マーガレット・サッチャー/鉄の女の涙(2011年イギリス)

The Iron Lady

メリル・ストリープが2度目のアカデミー主演女優賞を獲得した、イギリス首相サッチャーを描いた伝記映画。

サッチャーと言えば、言わずと知れたイギリス政治史に於いても極めて重要な女性首相であり、
彼女は初の女性首相に就いただけではなく、保守政治を強硬路線で実践し、格差社会を拡げたとも言われ、
イギリス国内の経済が長く不況に陥る契機となったと賛否が分かれるリーダーでしたが、本作では首相退任後に
彼女が認知症を患い、亡き夫の幻覚を見ながらも、若き時代から首相退任するまでの回想録を描いています。

僕は政治的に、本作で描かれたことがどこまで真実なのか見極めることができません。
本作劇場公開当時は、あまり評判が芳しくなかったようで、その理由はサッチャーの姿を一方から描き過ぎている、
という点で、どうも「実際のサッチャーはそこまで右傾化した思想の持主ではなかったのだよ」という観点に
偏り過ぎていることで批判があったようですが、僕はそこは気にならなかったので、本作を好意的に受け止めました。

あまり一人だけが目立っても、映画としては仕方ないとは思うのですが、
やっぱりメリル・ストリープはスゴい女優さんだと、あらためて実感させられる内容の作品ですし、
どこまで真実であるかは一旦置いておいて、サッチャーの首相退任から晩年を描いたという点では優れていると思う。

実際、サッチャーは本作が劇場公開された後の2013年6月に他界しており、
本作製作時点では存命だったわけで、作り手としてもメリル・ストリープとしても難しい仕事だったでしょうね。

映画を観ていると、サッチャーも女性の政治進出など考えられなかった時代に
政治家に転身しており、彼女は周囲から相当に強いアゲインストな風をモロに受け続けていたことは明白で
彼女の中でも相当に大きな葛藤があったことでしょう。家庭を顧みずに政治の世界に飛び込んだことが
映画の中であまり描かれなかったことも批判の対象ではあったらしいのですが、あまり家庭人としてのサッチャーに
踏み込まなかったのは僕は正解だったのではないかと感じていて、あくまで政治家としてフォーカスし続けます。

右も左も分からずに政治の世界に飛び込み、上流階級の嗜みも勉強しながら培ったサッチャーは
あくまで庶民の代表として立ち上がったところから始まり、保守政治を推進するリーダーとして有名になります。
そこには、やはり犠牲になるものが出てわけで、彼女の場合は家庭人としての側面だったというわけですね。

あまりに強硬な路線であらゆる政策を打ってきたがために、
やがて彼女は「鉄の女」といあだ名が付けられることとなり、特に80年代の苦しいイギリス経済を象徴するのが
サッチャー政治という感じになり、国内では格差が拡がり、暴動など様々な社会問題を抱えるようになります。

やはり彼女なりに女性であるという事実を理由に、男性中心の政治の世界から
NOを突きつけられることを恐れていたのではないかとも見え、彼女を支える立場の仲間たちにも
現代で言う典型的なハラスメントのような、かなり厳しい態度や言動を抑えられなくなり、やがて仲間を失います。
これは、ある意味では“地位が人を作った”と言っても過言ではなく、彼女の中でも大きなジレンマがあっただろう。

本作で少し物足りなさを感じたのは、何故サッチャーが首相にまで成ったのがハッキリ描かれなかったことだ。

ジム・ブロードベント演じる彼女の夫デニスは、「祭り上げられた」というようなニュアンスで
サッチャーの幻覚の中で喋る台詞がありましたが、そうであれば、彼女の能力を純粋に評価されたというよりも
周囲に彼女を政治的に利用するために、敢えて彼女を首相にして、何かしらの恩恵を受けていた男がいたということだ。

確かに、女人禁制にも近いような雰囲気のイギリス政治の時代に、どうして無名だったサッチャーが
女性政治家となり、これといった実績がなかった彼女が初の女性首相となれたのかをハッキリと描いて欲しかった。
日本の政治でも、よく話題となりますが女性議員の数が少ないということは、かねてから万国共通の問題でした。

企業の女性経営者の数でも同じようなことが議論されていますが、
確かに男性優位の社会が形成されていると、評価軸は男性目線になりがちで、女性の能力を公正に評価できる、
という環境ではないのかもしれない。それゆえ、「まずは数を増やしましょう」ということになるのは自然なのかも。

ただ、やっぱり僕も思うけど、ホントに能力ある女性からすれば、
「貴方は女性だから選ばれたんだよ」と言われても、ちっとも嬉しくないだろうし、そんなこと言われたくないだろう。
どうすればいいのか、というのはすぐに答えが出る問題ではないけれども、それだけアゲインストな環境の中で
前例の無い女性初の首相という立場になったのだから、彼女に並々ならぬ能力があったのか、策略だったのか・・・。

この辺は僕は、多少のフィクションでもいいから、映画としてしっかり描くべきだったと思う。
サッチャーが初の女性首相となった明確な理由が描かれてこその、彼女の長期政権だったと思うので、
これがあるかないかで、特にサッチャー政権の末期に対する観客の見方は、大きく変わってきたでしょう。

