ベスト・キッド(2010年アメリカ・中国合作)

The Karate Kid

84年の『ベスト・キッド』を空手から、カンフーに置き換えてリメーク。

これは、ホントにこれで良かったのだろうか。。。
勿論、製作まで担当し、実際に愛息子を映画で主演までさせたウィル・スミスらは良かったのだろうけど、
わざわざジャッキー・チェンを北京に呼んで撮影して、この内容でホントに良かったのだろうか・・・?

酷い出来の映画とまでは言わないし、それなりに楽しめる部分はある。
でも、僕はこの映画、手放しに称賛というわけにはいかない。どこか終始、違和感のある映画だからだ。

まず、映画の尺が長過ぎることに文句を言いたいわけですが・・・(笑)、
いくらなんでもこの内容で、上映時間が2時間を大きく超えるのは、やり過ぎというか、作り手に問題がある。
映画の本編を観ていて感じるのですが、割愛できそうなエピソードは数多くある。2時間以内に余裕で収められる。

84年のオリジナルは観たことがないので、あまり大きなことは言えないのですが、
映画の概要は一緒なのだろうけど、細かなニュアンスはかなり異なるのではないかと思いましたね。
そもそも、主人公のドレが北京に着いたその日に、公園のベンチに座っている女の子と話しをしたことが
キッカケとなって、カンフー使いのチョンという少年とケンカになるわけですが、コテンパンに打ちのめされます。

以降、ドレはチョンの存在に怯えるようになるのですが、
何故か復讐したいという気持ちはあるのか、ドラム缶に入った液体を物陰からかけにいったりと、
何かとトラブルになりそうなケンカをふっかけるものですから、どうにもドレの本当の性格がよく分からない。

まぁ・・・子供のやることだから...とも思うのですが、もうチョット作り手には気を遣って欲しかった部分かな。

それにしても、カンフー使いのチョンの暴力性はすさまじいものがある。
この辺は賛否がありそうだけど、この年頃の子供に瞬間的に「殺し屋」のような眼光の鋭さを感じさせる。
しかもドレに対しては、一方的な暴力を投げつけるだけで、それは子供のケンカを遥かに超えた雰囲気でした。

ドレが謎の力を持つカンフーの師匠に仕えてから、単にカンフーの腕を上げたという意味だけではなく、
確実に精神的な成長を遂げて、コテンパンにやられたチョンにも立ち向かおうとする姿に感動する人もいるのでしょう。

見方によっては、賛否はあるでしょうけど、
チョンのやっていることは日本で言うと、完全に補導レヴェルだ(笑)。これが現代のコンプライアンス社会であれば、
カンフーを使った暴力には、カンフーで対抗するのではなく、法に訴え「闘わずして勝つ」ということかもしれません。
しかし本作は、スポ根映画のようにカンフーにはカンフーで対抗するのですから、案外、“昭和な映画”だ。

主人公のドレを演じたのは、言わずと知れたウィル・スミスの息子、ジェイデン・スミス。
最近もまた俳優としての活動を再開させているようで、これから俳優業も本格化するのかもしれません。

20歳過ぎた彼は、すっかり父親であるウィル・スミスにソックリになってきましたが、
やはり家庭環境というものは大きいですね。本作も撮影当時11歳とは思えぬ上手さがあります。
そんな父親が企画を持ってきて、息子が映画出演して、映画がそれなりにヒットするのですから環境は大きいですね。

まぁ、ウィル・スミスの息子でなければ、こういうデビューはなかったような気がしますけど、
彼にとってはこの家庭環境に育ったこと自体が、とても大きなポイントだったのだろうと思いますね。
(なんせ本作はウィル・スミスとジェイダ・ピンケット・スミス夫妻がプロデュースしてますから)

それから、久しぶりにメジャーな映画で見たジャッキーですが、
過去に負い目を感じて生きているという設定で、なんだか覇気がないように見えるし、
持ち前のコミカルさは本作には無いですけど、少しだけアクション・シーンがあって、まだまだ元気そうですね。

