バルカン超特急(1938年イギリス)

The Lady Vanishes

名匠アルフレッド・ヒッチコックのイギリス時代の名作の一本。

雪深く閉ざされた田舎町のホテルで、不通になった特急列車の運行再開を待つために、
一泊せざるをえなくなった複数名の男女にスポットライトを当てて、翌日、運行再開した列車内で
行方不明となった老女を巡って展開される、乗り合わせた医師や客との攻防を描いたサスペンス映画。

この映画、少し自分には不可解だったのは、特急列車に乗るまでの
ホテルで足止めを喰らった人々の描写があまりに長過ぎて、その必要性がよく分からないところ。

おそらく当時のスタッフが頑張って作ったであろう、鉄道模型と町の模型を舐めるように撮り、
まるで空撮を意識したかのようなアングルで、ホテルへのシーンへと流れ込むという、
当時の技術力を考えれば、精一杯の工夫を凝らした気合が伝わってくる、良い冒頭なのですが、
このホテル内での描写は、いきなりアメリカ人でクリケットのことばかり気になっている男2人が中心的に描かれ、
やたらと英語が通じないことに愚痴をこぼすことに終始しており、映画はなかなか本題に入らない。

まぁ・・・そういう、なかなか本題に入らないジレったさを主題にしているのならば、
この映画の魅力として捉えられるのですが、どうやら“そういう”映画でもないようで、なんだかチグハグに見える。

そして、いざ特急列車に乗ると、今度は結婚のために都会を目指すヒロインが
映画の中心人物であるかのように、カメラの焦点が変わっていく。この変化に妙な違和感がある。
それからは、ヒッチらしいミステリーが展開されて、映画が生き生きとしてくるのですが、この冒頭がどうも気になる。

ヒロインを演じたマーガレット・ロックウッドは、ヒッチ映画のヒロインには珍しく黒髪の女の子。
本作の後は出演作品にあまり恵まれなかったようですが、なかなかよく頑張っていると思います。
相手役のマイケル・レッドグレーブは調子の良い、映画の序盤はどこか胡散臭く見えるのですが、
映画の後半になると、頼りになるキャラクターでクライマックスの攻防では大活躍となります。

それにしても、いくら自分の言い分を聞いてくれたイケメンだからと言っても、
最初の出会いが、ホテルの部屋に強引に入り込んできて、クラリネットを弾きまくって、
部屋を乗っ取った男のことを好きになっていく・・・というのも、少々、無理を感じる設定ではありますが。。。

本作はヒッチコックの監督作品としては、スリルには欠ける作品ではありますが、
ヒロインに親切にしてくれた女性が、次の瞬間に行方不明になり、同じ客室に乗る乗客も、
口々にそんな女性はいなかったとするミステリーで、当時としては斬新なストーリー展開だったのでしょう。

ヒッチコックは本作の後、1939年にハリウッドに渡って世界的な映画監督として大成しますが、
時代は第二次世界大戦の直前、動乱のイギリスで映画製作を続けることに限界を感じたのかもしれません。
ヒッチコックは50年代に黄金期を迎えますが、ハリウッドに渡らなければ、そうはならなかったでしょう。

当時のイギリスは映画の中で政治的な批判ニュアンスを描くことはご法度だったそうで、
ヒッチコックは別にプロパガンダを通すために映画を撮るディレクターではありませんが、
ヒッチコックにとってそういった制約があること自体、彼のヴィジョンと合わなくなっていたのでしょう。

この映画の“マクガフィン”は、列車内で行方不明になるミス・フロイが失踪する理由だ。
相変わらず、ヒッチコックにとってはその理由などどうでもいいようで、映画の本質には関係ない。
基本、“マクガフィン”なのでミス・フロイにまつわる秘密など、どうでもいいことではあるのですが、
個人的には列車から降りてからのミス・フロイについては、もっとしっかり描いても良かったのではないかと思う。

しっかり描いたゆえ、クライマックスでピアノ弾きのメロディがしっかりと活きてくる。
ここを曖昧なまま映画が終わってしまうことには、やや悪い意味での不可解さを残してしまっている。

この映画の醍醐味は、列車の中で行方不明になる老女を映画の序盤から、
ハッキリ描いていることである。えてして、こういうストーリー展開の映画はフラッシュ・バックになりがちで、
老女の実在性を曖昧にすることで、ヒロインの虚言である可能性を残して映画を進めることが多いのですが、
本作はそうではなく、老女の存在をハッキリと描いていることで、ヒロインの境遇を観客が共有できる。

本作を観る限り、イギリス時代のヒッチコックはミステリーを描くことに傾倒していたようで、
スリルあるシーン演出が突出しているわけでもなく、どちらかと言えば、平坦に仕上げた作品になっている。
ヒッチコックの作家性が、スリルやショックを描く方向に傾いた結果、幾多の傑作が生まれています。

実は本作にも、スリラー的要素を匂わせて、緊張感高まるシーン演出がある。
行方不明の女性を探して、無人の客車内でヒロインたちが襲われるシーンがあるのですが、
ああいったシーンに後年の活躍の片鱗を感じさせますね。やはり当時のイギリス映画界でも飛び抜けた存在です。

例えばアガサ・クリスティ原作の『オリエント急行殺人事件』なんかは、
本作との類似性が高い作品で、事件の真相というよりも謎解きそのものが好きな人には、
本作はきっと楽しめるでしょう。ミステリー小説が好きな人にはオススメできる一作ですね。

この映画、少しずつコメディ的な部分もあって、このバランスが絶妙に良い。
そもそも終盤に「大事なメロディだから覚えておいて」とメロディを口ずさんで、相手に覚えさせるなんて、
マジメなエピソードとは思えない可笑しさで、そんなことを唐突に言われても、覚えられるわけがない(笑)。
案の定、それがクライマックスの一つのスパイスとなる伏線になっていて、ここはとっても印象的だ。

後年の監督作品では、ここまでユーモラスなニュアンスは見られないので、
ヒッチコックのハリウッドに渡ってからの監督作品のファンにとっては、意外に見える作品かもしれないですね。

どうやら本作はヒッチコックの監督作品としては、いろいろと異例な出来事があって、
前述したコメディ色が豊かという点もそうなのですが、ヒッチコック自身のカメオ出演もラストシーンに
やっと登場するというのも珍しいし、ブロンド美女好きで有名で、ヒロインのほとんどがブロンド女優だったのに、
ヒロインのマーガレット・ロックウッドがブロンドではないということも、珍しい一作であります。

イギリス時代の監督作品はほとんど観ていないので、何とも言えないことはありますが、
当時からヒッチコックの映画監督としての才気を強く感じさせる、注目に値する作品だ。

(上映時間96分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 アルフレッド・ヒッチコック
製作 エドワード・ブラック
原作 エセル・リナ・ホワイト
脚本 シドニー・ギリアット
撮影 ジャック・コックス
音楽 ルイス・レヴィ
出演 マーガレット・ロックウッド
   マイケル・レッドグレーブ
   ポール・ルーカス
   グーギー・ウィザース
   リンデン・トラヴァース
   メイ・ウィッティ

1938年度ニューヨーク映画批評家協会賞監督賞(アルフレッド・ヒッチコック) 受賞