とは言え、僕は敢えて淡々と描いたような伝記映画になっているように見え、
良く言えば、作り手のブレない視点が良い方向に機能した作品だったと思う。重過ぎないラストも悪くない。

まぁ、こう言ってはナンですが...10年以上もの長期政権を堅持したわけですから、
特に後から考えれば、その政権の功罪というのは必ずあるものだと思う。全ての人にとって良い政治家であることは
現実的にはできないわけですね。政治ですから、主張が異なる野党があり、同じ政党の中でも派閥があったりする。
サッチャー自身も「私はイエスマンを求めてはおりません」と言っていたように、それは彼女も分かっていること。

次第にサッチャーの感情の起伏が激しくなっていただけに、周囲が距離を置くようになり、
精神的に孤立無援になっていたためか、彼女の主義主張がより頑なになっていったようにも描かれています。

興味深いのは、老後、デニスの死後にハウスキーパーや娘が自宅に出入りしていて、
認知症の傾向が見られることから、家族はサッチャーに対する監視の目を強めるように指示をしていきますが、
映画の冒頭で描かれているように、サッチャーは普通に市街地の庶民的な商店に立ち寄っているということだ。
そして、それに周囲も全く気付かない。往々にして、時代を象徴するキーパーソンも一般社会に戻ると、こうなるのだ。

認知症の幻覚を見る中で、サッチャーは過去の栄光をなぞるように
現代政治についてコメントを求められていると錯覚して、演説するように雄弁に語るシーンもある。
この映画で描かれたサッチャーの晩年とは、そんな彼女の想いと現実世界のギャップが象徴的に描かれている。

クドいようですが、僕にはこの映画で描かれたエピソードがどこまで事実に基づいているのかは分からない。
でも、“鉄の女”も人間だったのだと、分かるのがこういったシーンだと思う。至極当然ではあるけど、
サッチャーの政治家人生を描いた価値もあるけど、それ以上にサッチャーの晩年をこうして描いたことに価値がある。

しかし、やっぱりそういった晩年までもしっかりと体現できるメリル・ストリープをキャスティングできたことが
本作にとって最も大きかったのだろうと思います。ただただ、サッチャーのモノマネをしたわけではないですからね。

まぁ、晩年のサッチャーが認知症を患っていることが明確な描き方をしているので、
このラストのどこか物悲しいような雰囲気は賛否が分かれるだろう。僕は非日常なラストではなく、
あくまで晩年のサッチャーにとっての日常を、ラストシーンとして選んだのだと思えば、シックリ来るラストだったけど。
過去への色々な出来事、そして彼女が失ったものへ馳せる想い。それらが凝縮して、唐突に訪れるラストですね。

しかし、少々穿った見方かもしれないが、仮にメリル・ストリープをキャストできていなかったら、
この映画はここまで見せることはできなかったと思う。それくらい、キャスティングの勝利と言える作品だ。

良く言えば、そのメリル・ストリープの熱演を引き出したのがフィリダ・ロイドの功績とも言えるが、
悪く言えば、ほぼキャスト任せのところがあったのは否定できない。個人的にはフィリダ・ロイドの手腕に関しては、
この映画だけではよく分からず、もっと他の監督作品を観てみないと、何とも言えませんね。ほぼ役者陣の力なので。

サッチャー自身は本作を一度も鑑賞することなく他界してしまいましたが、
もし本作を彼女が観ていたら、どのような感想を述べたのかという点については、個人的に興味がありますね。
性格的には、あまり好意的な意見を寄せることはなかったかもしれませんが、意見を聞いてみたかったですねぇ。

(上映時間104分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 フィリダ・ロイド
製作 ダミアン・ジョーンズ
脚本 アビ・モーガン
撮影 エリオット・デイヴィス
編集 ジャスティン・ライト
音楽 トーマス・ニューマン
出演 メリル・ストリープ
   ジム・ブロードベント
   オリヴィア・コールマン
   ロジャー・アラム
   スーザン・ブラウン
   ニック・ダニング
   ニコラス・ファレル
   イアン・グレン
   リチャード・E・グラント
   アンソニー・ヘッド

2011年度アカデミー主演女優賞(メリル・ストリープ) 受賞
2011年度アカミデーメイクアップ賞 受賞
2011年度イギリス・アカデミー賞主演女優賞(メリル・ストリープ) 受賞
2011年度イギリス・アカデミー賞メイクアップ&ヘアー賞 受賞
2011年度ニューヨーク映画批評家協会賞主演女優賞(メリル・ストリープ) 受賞
2011年度サウス・イースタン映画批評家協会賞主演女優賞(メリル・ストリープ) 受賞
2011年度デンバー映画批評家協会賞主演女優賞(メリル・ストリープ) 受賞
2011年度ロンドン映画批評家協会賞主演女優賞(メリル・ストリープ) 受賞
2011年度ゴールデン・グローブ賞主演女優賞<ドラマ部門>(メリル・ストリープ) 受賞