現金に体を張れ(1956年アメリカ)

The Killing

名匠スタンリー・キューブリックの第3回監督作品。

競馬場に溢れる現金、約200万ドルを一気に強奪しようと、計画の全貌を仲間に伏せたまま、
複数のメンバーに計画への参加を呼びかけ、用意周到な計画を遂行しようとする姿を描いた犯罪映画。

まぁ、この頃からスタンリー・キューブリックの映画って、スタイリッシュに見えますね。
今となっては、こういう映画って普通にありふれた描き方なんだけれども、当時としては斬新だったと思う。
個人的にはいちいちナレーションを入れて、時制を整理するのは好きじゃないんだけれども、
時間軸を微妙にズラしながら構成すること自体が、当時の映画界ではかなり異例なことであったように思う。

常に挑戦意識を持って、映画を撮り続けていたスタンリー・キューブリックだからこそ、
本作のようなフィルム・ノワールがアッサリと撮れたのだろうけど、本作以降のキューブリックの監督作品と比べると、
驚くほどオーソドックスな犯罪映画というか、彼特有な個性が表に出てきていない画面でビックリする部分もある。

この手の犯罪映画でよくある展開ではあるのですが、計画自体は用意周到であったにも関わらず、
準備段階の杜撰さが破綻の入口となってしまうというのがセオリーで、本作もそういった流れになる。

どんなに慎重に身辺調査をしても、基本的に犯行に人数をかけ過ぎなのです。
だから口の軽い男は、いとも簡単に妻に犯罪計画の詳細を話してしまうし、そこから大きく広がってしまう。
用意周到に現金輸送の方法、計画通りに行かなかった場合の対処法と、想定していたにも関わらず、
いざ使うと決めていたカバンは、強度に不安があって、結果として大きな狂いが生じてしまう。

冷静に見ていると、実につまらないことで彼が計画していたことは大きく狂ってしまうのですが、
えてして現実とはそんなもの。この映画はミステリーというよりも、あくまでフィルム・ノワールであり、
計画犯罪の遂行をスタートさせて、絶妙に計画がズレていき、上手くいかなくなっていく様子が主題ですね。

チョット出来過ぎな感もあるが、何度観ても、この映画のラストシーンはカッコ良い。

おそらくキューブリックも、そうとうな手応えがあったと思われるラストシーンなのですが、
後年のキューブリックなら、ひょっとすると作為的過ぎるラストとして、嫌った部類なのかもしれない。
それでも、敢えてフィルムに残しているというあたりが、キューブリックの若さを象徴しているようで、なんだか嬉しい。

主演のスターリング・ヘイドンも当時、ハリウッドで吹き荒れていたマッカーシズムの象徴である、
いわゆる“赤狩り”で密告した俳優の一人として、ほぼ完全に干されつつある状況であったらしいけれども、
本作のような渋いテイストのフィルム・ノワールにはピッタリな役者で、とっても良い仕事していますよ。
やはり本作のラストシーンにしても、何もかも悟ったような彼の表情が印象的で、全てを物語っている。

本作なんかは、日本では知名度がそこまで高くないスターリング・ヘイドンだったからこそ、
映画に余計な要素を加えずに構成することができ、むしろ彼が主演で良かったのかもしれませんね。

おそらく後年の映画人に多大な影響を与えた犯罪映画であることは間違いなく、
どうやら2010年に『ザ・タウン』を撮ったベン・アフレックは、強い影響を受けたことを公言しているらしいけど、
クエンティン・タランティーノの『レザボア・ドッグス』なんかを観ると、彼もまた本作の影響を受けている気がしますね。

おそらく当時のキューブリックとしても、かなり色々と苦慮したのでしょう。
例えば主人公が口の軽い仲間の妻がアジトに潜入してきたときに、妻と二人っきりになるシーンなど、
実にアッサリと割愛してしまうのですが、この辺を敢えて言及せずに避けたあたりは、当時の難しさがあったのでしょう。
(もっとも、本作はキューブリックにとってハリウッド資本での第1回監督作品だっただけに、難しかったでしょうけど・・・)

色々な制約と闘いながら、ある意味で、初めて自由に撮り切れなかった作品かもしれません。
そのせいか、当時としてもB級映画扱いに近く、結果として商業的にも成功を収めることができませんでした。
だからこそ、僕は本作、偉大なる大傑作というほどではないにしろ、愛すべき一本だと思っています。
たぶんキューブリックにとっても、「ああすれば良かった、こうすれば良かった」と思う箇所は数多くある作品で、
おそらく反省点の多い作品として、60年代以降、個性を色濃く出すようになった時代への布石となっている気がします。

チョット言い過ぎかもしれませんが、本作はキューブリックにとってのターニング・ポイントなのかもしれません。

競馬場のセキュリティや、周辺の駐車場の警備など、色々と甘いところはある。
いくらストーリーの細部にわたって凝るタイプとは言えないキューブリックだったとしても、
本作のストーリー設定の甘さというのは、さすがに目に余るものがあると言っても過言ではないだろう。

それでも十分にエキサイティングでクレバー、かつスマートに描けていることに加えて、
当時の技法を駆使して、複数箇所で同時進行する強盗計画を描くという、当時の映画業界を考慮すると、
極めて斬新なスタイルを貫いたことに、やはりキューブリックの映像作家としての手腕の高さを感じずにはいられない。
(大袈裟かもしれませんが、本作で彼がこう描かなければ、ストーリーテリングの技術の進歩は遅れていたかも・・・)

キューブリックは本作でそこまで高い評価は得られなかったものの、
翌57年に、戦争映画『突撃』のメガホンを取るチャンスを得て、当時のスターであったカーク・ダグラスと出会い、
60年に歴史大作『スパルタカス』を監督することになりますが、そこで彼はハリウッドと決別することになります。

おそらくキューブリックにとって、とても濃度の濃い4年間であったであろうし、
60年代以降、すっかり個性的な映画監督としてイギリスを中心に“秘密主義”で活動するようになった、
キッカケというか、セオリーの出発点となったのが本作にあったというのは、間違いではないような気がします。

上映時間はとても短く、極めて経済的にしっかりと見せてくれる点では、素晴らしく秀でた作品だと思います。

名カメラマン、ルシアン・バラードを撮影監督にしながらも、
キューブリックは当時、若手映画監督であったにも関わらず、当時既に名の知れた存在であった、
ルシアン・バラードの好きにさせず、半ば無理矢理、指示に従わせたエピソードは今でも有名ですが、
そんなキューブリックのプライドが、この映画を支えているのは事実で、珍しく気合の入った映像構成であることも魅力。

ひょっとすると、主演のスターリング・ヘイドンもキューブリックに面食らっていたのかもしれませんね。

(上映時間84分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 スタンリー・キューブリック
製作 ジェームズ・B・ハリス
原作 ライオネル・ホワイト
脚本 スタンリー・キューブリック
撮影 ルシアン・バラード
音楽 ジェラルド・フリード
出演 スターリング・ヘイドン
    コリーン・グレイ
    ビンセント・エドワーズ
    ジェイ・C・フリッペン
    テッド・デ・コルシア
    マリー・ウィンザー
    エリシャ・クック
    ジョー・ソーヤー
    ジェームズ・エドワーズ