めぐりあう時間たち(2002年アメリカ)

The Hours

02年度アカデミー賞で主要9部門に大量ノミネートされ、
実在の女流作家ヴァージニア・ウルフを演じたニコール・キッドマンが念願のオスカーを初受賞しました。

監督は『リトル・ダンサー』で監督デビューしたイギリス出身のスティーブン・ダルドリー。
いきなり文芸的な作品に挑戦してきましたが、映画の出来自体は凄く上質なものとは思えるものの、
個人的には全体的に気取り過ぎな傾向があって、どうにも好きになれない映画のまま終わってしまいました。

3つの時間軸で主に3人の女性をクロスオーヴァーさせながら描くのですが、
この構成もそもそも分かりにくい。個人的にはもっと分かり易い構成にして欲しいし、
あまりやり過ぎると、どことなく賞狙いの映画に見えてしまうところが勿体ないと思いますね。

本作以降のスティーブン・ダルドリーの監督作品の全てに言えることなのですが、
どことなく文芸路線に傾き過ぎているというか、賞狙いと解釈されても仕方ないように思える作品が多いですね。

本作も確かに3人の主演女優の演技合戦も素晴らしいし、映画が持つ空気感が良いんですよね。
風格が漂う映画と言われれば、それは当てはまるかもしれません。それくらい、作り手の技量は高いです。
特に1950年代でメインに登場し、リチャードの母親を演じたジュリアン・ムーアが素晴らしいですね。
特殊メイクを駆使してまで現代での老け役にもチャレンジしていますが、もっと賞賛されても良かったと思いますね。
確かにヴァージニア・ウルフを演じたニコール・キッドマンの慎み深い芝居も良かったですけどねぇ・・・。

ただ、どうにも気になるのは、作り手もその良さに溺れてしまっているように見える。
これだけの女優陣の存在感を引き出したのだから、そうとうに力がある映画なのですが、
何故だろう、個人的にどうしても気になってしまうのは、3つの時間軸のエピソードを敢えて、曖昧な関係にすること。

意味ありげに描くことで、観客の興味も惹くし、確かに絶妙に絡み合うところが
本作の魅力だとは思うのですが、それらが少しあざとく感じられたのかもしれませんね。

それだけスティーブン・ダルドリーも自信のある作品だとは思うのですが、
その自信に裏打ちされた仕上がりなのだから尚更のこと、微妙にはぐらかすような描き方ではなく、
もっと観客に対しても、真正面から堂々と対峙するような姿勢の映画であって欲しいというのが、僕の本音かな。

ジュリアン・ムーア演じるリチャードの母親こそが、小説にも感化され、
情緒不安定に陥ってしまい、自殺をも考えてしまうという深い悩みの中で岐路に立たされていたところで、
その50年後に息子のリチャード自身も、家庭の不和があったからこそ反面教師にして、
自分はそうならないように生きてきたにも関わらず、皮肉にも自らの余命を悟って、自暴自棄になってしまう。

本来的にはこの親子の関係性なんかは、もっとストレートに描いても十分に
人生の不条理、運命の皮肉といったことは伝わったはずで、映画自体に実直さも付与できたはずだ。
そこが文芸路線になってしまうと、どこか文学的な描き方というか、全てに於いて示唆的に描くことになる。

当然、時にその方が良い場合も多いとは思うのですが、
本作はストレートに描いた方が、本作そのものが持つ良さを確実に伝えられたのではないか、
つまり、もっと訴求する力の強い映画にできたのではないかと思えるところが、個人的には凄く歯がゆく感じます。

何故、そこまでこだわるのかと言うと、これだけ力のある映画を撮れるディレクターは
ハリウッドでもそうは多くはないからです。スティーブン・ダルドリーの監督作品は複数本観ていますが、
ほぼ本作と同じような路線で、どこか冒険性のない企画ばかりに終始している印象が残ります。
であれば尚更のこと、既に完成されたタイプのディレクターで、実際に数多く力のある映画を撮っているのですから、
余計な“回り道”をしないで、もっとストレートに映画を撮ることに執着すべきだと思うんですよねぇ。。。

余計なお世話かもしれませんが、
本作なんかはこれだけのキャスティングが成功しなかったら、どうなっていたのでしょうか・・・?

