ゴッドファーザーPARTV(1990年アメリカ)

The Godfather : Part V

連続してオスカーを獲得するという快挙を成し遂げた、
コッポラとマリオ・プーゾが打ち立てたマフィア映画の金字塔的作品の第3弾。

しかし、約15年を経てからの突然の第3作製作ということ自体がビハインドだったようで、
内容的な物足りなさもあり、結果として世評的には酷評に終わり、どちらかと言えば軽視されている作品です。

個人的には酷評するほど悪い出来の映画ではないように思っているのですが、
強いて言えば、映画の重みというのは皆無であり、カタルシスという境地にも無い。
言わば、エンターテイメントの要素が強まった作品になっており、この辺は新進気鋭の映像作家であった、
第1作や第2作の頃のコッポラとは違って、本作の頃は既に大御所になっていたという違いもあるかも。

後にコッポラ自身も「大きな痛手であった」と認めていたように、
本作でいきなりファミリーの弁護士という重要なポジションを担っていたロバート・デュバルが降板してしまい、
ストーリー上、既に死んだ設定になっていることが大きな難点となってしまい、最後までカバーできませんでした。

別にその代わりというわけではないだろうが、
マイケルの愛娘メアリーをコッポラの愛娘ソフィア・コッポラに演じさせたことが大きな話題となりましたが、
結果的にこれはマイナスな仇(あだ)となってしまったようで、映画が酷評される理由の一つとなってしまいました。

おそらくはコッポラ自身は、本作の中身にそうとう満足しているだろうと思える。
ただ、そこに公私混同が加わったと見られ、当時の評論家筋には好意的に解釈されなかった。

僕は本作を3回ぐらい観ているのですが、本作単一で考えると、そこまで出来は悪くないと思うですが、
それ以上にリアルタイムで第1作・第2作と観てきた人の心象を悪くしてしまった要因となってしまったのは、
こういったコッポラのパーソナルな想いがあまりに映画全般に横行させ過ぎてしまったところだろう。

そういう意味では、本作のクライマックスとなったオペラ会場の出入り口の階段でのシーンは、
僕の中では本作の安直さを最も強く象徴したシーンとなってしまっていて、凄く勿体ないと感じました。

家族が悲劇に巻き込まれ、“無音”の嘆きが炸裂するアル・パチーノの絶叫が印象的なのですが、
故意にスロー撮影を駆使して、大口を開けて喉の奥を見せんとばかりに泣き叫ぶアル・パチーノも
どことなく違和感があったのですが、それだけでなくタリア・シャイア演じるソフィアの叔母が悲劇の結末を悟って
ドサクサに紛れて、それまでオペラ鑑賞のドレスとして着ていたはずの黒のスカーフを、まるで喪服のように、
頭に巻き付けるシーンを描くというのは、僕はあまりにデリカシーがないなぁと感じましたねぇ・・・。

このクライマックスのシーンがもう少しなんとかなっていれば、
僕の中での映画の印象はもっと変わっていたと思うし、本作の価値をもっと上げていたのではないかと思う。

映画は70年代後半にニューヨークに拠点を戻し、ファミリーの事業をようやっと合法化しつつあった、
マイケルが再び苦悩に満ちた抗争に巻き込まれ、ファミリーが存亡の危機に陥る様子を描いています。

年老いたマイケルは妻ケイと離婚し、愛する娘ソフィアと共に暮らすものの、
長男アンソニーは弁護士になることを望むマイケルの希望に反するかのように、オペラ歌手を志望します。
ケイに説得されアンソニーの希望を渋々受け入れることにしたマイケルですが、ファミリーの事業が合法化に
向かっているとは言え、相変わらず彼の部屋には彼の助けを必要とする人々が、マイケルに“相談”をします。

一方で、バチカンと関係が深い投資会社を手中に入れようとしたマイケルでしたが、
そのことがキッカケとなってマイケルの一強状態を嫌う連中ともめることになってしまいます。
映画は70年代後半に実際にバチカンでスキャンダルとなった不正事件がモデルとなっています。

