フレンチ・コネクション(1971年アメリカ)

The French Connection

先日、ジーン・ハックマンが他界されました。95歳、大往生と言える年齢だったと思います。
未だにご遺体の不可解な発見状況もあって、マスコミでは様々な憶測が行き交っていますが、
ジーン・ハックマン追悼の意味で“生涯オールタイム・No.1”として幾度となく鑑賞してますが、あらためて観ました。

相変わらず、初見時の強い衝撃を受けたときの新鮮さを僕の中では失っていない作品で、
亡き小池 朝雄が担当する日本語吹替版で、ウィリアム・フリードキンも認めた高画質のBlu−rayで鑑賞しました。

いやはや、何度観ても映画史に残る大傑作ですよ。こんなに一方的で徹底した映画はありません。
本作で高く評価された監督のウィリアム・フリードキンは73年に『エクソシスト』を撮ることになるのですが、
この頃のウィリアム・フリードキンはやっぱり神懸っていたと思う。アメリカン・ニューシネマの時代を迎えていたとは言え、
この時代にこれだけ自分のやり方を貫き通し、良い意味でこれだけ一方的な映画に仕上げたことは貴重だと思う。

おそらく、この感想は僕の中では変わることはないでしょう。それぐらい未だに影響力の強い作品です。

今ならハラスメント的で問題視されるとは思いますが、撮影時はウィリアム・フリードキンが
主演のジーン・ハックマンを相当、精神的に追い詰めて撮影していたとのことで、粗暴かつ不道徳な刑事の
キャラクターをデフォルメしていき、ジーン・ハックマンが見事に体現しました。撮影当時のジーン・ハックマンは
67年の『俺たちに明日はない』で高く評価されていたとは言え、まだスターダムを駆け上がっていたとは言えなかった。

それが本作で彼が演じた“ポパイ”が、刑事映画の歴史に残る傑出した主人公になり、
且つ71年度のアカデミー主演男優賞を受賞したことで、彼の大出世作であり代表作の一つになりました。
それくらい、ジーン・ハックマンのキャリアにおいても、本作はとても運命的なものでありターニング・ポイントでした。

映画の冒頭から詳細な説明もなく、いきなりマルセイユでフランス人紳士シャルニエを尾行していた、
刑事と思われる男が帰宅した自分のアパートの玄関で、銃撃されるというショッキングなシーンから始まります。

すると場面はニューヨークに移り、治安の悪そうなブロンクスの街角で主人公の“ポパイ”ことドイル刑事が
何故かサンタクロースの衣装をまとって、地域の子どもたちを前に歌を唄っていたところ、バーから逃げ出すチンピラを
走って追いかけるチェイス・シーンが始まります。撮影当時のジーン・ハックマンは既に40歳を過ぎていて、
お世辞にも足が早そうではなく、息も切れまくっているが、何故か執念深く犯人を絶対に逃がさないタフさを感じさせる。

いざ犯人に追いつけば、ドイルはリンチまがいの行動をとり、相棒のラソー刑事がなだめる。
何故にドイツはここまで執拗に悪党を追い、徹底的に痛めつけるという姿を見せるのか、理由がよく分からない。
前提条件をほとんど語らずに、特に理由が分からないが、ドイルがまるで野良犬のように走り続ける姿を描きます。

この徹底したスタイルを観ていると、もうドイルが追い続ける動機など、どうでも良くなってしまう。
観客に有無を言わさずに、徹底したアプローチで一方的に描くウィリアム・フリードキンの圧巻の手腕を感じる。

日勤明けのドイルは相棒のラソーを引き連れて、次の“獲物”が探そうとナイトクラブへ繰り出し、
そこで見つけた金の羽振りの良い男に目を付ける。麻薬犯罪に絡んでいるのではないかと根拠のない嗅覚で、
一晩中、この男をつけ回した結果、ドイルの見立て通り麻薬密売に加担している疑いがある行為を目撃することになる。

