さすらいのカウボーイ(1971年アメリカ)

The Hired Hand

『イージー・ライダー』でアメリカン・ニューシネマを決定づけたピーター・フォンダが、
静かな静かな西部劇として仕上げた、“早過ぎた映画”とまで評される不思議な雰囲気のある作品だ。

本作でピーター・フォンダは敢えて、派手なガン・アクションをエキサイティングに展開したり、
馬上の猛者たちが叫び散らして暴れまくる姿を描かずに、実に簡素でシンプルに捉えています。

後に名カメラマンとして人気を博す、ヴィルモス・ジグモンドのデビュー作でもあるのですが、
このカメラは確かに美しい。やや甘過ぎるような気もするが、唯一無二のカメラとは正にこのことだろう。

映画はとても単純な話しで、7年もの間、妻子を家に置いて放浪の旅に出ていた男が
突如として家に帰ると言い出し、道中、若き仲間を殺されたことで、殺した相手の家を襲撃し、
もう一人の仲間アーチを連れて逃げることで、自宅に帰り、主人公に捨てられ失望の日々を送っていた、
妻ハンナに懇願して、アーチと共に納屋で暮らすも、すぐに追跡者が彼らを追ってくる・・・という物語だ。

この映画は主演のピーター・フォンダも良いが、アーチを演じたウォーレン・オーツの泥臭い笑顔が良い。
やはりこの時代の西部劇と言えば、ウォーレン・オーツの存在は欠かせない。主人公のハリーを演じた、
ピーター・フォンダもどことなく、その雰囲気はクリント・イーストウッドのそれを想起させますね。

映画の冒頭から、ショッキングなエピソードを描いていますが、
この映画はその生々しさを直接的に映像として表現はしません。とてもセンチメンタルで示唆的な描写です。

僕は正直言って、長年、『イージー・ライダー』の良さが分からないのですが、
それでもアメリカン・ニューシネマのアイコン的存在としてスターダムを駆け上がったジャック・ニコルソンとは対照的に、
ピーター・フォンダは映画を作る側にも興味があったようで、本作で監督デビューを果たしました。

ただ、美しいフィルムなのは分かりますが、個人的には本作の魅力をフルには味わえなかったなぁ。
やはり活劇としては物足りない。そういうタイプの西部劇はないのは分かりますが、画面に緊張感が無い。
主人公らちがトラブルを抱える追跡者たちの存在なども、もっと脅威として描かないと盛り上がらないですね。
あまり深くおらず表層的にしか描いていないということもありますが、観客にとってストレスな存在にはならないですね。

別に派手なガン・アクションはいらないのですが、
主人公との接点が多くはない中、唐突に追っ手が指を持って来るというだけでは、緊張感が高まらない。
もっと追跡者の存在自体が、観客にとって大きなストレスになるぐらいの方がクライマックスは盛り上がったと思う。

アーチを演じたウォーレン・オーツも良かったけど、
この映画のキーマンは、ほぼ間違いなく主人公の妻ハンナを演じたヴェルナ・ブルームでしょう。
彼女はよくこの役柄を見事に演じ切ったと思います。よく見たら彼女、全編、ノーメイクで演じているのですね。

この映画、主人公が家を出て、妻子との生活よりアーチらとの放浪生活を選択したことを“浮気”と表現し、
突如として安息の地を求めた主人公が帰宅した際、アーチを連れてきた主人公に「浮気相手を連れてきた」と
ハンナが言い放つ。これは観ていて、僕は思わず、「なるほど、確かにこういう解釈もできるな」と唸ってしまった。

そんな“浮気”の旅に出た主人公を失ったハンナは幼い娘を育てる生活の厳しさと、
女性としての寂しさから、町で募集した使用人を雇っては肉体関係を結んだことを生々しく語ります。

そんなことが主題の映画だったのかと驚きましたが、
これはこれで愛するパートナーが自分勝手に家を出て生き、苦しい生活を送る中で欲望を満たすこともできず、
どんな相手でも手あたり次第と言わんばかりの性衝動を抑えられなかったことを吐露する姿に、衝撃を受けました。
個人的な感情はともかく、演じたヴェルナ・ブルームも少なからずとも、抵抗感のあるキャラクターだったでしょう。

