華麗なるヒコーキ野郎(1975年アメリカ)

The Great Waldo Pepper

天才的な飛行士ウォルド・ペッパーが、曲芸飛行士として生計を立て、
かつて戦争で闘ったドイツ空軍飛行士と、映画の撮影という名目で共に飛行機を飛ばす姿を描いたドラマ。

監督は69年に『明日に向って撃て!』で評価されたジョージ・ロイ・ヒルで、
主演はロバート・レッドフォードというのは、73年の『スティング』から続く名コンビで、
脚本のウィリアム・ゴールドマン、撮影のロバート・サーティースと達人が勢揃いのスタッフを集めています。

かつて観た時には、そこまで印象に残らなかった映画だったのですが、
あらためて年月を経て観ると、あくまで個人的な部分ではあるのですが、どうも悪い意味で気になった(笑)。

僕はジョージ・ロイ・ヒルという映像作家は、ナンダカンダで評価されるべき存在だと思うし、
この頃はアメリカン・ニューシネマの潮流に乗って、彼特有のどこか楽天的な描写を軸にして、
ロバート・レッドフォードという強力な人気俳優を立てて、黄金期を構築したことは大きな功績だと思っています。
楽天的な描写・演出にしても、賛否はあれど、やっぱり大きな特徴であって、一つのプレゼンスなのでしょう。

例えば、『明日に向って撃て!』や『スティング』では、そういった演出がストーリー、
映画の世界観と見事にマッチして、不思議なテイストを生み、映画に価値を付与したと言っても過言ではないと思う。

でも、悪い意味で気になったというのは...
やっぱり人の死を、あまりに軽く描き過ぎているというか、ここまで楽天的にアッサリと描かれてしまうには、
やはり抵抗があるというか、映画はもっと起伏に富んだものであって欲しいと思うんですよねぇ。

別にドラマティックでも、妙に現実主義に捉われる必要はないと思うのですが、
ここまでジョージ・ロイ・ヒルのスタンスを前面に押し出したままで映画を構成されると、チョット戸惑います。

映画の冒頭を観ていると、ジョージ・ロイ・ヒルなりに飛ぶことへの憧れは感じます。
主人公のウォルド・ペッパーの描き方にしても、作り手なりの愛着が感じられて、なかなか良い部分もあります。
でも、やっぱり映画の中盤以降から、何故か積極的に描くようになった“人の死”の描き方は感心しなかった。

安全対策思考のない、ただただ観客のスリルに迎合することでしかなかった、
当時の曲芸飛行の犠牲者とも言うべき、若き日のスーザン・サランドン演じるメアリーなんかは、
彼女が映画女優として陽の目を浴びることがなければ、これはあまりに可哀想な扱いだと言わざるをえません。
チョット乱暴な言い方かもしれませんが、メアリーの描き方に作り手の愛情は感じられないとしか言いようがありません。

それと、慣れない曲芸飛行にチャレンジするハメになったエズラにしても同様。
この2人は実にアッサリした扱いを受けていて、作り手からの愛情が感じられないのが凄く気になります。

ジョージ・ロイ・ヒル流の演出からいけば、映画全体にどこかノスタルジーを感じさせる、
ウェイルメイドな雰囲気が僅かながらにもあるとは思うのですが、この2人の描写で突然、観客を突き放します。
僕にはどうしても、これが理解できない。この突き放しが、良い方向に作用すればいいのですが、
全く後につながらないアッサリ感で、この映画の企画自体はジョージ・ロイ・ヒル以外のディレクターの方が
映画の雰囲気や世界観と、絶妙にマッチして、僅かながらもドラマティックに描けた部分はあったかもしれません。

この映画、死生観の違いというか、チョットしたボタンのかけ違いからなのか、
どこか気持ち良く観ることができない内容になってしまっているように感じられてならないのです。
それが凄く勿体なくて、僕の中でこの映画の位置づけが、どうしても上がらないし、素直に楽しめないのです。

とは言え、飛行士の特性なのか、やたらと焼け死ぬことへの恐怖心が強いのが印象的だ。
これは本能的なものなのかもしれませんが、「飛行士たるもの、空で死ねれば本望」というやつなのかもしれません。

やはり空への渇望、飛ぶことへの強い憧れがあるがゆえの発想なのかもしれませんね。
確かに焼けてしまうことは何よりもツラいとは思いますが、このセリフを敢えて言わせた、
ジョージ・ロイ・ヒルの決断はとても大きかったと思いますね。ひょっとすると、こういう当時の飛行士の
死生観について言及する映画にしてしまった方が、ずっと建設的な映画作りになったのかもしれませんね。

こういう印象的なシーンがあったにしても、映画の出来自体が良く見えるようになったわけでもなく、
どこかライトに描こうとした部分が足を引っ張ってしまい、ドラマに深みが生まれなかったのが残念ですね。
やはり本来的には、もっと見応えのある映画になるべきだったと思うし、どこか悪い意味で物足りないです。

しかし、せっかくのウィリアム・ゴールドマンの脚本、ロバート・サーティースのカメラという、
映画撮影スタッフとして、プラスに機能するはずの大きなアドバンテージを生かせなかったというのは残念だ。

ロバート・レッドフォードも当時は、まだ売れ始めて間もない頃だったし、
もっともっと映画はヒットして良かったと思うし、もっと評価ポイントがあったのだろうと思いますね。
それでも、映画賞レースに絡むような作品にはならなかったことには、どことなく納得してしまいます。

しかし、当時から映画撮影のためにと、実際に飛行機を飛ばして撮影していたのだろうか?

映画の終盤で、曲芸飛行士から映画スタントマンへと転身したウォルドが描かれますが、
その中で飛行機操縦の抜群の腕を買われ、ウォルドがドイツ人の元軍人と“ランデブー”するという、
エピソードがあるのですが、これが実際に操縦して飛ばせるという展開だったことにビックリだ。
1930年代に入った頃のハリウッドですから、それだけの財力と気概があったのかもしれませんね。
(それでも、当時の映画撮影技術を考えると、凄いことだと思いますが・・・)

ちなみにこの映画で一番、美味しい役どころを持って行ったのは、ジェフリー・ルイス。
かつてウォルドと空軍で過ごしたニュートを演じるのですが、このニュートはウォルドに曲芸飛行を辞めるよう
忠告する立場になって、映画の中盤から登場するのですが、クライマックスでは“美味しい”役どころでした。

かつての上官だったニュートの忠告にも従わないウォルドでしたが、
飛ぶことに対する天才肌な手腕と、執着に根負けしたかのように空を眺めるニュートの姿には、
やはり飛行士にしか分からないロマンがあるのでしょう。このロマンを描けたことは、良かったと思う。

というわけで、全てがダメな映画というわけではないのですが、
ジョージ・ロイ・ヒルの持ち味を生かすには、最適な映画だったとは言い難い部分が、とっても残念な作品。。。

(上映時間107分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 ジョージ・ロイ・ヒル
製作 ジョージ・ロイ・ヒル
原案 ジョージ・ロイ・ヒル
脚本 ウィリアム・ゴールドマン
撮影 ロバート・サーティース
美術 ヘンリー・バムステッド
編集 ウィリアム・レイノルズ
音楽 ヘンリー・マンシーニ
出演 ロバート・レッドフォード
   ボー・スヴェンソン
   スーザン・サランドン
   ジェフリー・ルイス
   マーゴット・ギター
   ボー・ブルンディン
   エドワード・ハーマン