白いカラス(2003年アメリカ)

The Human Stain

おそらく原作はそれなりに魅力的だったんだろうが、
これは映画として、とても苦しい内容ですね。いろんなところで、無理が生じています。

ロバート・ベントンもすっかり映画監督としてはダメですね。
たいへん申し訳ない言い方ですが、すっかり魅力的な映画を撮れなくなっていますね。
とてもじゃないけど、かつて『クレイマー、クレイマー』を撮ったディレクターとは思えない勢いの無さですね。

まず、60歳を超えた男と30歳を超えた人妻との恋愛という設定だけで、
しっかりと考えて撮らないと映画がダメになるというのに、これではまるで説得力が無いですね。

それと、根本的な話しになってしまうのですが...
そもそもがアンソニー・ホプキンスがこの映画の主人公コールマンを演じるには無理がありますね。
そりゃアンソニー・ホプキンスは巧い役者ですけど、この映画に限って言えば、
実はこのコールマンという男、トンデモない秘密を抱えたまま生きているのですが、
その秘密を抱えているという設定自体、彼が演じるにはかなり無理があると言わざるをえない。

根っから、いわゆる“デ・ニーロ・アプローチ”と呼ばれる、
ロバート・デ・ニーロが得意とした体形や風貌を変えてまで芝居に挑むスタンスを否定し続けていましたが、
さすがにこの役をアンソニー・ホプキンスが素のままで演じるには、若干の無理があるように感じました。

ホントはこの辺もロバート・ベントンが上手くカヴァーしてあげなければいけないのですが、
コールマンの描き方にあっても、何かしらその秘密を裏付ける描写があっても良かったですね。
そのせいか、全然、説得力が無いところが、この映画のツラい部分なんですよねぇ。

それに輪をかけるように、映画の中盤にあるアンソニー・ホプキンスと
ゲイルー・シニーズのダンス・シーンに至っては、もう訳が分からないですね。失笑ものです。

おそらく映画は小説家ザッカーマンがインタビュアーの役割を果たしていますから、
このシーンはザッカーマンとコールマンの間で起きた、不思議な夜というのを描きたかったのだろうけど、
これはそれまでの作り込みが甘いせいか、どうしたって変なシーンにしか見えないですね(苦笑)。

かなりセンセーショナルな内容と言っていい映画ですし、
おそらくニコール・キッドマンにとっても、挑戦性の高い仕事だったはずなのですが、
たいした話題にならずに終わってしまったというのは、映画の出来を象徴している結果ですね。
(実際、この映画の興行収入は全く振るわず、赤字で終わってしまいました...)

それと、もう一点。
これは映画として大きく気になるのは、回想シーンと老境のシーンでかなりテンションが異なること。
結論から言うと、老境のシーンが回想シーンに大きく押し負けてしまっているのが致命的でした。
本来なら、本作の場合はこれが逆にならなければ、映画は磨かれないはずなのです。

僕はこの辺にロバート・ベントンのビジョンとの大きな違いを感じましたねぇ。

この邦題は地味に意味が重たいですね。
“色”というのは、人間だけでなく色の判別ができない動物を除けば、共通の要素なのだろうです。
以前、聞いたことがある話しなのですが、昨今、白い鳩を街中で見かける回数が少なくなったのは、
出没頻度が少なくなっているというわけではなく、単に白い鳩の生息数が減っているからだそうだ。

これは白い鳩はやはり目立つ存在であることから、
カラスなどの襲撃に遭遇し易く、自然淘汰的に黒っぽい鳩が生き延び、その比率を高める結果になったとか。
言ってしまえば、これは生態学の摂理とも言うべき現象で、やはり“色”というのは大きな要素なのだろう。

この映画も“色”をテーマにした作品ではあるのですが、
主人公のコールマンは意外な落とし穴にハマって、自らの評価を下げてしまいます。
評判の良い名門大学で初めてのユダヤ人学部長となったコールマンは様々な改革を起こして、
三流大学を一流大学として復権させ、自身の文学部教授としての地位を確立してきた男だ。

ところが彼は講義を無断欠席した2人の黒人学生を「彼らはspook(お化け)なのか?」と言い、
実はこの“spook”という単語、黒人を卑下するスラングの意味合いもあって、出席していた他の黒人学生から
大学本体に苦情が入ったことから、コールマンは窮地に陥り、結果として辞職に追い込まれます。

勿論、彼は“spook”という単語を、スラングの意味合いで使ったわけではないのですが、
調査委員に追及されたところ、彼は冷静に対処できず、興奮してしまい更に印象を悪くしてしまいます。

何故、彼が冷静でいられないかというと、
これは言われなき糾弾を受けたという人間としての誇りからではなく、複雑な過去にまつわるものでした。
これが回想として語られるわけなのですが、コールマンが大きな秘密を抱えていることが明らかになります。

但し、このコールマンという男、過剰なまでの自己防衛心があったがゆえ、
黒人に対する厳しさ、古くからの人種差別がもたらす余波を真正面から受けた傷を負っているのですね。
それゆえ、彼は教育者であるはずの大学教授としての品格を失い、物事の本質をも見失っています。
コールマンのような状況に陥ってしまった場合、ハッキリ言いますが、教育者として後戻りできません。
従って、“spook”という発言は謝罪すべきだと思うのです。これは彼にとって、理不尽な結果ではありません。

色々な状況を考えれば、確かに不適切な発言であることは否定できず、
それが正しいか間違っているかはともかく、解釈する者が人種差別的なニュアンスを感じ取った以上、
コールマンの発言は間違いであったのです。映画を観る限り、学生の過剰な反応とは言えません。
彼はこういう結果にならないように、配慮すべきだったのです。これこそが教育者としての品格なのです。
(まぁ大学教授が教育者なのか、研究者なのか...という議論もありますがねぇ・・・)

いずれにしても、この映画は今尚、アメリカに根深く残る“色”に関する因縁を
実に鋭く描くべき作品だったはずなのですが、前述した違和感がどうしても克服できず、
映画が一向に魅力的にならなかったことが致命傷となってしまっていますね。

ロバート・ベントンは寡作な映画監督なだけに、
久しぶりに発表した規模の大きな映画がこんな出来では、かなり落胆させられますね。。。

(上映時間107分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 ロバート・ベントン
製作 ゲイルー・ルチェッシ
    トム・ローゼンバーグ
    スコット・スタインドーフ
原作 フィリップ・ロス
脚本 ニコラス・メイヤー
撮影 ジャン=イヴ・エフコフィエ
編集 クリストファー・テレフセン
音楽 レイチェル・ポートマン
出演 アンソニー・ホプキンス
    ニコール・キッドマン
    ゲイリー・シニーズ
    エド・ハリス
    ウェントワース・ミラー
    ジャシンダ・バレット
    アンナ・ディーヴァー・スミス
    ケリー・ワシントン