華麗なるギャツビー(2012年アメリカ)

The Great Gatsby

これは如何にもバズ・ラーマンの映画って感じだ。賛否両論だったのも、よく分かる。

文豪F・スコット・フィッツジェラルドの名作の4度目の映画化というわけですが、
本作はかなり個性的なアレンジと、独特な視点から騒々しい映像で綴られていて、これは完全にバズ・ラーマンの世界。
言ってしまえば、ミュージカル・シーンのない『ムーラン・ルージュ!』って感じで、どこか迫力不足が否めないかな。

74年にもロバート・レッドフォード主演で映画化されており、こちらも賛否両論でしたが、
おそらく原作の熱心なファンに言わせれば、映画の中でどれだけフィッツジェラルドの世界観が表現できているか、
ということになってくると思うので、そういう意味で本作は完全にバズ・ラーマンの世界なので、苦しいところだろう。

まぁ・・・てんでダメな映画というわけではないのですが、どうせバズ・ラーマンの世界にするならば、
前述したように『ムーラン・ルージュ!』のように、もっとアヴァンギャルドにド派手にやって欲しかった。

いっそのことミュージカル映画にしてしまった方が、もっと攻撃的で勢いのある映画になっていたでしょう。
そこをどこか中途半端にやってしまったら、本作のような内容になってしまった感じで、視覚的に派手なセットや
目くるめく映像展開をアシストするように数多くのVFXを使ったりと、結構、費用をかけた映画になったと思います。
キャスティングも、レオナルド・ディカプリオはすっかり貫禄のある俳優になっているし、助演陣もしっかりしている。

世界恐慌に入る前の好況に沸くニューヨークを舞台に、夜ごと金持ちたちが集って、
ギャツビーの屋敷でド派手なパーティーに興じているという描写が、バズ・ラーマンの世界観にピッタリなのですが、
これはあくまで現代的な感覚であり、1920年代の風俗を忠実に再現したとは言えないので、そこは注意が必要。

確かに大量消費時代を象徴するような、享楽と使い捨ての文化が始まったとされてはいますが、
まだ科学の進展もそこまでではなかったはずなので、視覚的にここまで華やかではなかったはずだ。

つまり、本作に現実的なものやフィッツジェラルドの世界観を求めてはいけないのだ。
作り手にフィッツジェラルドへのリスペクトが無いわけではないと思うのですが、あくまで自分たちの感覚で
映像を綴りたかったようですので、かなり個性的で独特な映画になっています。そこは予め頭に入れておくべきでしょう。

少なくとも本作で描かれたのは、フィッツジェラルドの絢爛豪華で優美な金持ちの世界というよりも、
人間の欲望渦巻くギトギトしたお世辞にも綺麗とは言えない世界で、この辺は完全なる人工的な世界に映る。
ヴィジュアル的には『ムーラン・ルージュ!』から全く変わっていないのですが、キャストの超人的な動きは無いかな。

主人公となるギャツビーは、映画が始まってから約30分は登場してこない。
ディカプリオが映るファースト・カットは、少々狙い過ぎ。この“押し出し感”の強さこそ、バズ・ラーマンの演出ですね。

映画はギャツビーが登場するまでも、登場してからも、基本的にはトビー・マグワイア演じるニックを
ストーリーテラーとして映画が進んでいく。普通に考えると、ニックの立場や考えを汲み取ると、ギャツビーのことを
快くは思わないのではないかと思えるのですが、映画の終盤になると急激にニックの態度が柔和になります。
ここはもっと大切にして描いた方が良かったなぁ。真面目なキャラクターなニックだからこそ、あの変化は奇妙ですね。

それゆえ、「偉大なるギャツビー」とニックが評しても、なんだか悪い意味で軽く映ったのは否定できない。

劇場公開当時から言われていたことですが、ヒロインのキャリー・マリガンはもう一つかな。
74年版ではミア・ファローがヒロインを演じていましたが、本作はディカプリオが貫禄の熱演だったせいか、
本作のキャリー・マリガンはチョット喰われ気味でしたね。頑張ってはいますが、少々可哀想な役どころだったかな。

精神的に混乱するヒロインで、ギャツビーは彼女が心を決めたと豪語しますが、
いざ現実を目の当たりにしたヒロインは、「夫への愛が無いとは言い切れない」と心の迷いを言い表します。
そこで追い討ちをかけるようにヒロインの夫が、ギャツビーの出生の謎を語り始めるものだから、
ヒロインが自分の思い通りの決断を下せず、彼女の夫から過去を暴かれ侮辱的な言い方をされたことから、
怒りに震えたギャツビーが、感情的に怒鳴ることで夫を黙らせようとしますが、ヒロインの心は急激に離れていきます。

この過程で見せたディカプリオの熱演は素晴らしく、ギャツビーを演じさせるには適役だったのかも。
それと比べてしまうと、どうしてもキャリー・マリガンは“押し負けて”しまうかな。もっと個性を出しても良かったかも。