そこから始まるドイルとラソーの捜査をひたすらドキュメントし続ける映画というわけなのです。

この映画で描かれたことは、当時としても衝撃的であったと思います。
例えば情報を入手するためにと、バーにガサ入れしに行くのですが、令状があるわけでもないのに押し入って、
場末のバーに入り浸る麻薬常用者たちをドイルは恫喝する。奥にいた情報提供者を見つけ「そこのモジャモジャ!」と
呼びつけて、誰も見えないトイレで羽振りの良い男に関する情報を得ようとしますが、何も得られません。

そこで他のバーの客たちに悟られないように、情報提供者に「どこ殴られたい?」と聞き、
顔面にパンチ喰らわしてトイレから出てくるという暴力を見せて、「あばよ!」と言って店を出て行く姿に呆気をとられる。

思わず、ニューヨーク警察の麻薬捜査官は「実際にこうやっているのではないか?」と思わせられるほど、
強い説得力があるし、それだけウィリアム・フリードキンの“押し”の強さを感じさせる演出で、これが本作の凄みだ。

その後は、ニューヨークの街中を自由に闊歩するシャルニエをドイルが尾行して、
地下鉄駅で完全にシャルニエに弄ばれて、ドイルが出し抜かれるシーンであったり、狙撃されたドイルが
地下鉄に乗って逃げる狙撃犯を追って、何故か民間人の車を奪い取って、高架下の道路を信号無視の大暴走して
ジャックされた地下鉄を追跡するという、奇想天外な映画史に残るチェイス・シーンなど、手に汗握るシーンの連続です。

勿論、当時の撮影スタッフはそれなりに苦労を強いられただろうが、
本作の撮影にあっては、莫大な費用を要した撮影だったというわけでもなく、チョットした工夫やソリッドに感じさせる
独特な撮影や編集で、映画的興奮を最大限に表現できるようにウィリアム・フリードキンの仕掛けを感じさせる。
これこそ、映画史にその名を残す所以とも言える部分で、当時の映画ファンにとっても衝撃的な作品だっただろう。

本作と同年にイーストウッドの『ダーティハリー』が製作され、ハリウッドでも刑事映画がブームになりましたが、
本作はその中でも孤高の存在だと思っていて、それは本作の不可解なラストの圧倒的なまでのインパクトですね。

この映画のラストは実に多様な解釈があって、多くの映画ファンの間でも古くから議論されていますが、
僕はその一つ前のドイルがやらかすミスを描いたシーンが、本作を最も象徴していると思っていて、
とにかく“獲物”を捕えるためには、ミスをミスとも思わないような態度で、「それより今はフランスの髭だ。近くにいるぞ」と
ラソーに言い放ち、さすがのラソーも圧倒されたように付いて行けない表情をするのが本作を物語っていると思う。

このドイルは正義とは何か議論する余地など一切なく、麻薬犯罪に恨みを持っているわけでもない。
ハッキリ言って不道徳で腐敗した刑事ですが、やると決めたら徹底的にやるというタイプで、他を寄せ付けない。
そんな一方的なキャラクターを確立したこと自体、僕は革命的なことだったと思っていて、本作はパイオニアだと思う。

ミスを犯したドイルと、唖然とするラソー。それまではウィリアム・フリードキンも、グイグイ・グイグイと観客を
引っ張り込むかのようにドイルの強引な追跡をカメラで追って行ったが、このミスの後はもうカメラは追わない。
まるで、ユラユラとどこか浮遊感を漂わせるかの如く、ドイルは建物の外に出て行って、謎の演出で映画が突然終わる。

まるで尻切れトンボのようなラストですが、僕の中ではこれ以上ない頭の良いラストだったと思います。
この映画で選択したウィリアム・フリードキンの演出は、全てが神懸っていたと言っても、僕は過言ではないと思う。
映画を成立させるにあたって、説明し過ぎることもないし、説明が足りないこともない。全てが良い塩梅に満たされる。