この映画の中でも言われていますが、「政治の世界が実は一番汚い」ということが象徴的で、
マイケルも決して政治家を敵に回そうとはせず、事業展開する上で政界とのつながりが必要と判断しており、
自分の息子をロースクールに通わせて、弁護士にしようとしていたのも、勿論、右腕的存在トムが死に、
その後継者を作りたかったということもあるでしょうが、何よりファミリーの理性と知性を大事にしたかったのでしょう。

しかし、どんなにマイケルが大切にしようとも、望まずとも、
皮肉にもマイケルの苦悩は深まり、家族は悲劇的な方向へと向かっていってしまいます。
そしてラストシーンでは、まるで父ヴィトーと同じように家で死ぬというのが強く印象に残ります。
(しかし、ヴィトーとの大きな違いは、マイケルはホントに孤独な死を迎えるという点だ)

ちなみに本作でマイケルの兄ソニーの息子であるヴィンセントを演じたのは、
当時、87年の『アンタッチャブル』などへの出演でハリウッドでも注目されていたアンディ・ガルシア。
驚くほどアル・パチーノの雰囲気を持った役者だったのに、90年代以降は低迷してしまったのが残念でなりません。
あくまで現時点での話しですが、本作への出演が、最後の“大きな仕事”だったのかもしれませんねぇ・・・。

前作であった第2作では、マイアミの大物ロス役でリー・ストラスバーグが出演しておりましたが、
本作ではクセ者アルベルト役とし、名優イーライ・ウォラックは出演しているというのにも驚かされる。
おそらく敢えてキー・マンのキャストに、重鎮を配役するのはコッポラの作戦の一つなのでしょうね。

個人的にはマイケルがメアリーとダンスをするシーンが良いと思った。
マイケル自身、夢にまで見た成長した愛娘とのダンスですが、これまでのマイケルの人生の歩みの中で、
一時的に避難していたシチリアの食堂の娘とのダンスや、妻ケイとのダンスとシンクロするのですが、
この一連の回想シーンとの重ね合わせは、実に味わい深い調和が見せており、僕の最もお気に入りなシーンだ。

ある意味でマイケルは不遇な男であり、数奇な運命を辿った人物ですが、
女性を幸せにすることができていないというジレンマを象徴させる、まるで走馬燈のように想起させる演出です。

海兵隊に志願し、ファミリーとは決別して生きると決めていたマイケルでしたが、
皮肉にも父の危機に接してファミリーに取り込まれ、全体を統括するボスとして崇められ、
心に決めていたファミリーの合法化も時間がかかり、家庭を思うように守ることができず、
結果として不幸な方向へと向いていってしまうという、マイケルの人生は悲劇としか言えません。

勿論、彼自身の身の振りようでどうとでもなったところはありますが、
必ずしも理想論で片づけられる現実ばかりではないことを考えると、あまりに悲壮的なシリーズ最終章と言えます。

(上映時間170分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 フランシス・フォード・コッポラ
製作 フランシス・フォード・コッポラ
脚本 フランシス・フォード・コッポラ
   マリオ・プーゾ
撮影 ゴードン・ウィリス
音楽 カーマイン・コッポラ
   ニーノ・ロータ
出演 アル・パチーノ
   アンディ・ガルシア
   ダイアン・キートン
   ソフィア・コッポラ
   タリア・シャイア
   フランク・ダンブロシオ
   リチャード・ブライト
   ジョン・サベージ
   ジョージ・ハミルトン
   ブリジット・フォンダ
   イーライ・ウォラック
   ジョー・マンテーニャ
   ヘルムート・バーガー
   ルイス・ガスマン

1990年度アカデミー作品賞 ノミネート
1990年度アカデミー助演男優賞(アンディ・ガルシア) ノミネート
1990年度アカデミー監督賞(フランシス・フォード・コッポラ) ノミネート
1990年度アカデミー撮影賞(ゴードン・ウィリス) ノミネート
1990年度アカデミー主題歌賞 ノミネート
1990年度アカデミー美術賞 ノミネート
1990年度アカデミー編集賞 ノミネート
1990年度ゴールデン・ラズベリー賞ワースト助演女優賞(ソフィア・コッポラ) 受賞
1990年度ゴールデン・ラズベリー賞ワースト新人賞(ソフィア・コッポラ) 受賞