そう、バズ・ラーマンの演出アプローチがかなり個性的なためか、
ディカプリオくらい大きく演じないと、この映画の中で際立った存在にならないところが可哀想ですね。
その点、ニックを演じたトビー・マグワイアは得な役回りで、ストーリーテラーだと否が応でも目立ちますからね。

僕はこの映画...と言うか、この原作を映画化するのであれば、
どのようなアプローチにしても、虚栄と退廃を描かないと核心に迫ったとは言えないのではないかと思う。
ギャツビーの後日談を語るだけで、虚栄を表現したとは言えないし、描かれた内容から退廃を感じ取るのは難しい。
バズ・ラーマンには酷なのかもしれないけど、もっとパーティーの喧騒にしても余韻を意識した演出にして欲しい。
そういうところって、『ムーラン・ルージュ!』にはまだあったと思うんだけど、本作にはほぼ無いんだよなぁ。

少し冷めた言い方をすれば、ギャツビーの生きざまというのは
ヒロインに対する愛を貫いた生き方とも解釈できますが、一方で成り上がることだけに執着したとも解釈できる。
それは、ギャツビーが貧しい育ちであることを指摘されると過剰なまでに反発する姿を観ると明らかで、
ヒロインのことをホントに愛してはいたのかもしれないが、彼女への憧れの原動力は貧困へのコンプレックスかと。

上流階級に生きる彼女の姿を見て、どうすれば彼女に振り向いてもらえるのか
ギャツビーなりに研究した結論は、自分が成り上がって彼女を満足させるしかないと考えたのでしょう。
それは間違いでなかったが、結果的にギャツビー自身に真の金持ちとしての素養が無かったことが足を引っ張った。
言っても、短期間で大富豪から付け焼刃的に習った金持ちの生き方だけでは、どこかでボロが出てしまう。
それゆえ、自分が欲しい人生を手にする直前になると、冷静さを失ってしまって、感情的になってしまうわけですね。

ギャツビーからすれば、欲しい人生を手にする直前でスルリと逃してしまうような感覚で
更に楽しませたゲストたちからも総スカンと、報われないわけですから、それはとても虚しい末路になるはずだ。
でも、本作はそういったところが弱い。この辺をもっとキッチリと描けていれば、もっと原作に肉薄できていただろう。

前述したように、僕はどうせならミュージカルにしてしまった方が、もっと特徴づけられたと思う。
別にミュージカルを軽く見ているわけではありませんが、ミュージカルならばこれくらいのドラマで良かったかな。
バズ・ラーマンの得意な分野で頑張った方が、もっと魅力的になったと思うのですが、その点、中途半端ですね。
『ムーラン・ルージュ!』くらいドギツく、ド派手にやった方が個性が良い方向に出たと思うのですが・・・。

どんなに頑張っても、バズ・ラーマンの色を出して描くと1920年代の再現とはならないでしょうからね(笑)。

それにしても、ディカプリオはホントに良い役者になったなぁ〜と、上から目線で実感した(笑)。
将来的にはジャック・ニコルソンのようなポジションになるのかもしれませんが、本作では良い意味で貫禄がでてきた。
演じようと思えば、ギャツビーと敵対するヒロインの夫トムを演じることも出来ただろうし、ホントに器用だなぁと思う。

本作も真っ先にディカプリオの出演が決まっていたようですが、これは本作にとっては大きかったと思う。

ちなみに賭博師ウルフシャイムを演じたアミターブ・バッチャンって役者さん、
どこかその名前を聞いた記憶があるなぁと思っていたら、彼はベテラン俳優でインド映画界の英雄であり、
本作がハリウッド・デビュー作らしいのですが、2010年の『スラムドック$ミリオネア』でスポットライトが当たった人だ。

(上映時間141分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 バズ・ラーマン
製作 バズ・ラーマン
   キャサリン・マーティン
   ダグラス・ウィック
   ルーシー・フィッシャー
   キャサリン・ナップマン
原作 F・スコット・フィッツジェラルド
脚本 バズ・ラーマン
   グレイグ・ピアース
撮影 サイモン・ダガン
編集 マット・ヴィラ
   ジェイソン・バランタイン
   ジョナサン・レドモンド
音楽 クレイグ・アームストロング
出演 レオナルド・ディカプリオ
   トビー・マグワイア
   キャリー・マリガン
   ジョエル・エドガートン
   アイラ・フィッシャー
   ジェイソン・クラーク
   アミターブ・バッチャン

2013年度アカデミー美術賞 受賞
2013年度アカデミー衣装デザイン賞 受賞
2013年度イギリス・アカデミー賞プロダクション・デザイン賞 受賞
2013年度イギリス・アカデミー賞衣装デザイン賞 受賞