正直言って、ピーター・フォンダがこれを狙って撮った作品なのか、僕にはよく分からなかった。
それはこういったハンナのこととか、一見すると、メイン・エピソードにならなさそうなことを掘り下げて、
怒らせた追跡者のことをロクに描かないというアンバランスさが埋められず、本能的に撮った作品のように思えるから。

この唯一無二な内容こそが、本作の大きな特徴ではあるのですが、
おそらくピーター・フォンダ自身も、本作のような作品をもう一度撮れと言われても、おそらく出来なかったでしょうね。

これはこれでアメリカン・ニューシネマの一派ではあると思うのですが、
例えば『明日に向って撃て!』のようなニューシネマを象徴する西部劇とは明らかに異なる作品だ。
少々、シーンの入れ替わりにクドさを感じる編集ではありますが、あまりに美しいカメラに抜群のロケーション。
旅を続けることに疲れ、明るい未来を築くために自宅を目指す姿に、当時のベトナム戦争を暗喩したいるかのようだ。

そう、僕はこの映画、アメリカン・ニューシネマ期だからこそ出来た作品だとは思うけれども、
映画の内容的には当時のニューシネマが追求した、新たな映画の在り方を探った作品ということよりも、
当時のアメリカ社会に対する危惧を、西部劇というフォーマットで表現した作品だったという気がします。

それをピーター・フォンダが撮ったからこそ、どこかニューシネマなテイストが漂う作品となったのです。

まぁ・・・相棒役がウォーレン・オーツというのも、彼がサム・ペキンパーの監督作品の常連とは言え、
やはりこの時代のアメリカン・ニューシネマ期の雰囲気をプンプン漂わせる作品となった所以だとも思いますが。。。

主人公がアーチのことをどう思っていたのか分からないが、クライマックスの主人公の行動が
アーチとの友情に基づくものと思われることから、やはり本作は男の友情をメインに描いた作品なのでしょう。
そういう意味で、泥臭い男の友情を表現するならば、やはりウォーレン・オーツはピッタリの配役だったのでしょう。
ウォーレン・オーツとは対照的に、ピーター・フォンダがどこかナイーブなところを見せるのも印象的だ。

ただ、もっと映画のラストに訴求するものがあった方が評価されたと思いますね。
結果として、劇場公開当時はほぼ評価されず、“早過ぎた映画”として何十年も埋もれていたというのは、
僕にはなんとなく分かる気がします。唯一無二の作品ではありますが、少々、写実的になり過ぎたように映ります。

『イージー・ライダー』でデニス・ホッパーに触発されたのか、ピーター・フォンダが監督を兼務しましたが、
映画の出来はもっと良く出来ただろうし、まだまだ発展途上な作品だったという印象があります。
但し、このヴィルモス・ジグモンドの素晴らしいカメラ含めて、もの凄いポテンシャルを秘めた作品で、
個人的にはピーター・フォンダはこのまま映画監督としての活動を続ければ、もっとスゴい存在になったはずと思います。

あれだけ家に帰ることを熱望し、妻から拒絶の意思を示されても食い下がり、
妻子との生活を取り戻すために必死だった主人公が、何故に矛盾していると悟りながらも、
アーチとの友情を優先する行動をとる決心をしたのか? おそらくこれが、本作の大きなテーマだと思います。

もう少し、ピーター・フォンダに映画全体をケアする目があれば、
きっとこの作品のフォトジェニックな魅力を、もっと生かせる出来映えにできていたのではないかと思う。
そういう意味では、仮にサム・ペキンパーが撮っていたら、どんな作品になっていたのだろう?と思えてしまった。。。

(上映時間90分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 ピーター・フォンダ
製作 ウィリアム・ヘイワード
脚本 アラン・シャープ
撮影 ヴィルモス・ジグモンド
音楽 ブルース・ラングホーン
出演 ピーター・フォンダ
   ウォーレン・オーツ
   ヴェルナ・ブルーム
   ロバート・プラット
   セヴァン・ダーデン
   アン・ドラン
   テッド・マークランド