母親の転勤でデトロイトから北京と、まるで生活環境の異なる地にやって来て、
引っ越し当日に、アメリカ人の友達を作ったものの、暴力的なチョンのいじめの対象になるドレ。
あのアメリカ人の友達が、映画の途中でどっかに行ってしまったかのように目立たなくなるのは不思議だが、
確かに12歳で異国の地へ引っ越すということだけで、人生にとって重大な出来事なのに、
引っ越し初日から現地の少年とトラブルになって、一方的な暴力を受けるというのは衝撃的な出来事だよなぁ。

現地の女の子といきなりイイ関係になるというのは、あまりに出来過ぎな気がしてましたが、
いじめっ子の存在に怯えなくてもいいようにカンフーを習うという流れは、オリジナルと一緒のようだ。

監督のハラルド・ズワルトは01年の『ジュエルに気をつけろ!』を撮った人のようだ。
コメディ映画を中心に映画を撮っていたようですが、ひょっとしたら本作が最も大きな仕事かもしれません。
でも、本作ももっと編集面ではしっかりやって欲しかったですね。これだけ映画が冗長になってしまったのは、
さすがに作り手の責任が大きいと思います。どう考えても、内容の割りに上映時間が長過ぎますね。

オリジナルの基本路線を踏襲しながらも、色々なアイデアを採り入れて、
リメークとしてのオリジナリティを出したかったのかもしれないけど、さすがにプロデューサーとして参加する、
ウィル・スミスやジェイダ・ピンケット・スミス夫妻の目は気になっただろうし、ジャッキー・チェンの様々な提案も
聞かざるをえなかっただろう。それで、映画としてまとめるにあたって、収拾がつかなくなったのかもしれません。

実際、カンフーの練習で服を木に引っかけることを反復するというのはジャッキーの提案らしく、
当初、脚本には無かったことで、こういうことが積み重なり過ぎると、映画のバランスを崩し始めますからね。

まぁ・・・僕の勝手な推察で、たぶん当たってはいないとは思いますけど、
当初の構想よりも、色々な事情があって内容的に膨れ上がってしまった作品、という見方もできるかと思います。

映画の結末は大方の予想通りに落ち着くことは分かっている映画なんだけど、
この映画、クライマックスの頑張って闘うことを貫くことが勝利という帰結は、やはり安直だと思う。
力の理論に偏り過ぎると、こういう発想になってしまうんだろうけど、カンフーにも存在しているはずの
「相手を労(いた)わる」という精神が、全く感じられず、「やられたら、やり返す」ことを肯定しているかのように
ドレが闘いの場に上がることを、映画の終盤では僕は肯定的に観にくくなっていたのは事実です。

それはドレに「相手を労(いた)わる」という精神が、備わっているようには見えないからだ。

ホントはこの映画、カンフーを題材に描いているのだからこそ尚更、
「力の強い者、声が大きい者が勝つ」みたいな弱肉強食のような発想とは、一線を画す内容にして欲しかったですね。

欧米ではなかなか理解されにくいところなのかもしれませんが、
それがリメーク作品として、オリジナルをリスペクトしながらも差別化を図っていけるところだったのではないかと。
だから僕は、ホントにこれで良かったのだろうか・・・?と、映画を観終わってから、そんな疑問に苛まれたわけです。

ところで、なんで映画の原題は“空手”、そのままにしたんだろ?
どうやら作り手は、当然、カンフーとの違いを分かってて、意図があって、そのままにしたようなんですよね。

(上映時間139分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 ハラルド・ズワルト
製作 ジェリー・ワイントローブ
   ウィル・スミス
   ジェイダ・ピンケット・スミス
   ジェームズ・ラシター
   ケン・ストヴィッツ
脚本 クリストファー・マーフィー
撮影 ロジャー・プラット
編集 ジョエル・ネグロン
音楽 ジェームズ・ホーナー
出演 ジェイデン・スミス
   ジャッキー・チェン
   タラジ・P・ヘンソン
   ハン・ウェンウェン
   ワン・ツェンウェイ
   ユー・ロングァン