僕は中学校1年生のときに、たまたま何故か録画していた「年忘れアンコール」称した深夜放送で
本作の小池 朝雄が吹き替えたヴァージョンを観て以来、映画を一気に観あさることになったキッカケとなりましたが、
未だに何度も繰り返し観ている作品であり、その度に新鮮な感覚にさせられる、映画史に残る大傑作だと思います。

あらためて名優ジーン・ハックマン、そして相棒のラソー刑事を演じたロイ・シャイダーを追悼する想いで、
本作を鑑賞しましたけど、あらためて思いますけど...ウィリアム・フリードキンが本作と『エクソシスト』の後から、
映画監督してすっかり低迷してしまって、半ばB級映画の監督に甘んじてしまったことの方が不可解だと実感した。
本作のような神懸った演出が続かないことは理解するとしても、彼のスタイルがあまりに独特過ぎたのでしょうか?

徹底したリアリズムを追求した映画と形容されることも多いのですが、実は僕はあんまりそうは思ってなくって、
あくまで“ポパイ”はモデルがいたとは言え、あくまで本作の映画化にあたって創出したキャラクターだし、
カー・チェイスのシーン演出にしたって、荒唐無稽であることは否定できない。本作が唯一無二な存在であるのは、
これらのアイデアが傑出したものであったということもあるけど、前述したようにグイグイと引っ張る力強く強引な演出を
見せながらも、映画のラストで突如として観客を突き放すようなマネをしたり、最後まで自分勝手さを貫いたことだ。
(ちなみに“ポパイ”のモデルは実在の刑事で、本作で警部役を演じた元刑事のエディ・イーガンらしい)

この一貫したものを、具体的な映像として表現できただけでウィリアム・フリードキンの“勝利”なのだろう。
だからこそ、ウィリアム・フリードキンの70年代後半以降の低迷はまったくもって解せないのですよね・・・。

クドいようですが...これは革命的な作品であり映画史に残る大傑作です。

(上映時間105分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 ウィリアム・フリードキン
製作 フィリップ・ダントニ
原作 ロビン・ムーア
脚本 アーネスト・タイディマン
撮影 オーウェン・ロイズマン
編集 ジェリー・グリーンバーグ
音楽 ドン・エリス
出演 ジーン・ハックマン
   ロイ・シャイダー
   フェルナンド・レイ
   マルセル・ボズフィ
   トニー・ロー・ビアンコ
   エディ・イーガン
   ソニー・グロッソ

1971年度アカデミー作品賞 受賞
1971年度アカデミー主演男優賞(ジーン・ハックマン) 受賞
1971年度アカデミー助演男優賞(ロイ・シャイダー) ノミネート
1971年度アカデミー監督賞(ウィリアム・フリードキン) 受賞
1971年度アカデミー脚色賞(アーネスト・タイディマン) 受賞
1971年度アカデミー撮影賞(オーウェン・ロイズマン) ノミネート
1971年度アカデミー音響賞 ノミネート
1971年度アカデミー編集賞(ジェリー・グリーンバーグ) 受賞
1971年度全米映画監督組合賞(ウィリアム・フリードキン) 受賞
1971年度全米脚本家組合賞脚色賞<ドラマ部門>(アーネスト・タイディマン) 受賞
1971年度イギリス・アカデミー賞主演男優賞(ジーン・ハックマン) 受賞
1971年度イギリス・アカデミー賞編集賞 受賞
1971年度ニューヨーク映画批評家協会賞主演男優賞(ジーン・ハックマン) 受賞
1971年度ゴールデン・グローブ賞<ドラマ部門>作品賞 受賞
1971年度ゴールデン・グローブ賞<ドラマ部門>主演男優賞(ジーン・ハックマン) 受賞
1971年度ゴールデン・グローブ賞監督賞(ウィリアム・フリードキン) 受賞