その是非はともかく、僕は映画にとって特段必要とは思えない描写で、このような結果になったというのは、
あまりに勿体ないというか、作り手の好奇心が映画にとって、悪い結果となってしまった典型例のように感じます。

とは言え、この映画はそれなりに頑張ったと思う。
凄い上から目線な意見だけど、かつてハリウッドでも繰り返された曲解された日本像と比べると、
本作なりに侍という存在に理解を示し、映画の中で必死に表現したということはよく分かる。
世界的にヒットした理由には、国際的な日本文化に対する興味の表れとも言えるけど、
それ以上に本作なりに試行錯誤しながら、侍を描いたということ、そのものに対する評価なのかもしれない。

つまり、従来のハリウッドが描いた日本よりも、考証を重ねた本格的な内容であり、
映画自体が全くチグハグな内容にはなっていないことで、世界的な定評を得たということなのでしょう。

やはり映画のクライマックスにある合戦のシーンはなかなかの迫力があって、
ニュージーランドで撮影されたというロケーションが抜群で、本作最大の見どころになっている。
空中を飛び交う矢と砲弾がなかなかの臨場感をもって描かれており、このクライマックスは悪くない。
エドワード・ズウィックもここまで熱のこもったアクションが描けるのだと、思わず感心してしまった。

あと、勝元を演じた渡辺 謙はオスカー・ノミネーションにもなるほど評価されましたが、
役に恵まれた部分も大きかったかと思いますけど、それにしても英語が凄く上手い。
最初の頃は「英語は上手くないから...」と謙遜してますが、明治初期の武将にしては
奇妙なくらい英語が上手く、しかもペラペラの外国人の英語を正確に聞き取れていることも、なんだか気味が悪い(笑)。

渡辺 謙も後から英語を吹き替えたのかもしれませんが、
それでもこの英語力は素晴らしく、世界で活躍する映画俳優としてのスタンダードを示したかのようで、
やはり俳優の国際化というのが、どういうことであるのかを指し示した好例になったと感じています。
事実、本作以降の渡辺 謙は日本での活動の他に、ハリウッドはじめ国際的なフィールドに活動の場を移しています。

ただ、この映画で最も良くなかったのは、武士道が何たるか、
侍のスピリットとは何なのか、ということをこの映画の作り手なりの答えを表現できなかったことでしょう。

少なくとも僕には、この答えがピンと来るものがなかった。
本来的にこの映画は、武士道の在り方というものを追求して、明治初期に僅かに生き残っていた
侍がどう生きて、何を伝えようと闘っていたのかを、確実に言及することが命題だったのではないかと思う。
この映画にはそういったメッセージが感じられなくって、ただ漫然と覇権争いであるかのように描かれてしまった。

そうではなく、やはり侍という存在を後世に伝えるためにどうあるべきなのか...
それを多角的に深く洞察して、欧米の方々にも分かり易いフォーマットで表現するべき企画だったと思うのです。
残念なのは、この映画の主要製作スタッフに日本人スタッフがいないことで、的確なアドバイスが無かったのだろう。

前述したように、この映画なりに頑張ってはいるけれども、
侍の存在を確実に捉えるという、ある種のメッセンジャーであるべき作品に、そう成り得なかったことで、
この映画のプレゼンスというのが高められていないということが、とても残念に感じられてしまうところです。

事実として、本作が劇場公開されて15年以上が経過していますが、
欧米の映画監督が日本を題材に映画を撮るブームが過ぎてしまったのもありますけど、
本作以降で武士道やら侍といったテーマに、本作ほど肉薄しようとした映画は登場してきておりません。
だからこそ、本作は今一歩、作り手に深い洞察力が欲しかったと思えて、大きく物足りなさを感じてしまうのです。

なんせタイトルがタイトルなだけに、侍とは何たるかを表現できていないのは、ダメでしょう。
別に侍とは一揆を起こすようにけしかけ、自分の命にトドメをさすのも自分でやるということではないはずです。

映画の出来は、及第点をやや下回るレヴェルと思う。
ただ、この映画の志し、そして実際に成し遂げたことは、日本人の映画ファンとして価値があったことと思う。
それをハリウッドのプロダションだけでやってのけてしまうのだから、やはりスケールの違いを感じます。

やはり、トム・クルーズの存在は大きいのでしょう。
こういう言い方は失礼かもしれませんが、単なるスター俳優から、すっかり実業家俳優へと転身したことの証明です。
本作なんかは、彼らの日本文化に対する好奇心と、ビジネスライクな香り、その両方を感じさせます。

(上映時間154分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 エドワード・ズウィック
製作 トム・クルーズ
   トム・エンゲルマン
   スコット・クルーフ
   ポーラ・ワグナー
   エドワード・ズウィック
   マーシャル・ハースコヴィッツ
脚本 ジョン・ローガン
   エドワード・ズウィック
   マーシャル・ハースコヴィッツ
撮影 ジョン・トール
編集 スティーブン・ローゼンブラム
音楽 ハンス・ジマー
出演 トム・クルーズ
   ティモシー・スポール
   渡辺 謙
   ビリー・コノリー
   トニー・ゴールドウィン
   真田 広之
   小雪
   小山田 シン
   池松 壮亮
   中村 七之助
   菅田 俊
   原田 眞人
   ウィリアム・アザートン
   スコット・ウィルソン

2003年度アカデミー助演男優賞(渡辺 謙) ノミネート
2003年度アカデミー美術賞 ノミネート
2003年度アカデミー衣装デザイン賞 ノミネート
2003年度アカデミー音響調整賞 ノミネート
2003年度ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞監督賞(エドワード・ズウィック) 受賞