それくらい、作り手は本作のキャストの力量にも大きく助けられていると言っても過言ではないのです。
(勘違いして欲しくはありません。映画を製作する上で、キャスティングは凄く重要なことです)

本作は3時代の女性の生き方を対比的に描いています。
1923年に生きるヴァージニア・ウルフはロンドンで女流作家として成功しながらも、
精神的に病んでしまい、夫の判断でロンドンから汽車で約1時間ほど離れた田舎町に暮らしている。
しかし、実はヴァージニア自身は田舎での幽閉されたかのような生活を望んでおらず、
都会であるロンドンでの奔放な生活に戻ることを懇願しています。映画を観る限りですが、
僕はヴァージニアは女流作家として生きていくことを強制されていたに等しく、気ままに生きたい彼女の意思が
尊重されることはない時代であったことに、ヴァージニア自身がどのように抵抗するかがポイントのように思います。

一方、1950年に生きるリチャードの母ローラは、
子育てをすることが当たり前、夫を家庭で支えることが当たり前という時代の価値観の中で、
女性の自立を意識するかのようにローラは目覚め、与えられた生活に対して疑問を抱くようになります。

一見すると、取り立てて不満の顕在化している生活ではないのですが、
どこか抑圧された感情を抑えきれんとばかりに、ローラの感情はヴァージニア・ウルフ原作の本を読み進めると同時に
突き動かされていきます。もうこれは理屈ではなく、論理的に説明できることでもありません。
それでも、当時の女性には必要な感覚であったのかもしれません。そういう意味でも、とても複雑な感情です。

一方、現代で中心的に描かれるのはリチャードの小説を担当する編集者クラリッサ。
彼女は同性愛者として女性のパートナーと同棲生活を送り、リチャードが賞を受賞したことでお祝いをしようと
準備に奔走している様子。現代では女性がキャリアウーマンとして働くことは当然のことだし、
同性愛者が同棲生活を送ることも、決して珍しいことではない。これも一つの社会の変容なのかもしれない。

本作が描きたかったことは、そういった女性の在り方の変遷もあるのかもしれません。
個人的にはノレない部分もある映画ではありますが、その地力の強さは本物の映画だとは思う。

(上映時間114分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 スティーブン・ダルドリー
製作 ロバート・フォックス
   スコット・ルーディン
原作 マイケル・カニンガム
脚本 デビッド・ヘア
撮影 シーマス・マッガーヴェイ
美術 マリア・ジャーコヴィク
衣装 アン・ロス
編集 ピーター・ボイル
音楽 フィリップ・グラス
出演 ニコール・キッドマン
   メリル・ストリープ
   ジュリアン・ムーア
   エド・ハリス
   ジョン・C・ライリー
   ミランダ・リチャードソン
   スティーブン・ディレーン
   トニ・コレット
   クレア・デインズ
   ジェフ・ダニエルズ
   アイリーン・アトキンス
   ジョージ・ロフタス

2002年度アカデミー作品賞 ノミネート
2002年度アカデミー主演女優賞(ニコール・キッドマン) 受賞
2002年度アカデミー助演男優賞(エド・ハリス) ノミネート
2002年度アカデミー助演女優賞(メリル・ストリープ) ノミネート
2002年度アカデミー監督賞(スティーブン・ダルドリー) ノミネート
2002年度アカデミー脚色賞(デビッド・ヘア) ノミネート
2002年度アカデミー作曲賞(フィリップ・グラス) ノミネート
2002年度アカデミー衣裳デザイン賞(アン・ロス) ノミネート
2002年度アカデミー編集賞(ピーター・ボイル) ノミネート
2002年度全米脚本家組合賞脚色賞(デビッド・ヘア) 受賞
2002年度ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞作品賞 受賞
2002年度ロサンゼルス映画批評家協会賞主演女優賞(ジュリアン・ムーア) 受賞
2002年度ボストン映画批評家協会賞助演女優賞(トニ・コレット) 受賞
2002年度シアトル映画批評家協会賞脚色賞(デビッド・ヘア) 受賞
2002年度サウス・イースタン映画批評家協会賞作品賞 受賞
2002年度ラスベガス映画批評家協会賞主演女優賞(ニコール・キッドマン) 受賞
2002年度ラスベガス映画批評家協会賞助演男優賞(ジョン・C・ライリー) 受賞
2002年度バンクーバー映画批評家協会賞作品賞 受賞
2002年度バンクーバー映画批評家協会賞助演女優賞(トニ・コレット) 受賞
2002年度バンクーバー映画批評家協会賞監督賞(スティーブン・ダルドリー) 受賞
2002年度イギリス・アカデミー賞主演女優賞(ニコール・キッドマン) 受賞
2002年度イギリス・アカデミー賞音楽賞(フィリップ・グラス) 受賞
2003年度ベルリン国際映画祭銀熊賞(ニコール・キッドマン、メリル・ストリープ、ジュリアン・ムーア) 受賞
2002年度ゴールデン・グローブ賞作品賞<ドラマ部門> 受賞
2002年度ゴールデン・グローブ賞主演女優賞<ドラマ部門>(ニコール・キッドマン) 受賞